迫り来る人

 幽霊カクマップを埋めるため、もといオカルトサークルとしての成果を出し、サークルの存続を保つため、今日も菅野は張り切って人を呼び出した。


「さあみんな、今日はみんなもよく利用するここだ!」


 大学の最寄駅の改札口の外階段で、菅野が大仰に両手を開く。現在の時刻は午後八時、まだまだ人通りは多い。道行く人々から「何あれ?」と怪訝な目で見られていることに、彼は気付かない。

 まるで幼稚園児に絵本を読むような菅野の口上を聞かぬふりをし、サークルメンバーは素知らぬ顔をして階段口から離れ、近くの草叢で数人ずつのグループを作る。その様子を見た菅野は、頭を掻きながらそそくさとメンバーに近寄る。


「ごめんごめん、今日は人数が多いからつい」

「やめてよね、恥ずかしい」


 菜々子の辛辣な一声に、一同はうんうんと頷く。いくら調子づいた大学生であろうと、恥と礼式を捨てたわけではない。菅野は両手を顔の前で合わせた後、色褪せた青色のファイルを開いた。


「迫り来る人、の噂は聞いたことがあるかい?」




 それは我らが東京門河大学が設立した、今から約四十五年前のこと。門河市は東京都区部に隣接していながらも、あまりこれといった特徴もなく寂れた市であった。そこで門河市を盛り上げんとすべく、当時の市長が総合大学を設立した。ここ、門河駅からすぐの場所にね。ここまでは、我が校に在籍している皆はよく知っているだろう。

 その当時の市長という奴が、なんというか、無計画な奴でね。大学を作ると言った時にも地元民からも良い顔はされなかったらしい。だが結局は大学を作ることとなり、部下を何人も大学作りに働かせた。だが、その働かせ方が良くなかった。その市長の立てたスケジュールは、とんでもなく余裕のない日程だったそうだ。

 開校が迫る中、毎日あくせく部下たちは働いた。大学の建物だけできて、中身はからっきしだったもんだから、もうおおわらわ。大学に寝泊まりして仕事をしても追いつかないくらい。家にも帰れず満足に睡眠も取れずで、当然体調不良者が続出した。

 その中でも特に病んでいる男性がいた。生真面目な人だったそうだよ、迫る開校日に焦って人一倍仕事をしていたらしい。だけど無理がきかなくなって、どんどんと憔悴していくのが目に見えた。このままでは死にかねないと、周囲はその人を気遣って、一日だけでも帰って休むようにと勧めたんだ。

 説得されてようやく帰る決心をしたその人は、休むことへの罪悪感を感じていたのだろう。早く帰って早く休んで、早く体調を戻して早く仕事をしなければ。そう言いながら、帰路についた。俺たちが普段通学に通っているこの道を足早に歩いて、階段を凄まじい速さで駆け降りた。勢いのまま、改札を潜り抜けた後にある階段も飛ぶように降りたんだ。

 そしてその結果、歩く勢いを止めきれず、突っ込んでくる電車が迫る線路へと落ち、事故を起こしてしまった。同僚たちは大層悔やんだそうだ。自分たちが帰れと言わなければあんなことにはならなかった、と。

 それからたびたび、異常が目撃されるようになった。ある人は大学からの帰り道に。ある人は駅の階段を降りる時に。隣をものすごい勢いで歩き去る、スーツ姿の男性が現れるようになった。すれ違って振り返ってももういない。あるいは隣を確実に通ったのに、目の前にはいない。

 それが亡くなった男性がちょうど帰路についた午後八時頃に出るらしいものだから、その人だと噂になった。目撃情報はどんどん増え、次第に人々は午後八時に駅を利用するのを避けるようになった。

 だが噂は噂、数年もすればそんな噂は消えた。門河大学に通う学生たちは夜遅くまで研究やらサークル活動やらに勤しむようになり、八時台に帰路につく者も、当然増えた。

 大学のルールも今よりよほど甘かったそうでね、学内で酒を飲んだり遊んで過ごしても許されていたらしい。羨ましい?いやいや、この後の話を聞いたらそんなことは言えなくなるさ。

 今はもう無くなってしまったが、かつてはテニスサークルがあった。その実態は俗に言う飲みサーってやつで、その日も部員たちは缶ビール片手にわいわいやっていたらしい。そしてそのうち男女二人が、途中で抜けたんだ。もう分かるだろう、八時にね。

 男が口説き文句なんか言いながら女の肩に手を回して、大層良い気になって道の真ん中を堂々と歩き、外階段を降りて改札を抜けて、ホームへと降りた。するとフッと風が吹いたような感覚がして、二人は改札へ向かう階段の方を見たんだ。

 するとスーツ姿の険しい表情をした男性が、尋常じゃない勢いで階段を降りてくる。人には決して出せないような速度で迫ってきたその影に、男はよろめき線路へ落ちた。そして彼は二の舞になったのさ。

 以来、そんな事件がこの駅に限って相次いで発生した。今では安全のためにホームドアが設けられるようになって、人身事故なんか起こらなくなったけどね。だけど、普段この駅を使っていて思ったことはないかい?いくら古いホームドアだとしても、あまりに人が強くぶつかったような跡が、それも片方の路線だけに多くある、と……。




 菅野は語りを終えると、全員を連れ、ゆっくり壁沿いに階段を歩き降りて改札を通った。今日はこの他にもう一箇所、行き先があるのだ。


「言われてみれば確かにボコボコしてるよな」


 ホームドアをまじまじと見て男子学生がそう言った時、ひゅうと風が舞い込んだ。まもなく電車が参ります、と機械的なアナウンスが入る。程なくして現れた見慣れた車体に、ぞろぞろと乗り込んでゆく。


「うわっ!」

「ちょっと!押さないでよ!」


 電車内もホームも特に混んでいる訳ではないが、一同は確かに誰かが勢いよく体当たりをしてきたような感触を覚えた。だが誰もその理由を解き明かそうとしない。その正体など、もはや明白だ。

 静かな車内の中、菅野だけは静かに次の目的地について振り返るべく、青のファイルを開くのだった。

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幽霊カクマップ 貘餌さら @sara_bakuji

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