第十九話 祭囃子は闇に食われる

「さあさ! 登与の変わりものの簪はこっちだよ! 星の欠片が揺れる簪なんて、この町でも売ってない! この登与の露店でしか買えないよ!」

 町の中央近くを南北に貫く目抜き通りから、一本脇へ入った通り。眼前を埋める賑わいに負けないよう口元に手を添え、登与は声を張りあげた。

 同世代の商売人の抑揚を利かせた声を真っ先に聞きつけたのは、着飾った若い娘たちだ。連れだって歩く足を止め、互いの顔を見合わせる。店に近づいてくる。

 よし!

 登与は心の中で快哉を叫んだ。

 今日は祭りの二日目。道の復旧作業はとうとう間に合わず、観光客や行商人は地方からのみで石雪の町は祭りを迎えた。

 それでも町の人口をしのいでいるに違いない人が町に押し寄せ、普段は町人と旅人が行きかうだけの目抜き通りは町の内外の人々であふれんばかりだ。

 想像していた以上の賑わいに登与が驚き、稼ぎ時だと心躍らせないわけがなかった。。

「簪だけじゃないよ! 木箱に筆に矢立! 根付も揃えたよ! さあさ皆さん、寄って見てちょうだい!」

 声を張りに張って客を呼び、登与は足元の長い台の上に並べた商品に人の目を誘導する。こういうときは目立ったもの勝ち、客の興味を引いたもの勝ちだ。

 だから登与も今日ばかりは貸衣装屋で借りた、華やかな装いを身につけていた。

 朱色の地に白い流水の縫い取りをした上着、白い胴着。藤色の袴には白い花を散らしてある。両の手首には、朱色の地に透明な玉を白い糸で吊り下げた布を巻きつけた。黒髪には先日自作した、星の欠片をくくりつけた朱色の簪が揺れて存在を主張している。

 こんな格好で台の上に乗って声を張りあげているのだから、衆目を集めるのは当然だろう。他に必要なものといえば、喧騒に負けない楽の音くらいのものか。

 ひたすらしゃべり倒し愛想笑いを振りまいて商いに励む合間。時折、親しくなった町娘を見かけることがあった。当然彼女たちの晴れの装いは、登与のように派手な色遣いを重視したものではない。金のない庶民なりに精一杯頑張ったというふうな、きつい色遣いではないが文様がさりげなく際立つ着物だ。薄化粧の顔も浮かれた空気とあいまって、普段とはどことなく違って見えた。

 そんな町娘の髪を登与の簪が飾っているのも、登与が声を張りあげ宣伝したくなる理由なのだった。

 昼を過ぎていくらかしてから、登与は店じまいをした。町に伝わる伝承を題材とした神事が始まるのだ。正午前から様々な神事がおこなわれているが、この伝承劇の神事が祭りの目玉なのだという。

 装束を着替えないまま登与が神社へ向かうと、神社の境内にはすでに多くの人々が目当ての神事の始まりを待っていた。どこもかしこも人ばかり。このままでは舞台ではなく人の頭を見にきたことになってしまいそうだ。

 しばらくすると、人の波が少しばかり変化してきた。浮き立つ空気がさらに強くなり、流れも一つの方向を向く。

 太鼓が重々しく打ち鳴らされた。続いて、独特の調子で神社の神主が語りだす。

 町の神社で神事が始まったのだ。

 人ごみをかき分けて確保した場所から見る物語は、素朴にして豪壮だった。

 星に乗ってやってきた邪悪な天狗と術者を演じる男たちが境内を縦横無尽に駆け回り、時に得物を振り回して殺陣を描く。その、面をつけているとは思えないなめらかさと迫力といったら。

 他の町で見た立ち回りがある神事は、大抵がゆったりとしていてぎこちなく、まあ面をつけているしなあといった具合だったのに。どれだけ気合を入れて早いうちから稽古をしていたか、この一幕を見るだけでわかろうものだ。

 旅の術者が邪悪な天狗を打ち負かし改心させ、虐げられていた力なき神霊や人間たちを救って皆で喜びの舞を舞う――――というわかりやすい勧善懲悪で物語は幕を閉じた。

 いいものを見たなあ……地元の神社のもいいけど、やっぱりたまにはよそのを見るのも面白いよね。

 財布の重みを実感したときとは違う上機嫌で、登与は神社をあとにした。

 郷土料理に舌鼓を打つのは行商の醍醐味だが、こうした地域の行事も登与にとっては楽しみの一つだ。披露される芸能の演目には、地域の歴史や信仰が含まれているもの。装束も見ていて楽しい。

 神社を出てしばらくすると、かけ声が聞こえてきた。

「これなるは天狗の加護ぞ! 望むならばさあさ、くれてやるぞ!」

 そんな口上で天狗面をした筋骨たくましい男やその周囲にいる青年たちが、手に持つ袋に入れていた小袋を通りの両側にいる人々に投げていく。

 術者の調伏によって改心した天狗は罪滅ぼしのため、従者を従えて町の人々に加護を与えて回る――――と言い伝えられているのだ。町の隅々まで彼らは歩いて回るらしく、夜までかかる大変な仕事なのだという。

 練り歩きながらまた一つ、天狗たちは人々に向かって投げつける。人々は我先にと手を伸ばし、天狗の加護を求めた。こっちにちょうだい、とねだる子供や女、無事お守りを手に入れて満足そうに帰っていく観光客らしき男女の姿も、登与の視界に映る。

