すっころばし

「まずい!部の危機だ!」


 『幽霊カクマップ』制作発言の翌日。菅野は白地図に昨日訪れたドッペルホームの位置を記していた。慎重にはじめての赤丸をつけ終わるやいなや、菅野は叫んだ。今日もまたゲームに勤しんでいた菜々子は驚いて操作を誤り、無言で漫画を読んでいた村岡は肩をビクつかせた。


「またぁ?」

「今は何月か分かるか?そう、八月なんだよ。一週間にいっぺんなんて言ってたら、幽霊カクマップは白地に鼻血を垂らした程度のものになってしまう!」


 律儀に返事をした菜々子は「その例えもどうなの」と口にするのを留めて菅野の暴走を見守った。


「今日も行こう!いや、可能な限り毎日行こう!」


 早速部員たちを集めるべく連絡を回しにかかった菅野の姿に諦めをつけた二人は、せっせと外出の準備を始めるのだった。




「みんなよく集まってくれたね。ここが今日の舞台だよ」


 皆勤賞こそたった三人だが、サークルの部員は総勢でざっと六十名以上はいる。だから菅野が「心霊スポットに行こう」と声をかければ誰かは必ず捕まるのだ。じりじりとした暑さの残る夕方、まんまと捕まった本日のメンバー八名は、うんざりとした顔をした。菅野がいやに恭しく挨拶をしたのち、右手で示したのは住民街の一画にあるただの下り坂だった。


「ここのどこが、心霊スポットなんだよ」


 菜々子も村岡も名前すら覚えていない男子学生が不満を垂れる。しかし菅野はまったく気にせず「よくぞ聞いてくれた」と嬉しそうな顔をした。いつものように菅野は分厚いファイルを一度開いてざっと目を通したあと、しわがれた声を出して語り始めた。


「すっころばしが出るから、注意して歩かないといけないよ」


--すっころばし


 それがこの地域に伝わる怪異である。旧くは、子どもが外へ遊びに行った先、足元不注意で怪我をするのを防ぐために大人たちが作り上げた嘘だったと言われている。昔は創傷から大事に至ることも多かったようだから、合理的な嘘だね。子どもの頃の方が幽霊や怪異をまともに恐れるものだ。大人に「すっころばしが出るぞ」と言われた子どもたちは、素直に従ったらしい。それはどんどん周囲にも伝播して、大人たちの使う定番の注意文句になったそうだ。

 だが子どもたちも馬鹿じゃない。「そんなもの、いるもんか」と信じない子どもが現れた。その子どもはいわゆるガキ大将ってやつだったもんで、段々まわりの子どもたちも信じなくなった。これに困った大人たちは、すっころばしに具体的な姿をつけることにした。


「すっころばしは、ひょいと地面から手を生やして、お前たちを転ばせるんだ」

「すっころばしは、老人のような皺だらけの手でお前の足を掴むんだ」

「すっころばしは、両足を掴んで引きずりまわすんだ」

「すっころばしは、誰も見つけてくれないところまでお前を落っことすんだ」


 段々と内容は過激になり、村の絵師がその嘘の姿をつくったものだから、信憑性が増した。子どもたちはもちろん恐れたさ。大人たちがいやに真剣にその存在を話すからね。

 そんなある日のことだった。今度はすっころばしを見たという子どもが現れた。膝に怪我を負い、親に泣いて訴えた。すっころばしに転ばされたってね。だけど大人は宥めるだけで、誰も信じちゃいなかった。当然だ、だってすっころばしは自分たちが作った嘘なのだから。

 けれどその訴えは徐々に増えていった。いきなり地面から手が生えて、つまづいた。草むらの影から足を掴まれた、なんて具合にね。だけどやっぱり大人たちは誰も信じなかった。子どもの足首に誰かに掴まれたような痣ができていようとも、子ども同士で悪ふざけをしてつけたのだろうと逆に叱りつけた。

 だが、決定的な事件が起きた。例のガキ大将が行方不明になったんだ。大人たちが焦って探し回る中、一緒に遊んでいた子どもたちは口を揃えて「すっころばしのせいだ」と言った。それには流石の大人たちも薄気味悪くなって、二人組になって子どもを探すことにした。

 結果として、その日のうちに子どもは見つかったんだ。川辺で傷だらけになってね。その川というのは村からずいぶん離れたところにあって、普段は誰も寄りつかないようなところだったらしい。どうしてそんなところまで行ったのか分からず、大人たちは子どもに聞いてまわった。その子と直前まで一緒に何をして遊んでいたのか、と。


「みんなで追いかけっこをして遊んだ」

「坂の上で別れたあとはわからない」


 大人の期待に反して、それ以上の答えは返ってこなかった。村からの下り坂を降りたあとは平坦な地面が続くだけで、川へも相当な距離がある。大人たちは首を傾げたものさ。何をしにそんなところへ行ったのだろうか。

 幸いなことに、怪我だらけではあったが子どもの命は助かった。何があったか尋ねても、数日は口を開かなかったそうだ。だがある日、少年は観念したようにぽつりと溢した。


「坂ですっころばしに足を掴まれた。手で地面を掴んでも、どんどん村から遠ざかって川のところまで引きずられた」


 子どもの手は痛々しく皮が捲れ、体の前面にばかり傷があったそうだ。それはすっころばしの存在を認めるのに充分な材料だった。それに子どもの中でも彼だけは、最後まですっころばしなんていないと主張していたそうだからね。

 それ以降、大人たちはすっころばしを脅しとして使うのをやめた。そして、この坂に『すっころばし坂』と名前をつけた。事件を引き起こした自戒としてね。




 菅野が話し終えると、彼の期待とは裏腹に「なんだそんなものか」と言いたげな表情をした部員たちがいた。みぃんみぃんと蝉の音だけが響く、虚しい沈黙であった。


「……今日は暑いしもう帰ろう、次は楽しみにしてるよ」


 手をひらひらと振って帰路につく女子学生に、菅野は肩を落とした。そんな彼に「語りは良かったよ」「小学生ウケはいいかも」なんて慰めの言葉を浴びせながら、六つの影はそれぞれの家へと帰ってゆくのだった。

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