幽霊カクマップ
ドッペル・ホーム
それは、菅野たちが通う大学から徒歩数分のところにある館だった。館というには小さいかもしれないが、西洋風の建築を施されている異人館と称すのが相応しい家だ。とある金持ちが作った個人宅だったらしいが、主人がそこを去ってから数十年、買い手もつかず、かといって壊されることもなく、そこに佇んでいる。
元は真っ白な家であったのだろうが、ところどころ塗装が剥がれて本来の色がむき出しになっている。誰かが心霊スポットとして巡った跡なのか、複数ある窓は割れ、壁にはぼこぼことした、まるで誰かが殴ったような穴が空いており、いかにも廃墟らしい様相だ。
「ここが幽霊カクマップに一番に記録する、記念すべき廃墟だよ」
菅野はそう言ってファイルを開き、ツアーガイドのようにそこで起きた怪しげな出来事について語り始めた。
198X年、とある金持ちのイギリス人が東京に一軒家を建てた。
投資で大儲けした彼は、世界の好きな国々に自分の陣地を作るべく、金にものを言わせて別荘という別荘を作り歩いていた。そこでかねてより憧れがあった日本に目をつけ、いつも通り、同じ家を作らせた。
同じ家、というのはそのままの意味だ。彼は自分が過ごす家に大層こだわりがあった。建築様式はクイーン・アン様式で、外壁は真っ白に染める。玄関ポーチには白い柱が二本とこれまた白い屋根。家の中は床はダークブラウンのフローリングに壁紙は天井に至るまですべて白一色。これまた白く染めた木製のどっしりとした螺旋階段を設けて二階を作る。そしてオーダーメイドで作ったソファやベッドを同じ職人に再度作らせた。少しでも大きさやバランスが違えば彼は怒り狂ったそうだ。その怒る様は尋常じゃなかったらしい。
そうして彼は、時間とお金をふんだんに使って、家そのものも家具の配置も全く同じ家を作り上げた。彼はその出来栄えに満足して、こう言ったそうだ。
「完璧だ、これなら大丈夫だろう」
その言葉の真意は分からなかったが、日本の職人たちはその言葉に嬉しくなって、心づけとして少しでも長く家が保つようにと屋根や床下にシロアリ予防を施したそうだ。日本では湿気が多く木製の家は蝕まれやすいから、と。
数ヶ月後、家主はこの家のど真ん中、そう今君が立っているあたりで……死んだ。なんとも不可解な死に様だったらしい。なんせ立ったまま死んだんだ。そう、かの有名な弁慶のようにね。だけどそれだけじゃない。死んだ男の首には、まるでロープで締められたような跡があった。衣服こそ着ていたが、身体中引っ掻き傷のようなものだらけだった。
当時、警察は他殺を疑った。もちろんそれはそうだろうね。立ったまま自殺なんてできるわけがない。だから、その館に出入りしていた者をリストアップして尋問して回ったそうだ。
一人目は、家の手入れを任されている女中だった。彼女は主人がどの家にいるときもついて歩いて、家の管理をしていたらしい。少しでも家具の位置がズレれば怒り狂う主人に慣れっこの完璧な女中だったそうだ。もちろん、真っ先に彼女が容疑者として疑われた。そんな性格の主人だから、恨みもあるだろうと踏んでね。だが彼女が尋問で話したこともまた、不可解だった。
「ご主人様はいつも怯えておいででした。家具の位置にとどまらず、カーテンの開き具合や調理器具の位置、すべて完璧な位置に置かないといけないのです。私にはそれが何故か分かりませんでしたが『そうしないといけないんだ』と言うばかりで理由を教えてくれませんでした。私はご主人様と共に、世界各地の同じ家を渡り歩いてきました。私に任されていたのは、部屋の中にあるものの位置を正しい場所に置くことだけです。私は決してそれ以外のことはしていません」
警察はそんな彼女の証言に首を傾げるばかりで、彼女が主人を殺した証拠も掴むことができず、次の容疑者に話を聞いた。その人というのは、館の主人の友人であり、彼が死んでいるところを見つけた第一発見者でもあった。彼は館の主人がオランダに住んでいた頃から友人で、新居を建てたことを心配して来日したらしかった。曰く。
「全く同じ家を建てて、騙し騙し置いて行けばいいんじゃないかって言ったんだ。彼はその通りドイツ、オーストリア、ルーマニア、トルコ、インド……徐々にオランダを離れるように家を建てたんだ。効果は抜群だったみたいでね、上手くいったとその度に報告が入ったものさ。だけど日本に家を建てたあと、怯えた声で電話をかけてきたんだよ。完璧だったはずなのに、奴らが来たって」
警察は「奴ら」とは誰のことか尋ねたが、館の主人の友人はそれ以上語らなかったそうだ。ただ、一つだけ。
「彼は奴らを騙すため、今まで住んでいた家の真ん中に等身大の蝋人形を置いてきたんだ。だからきっと、そこで死んだんだ」
そう言ったらしい。それ以上有益な情報は得られず、結局証拠不十分で事件は迷宮入り。警察も匙を投げたってわけさ。あまりに不可思議な事件だったもんで、それ以降買い手はひとりとして現れなかった。
以来、館にはある名前がついた。それが『ドッペル・ホーム』、今僕らが立っているこの場所のことさ。
菅野は長い演説を終えると、パタリとファイルを閉じた。おお、とどよめきが湧く。オカルトサークルの面々は、この菅野の解説つき心霊スポット巡りが堪らなく好きなのだ。なんとなく怖い場所、それよりもいわくがあった方が面白い。
菜々子と村岡の他に二名ほど今日は集まっているが、彼らは興味深そうにキッチンやら底の抜けそうな螺旋階段やらを覗いている。言われてみれば生活感のあまりない、モデルルームのような印象の家だった。だが特別何かが起こるわけじゃない。ひとしきり観察を終えると、皆満足げな顔をして館から出てくる。
サークルメンバー全員が館を出たのを確認した菅野は、白い玄関扉を閉めた。家の真ん中に男がぼんやりと佇んでいるのを、見ないふりをして。
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