 登与の頬は緩んだ。

 ほんと、絵巻で見たまんまだ……。

 本当に、あの絵巻は祭りのすべてを正確に描き写している。神事の演目も、この練り歩きも。人々が天狗の加護と称した札に手を伸ばす様子も。どれも絵巻から出てきたかのようだ。

 一体いつからこの祭りはあるのだろうか。辰臣が人間のふりをしていた頃より前だろうか。

 ……だったら、押しかけ女房さんが『連れていってください』って言ってそう。

 そうでなくても、佳宗は間違いなく逢引きを勧めているはず。

 祭りだとはしゃぐ押しかけ女房に引きずられた辰臣が、憮然とした顔でも押しかけ女房に歩幅を合わせているのが目に浮かぶようだ。

 ……帰ろう。

 登与は唐突に思った。

 早く帰って、辰臣に祭りのことを話してやろう。姿を見せるのかわからないけど。

 いろいろと物騒なことがありはしたが、高台の屋敷は登与にとって居心地のいい滞在先になっていた。不愛想な家主が案外可愛げのある人かもしれないと思えてきたあたり、化け物物件への順応ぶりが甚だしい。

 『妖に気を許しちゃいけないよ』って言われたけどさ。でも無理だって。辰臣さんはただの不愛想な純愛男だもん。佳宗さんもちょっと腹立つ人っぽいけど、友達想いだし。

 あの押しかけ女房さんも――――。

「登与さん!」

 登与がいよいよ目抜き通りを抜けて山中へ入ろうとした、そのとき。慌てた声が登与の耳を打った。

 振り返ると、久江とよく遊んでいる町娘たちが走ってきていた。もうこの辺りは人の姿が少ないので、彼女たちのどうにか登与に追いつこうとする必死な顔がはっきりと確認できる。

 登与は目を瞬かせた。

「皆、どうしたの? そんなに血相変えて」

「久江を見なかったっ?」

「へ? いや、見なかったけど……」

 息を落ち着かせもせずに問われ登与は眉をひそめる。しかしすぐにはっとした。

 ぞくりと不気味なものが背筋を駆けた。緊張が全身に走る。

「……何か、あったの?」

「久江、昨日からずっと、家に帰ってないんだって!」

「……!」

 一人のどこか悲痛な響きを混じらせた声に、登与は目を大きく見開いた。

 町を歩いて回り、祭りを十分に楽しんだ昨日の夕暮れ。結局は気になる男を見つけられなかったと嘆く久江と、彼女の実家の前で町娘たちは別れた。そのとき、久江は確かに勝手口から家の中へ入っていっていた。

 だが今日町娘たちが久江の家へ行くと、店は営業していたものの奥では騒然としていた。一度帰ってきたもののすぐ出てしまった久江が朝になっても帰ってこないと、久江の祖母や姉が狂乱していたのだ。

「久江の家はおばあちゃんとお母さんが仲悪いんだよ。久江のことでしょっちゅう喧嘩しててて。それで昨夜も家を出ちゃったんだって」

「でも久江ちゃん、私たちの家に来てないの。神社の人も町長さんも来てないって言うし……たまに高台の屋敷へ行くって聞いたことあるから久江ちゃんのお父さんが行ったんだけど、いなかったみたいで……」

 だから彼女たちはそのことを聞いた昼過ぎから、知っている限りの久江の顔見知りと旅籠に行方を尋ね回っていたのだという。

 そして登与が最後の心当たり――――というわけである。

 町娘の説明を聞き終え、登与の表情はますます硬くなった。

「……昨日私があの屋敷に戻ってから、誰も来てないよ。朝も見かけてないし……こっちへ来るときも、道で誰にもすれ違わなかった」

「…………!」

 登与が偽らざる事実を口にした途端。町娘たちの縋るような顔が恐怖に近い色で染まった。互いに顔を見合わせる。

「……今からちょっと、屋敷を見てくるよ。もしかしたらいるかもしれないし。ちょっと荷物預かってて」

「え、あ!」

 呟くように言って荷を町娘の一人に押しつけ、登与は走りだした。町娘たちの戸惑う声を聞きもしない。

 走って、走って、走って。じゃらじゃらと財布を鳴らして山道を疾走し、息を切らす。

 その道中。登与の視界の緑ががさりと揺れた。

 二度と見たくもなかった人影が眼前に現れ、登与の眉が吊り上がった。

「あんたっ……! 久江ちゃんをどこへやったのよ!」

 翼を隠しもしない黒天狗と対峙し、登与は怒鳴った。

 走っていたからだけでなく激しい怒りで息が荒い。小太刀が腰にあれば、間違いなく登与は彼の喉に切っ先を突きつけようとしていただろう。怒鳴るしかできないことがただ口惜しい。

 だってこいつしかいないでしょ! こんなときに私の知りあいをかどわすようなろくでなしは!

 登与の怒りを煽ることができたのがそんなに嬉しいのか、黒天狗はにいと口の端を上げた。

「あの娘を見つけたくば、‘白幻花’を探してこい」

「……っ! だから、屋敷にそんないい花なんて見当たらないんだって! あの人もないって言ってたし!」

「ないわけがない。あの女は屋敷にいる。いなくても‘白幻花’の種を残しているはずだ。あの天狗が隠しているのだ」

「あーもう! どこに耳ついてんのよ!」

 ろくでなしのうえに人の話を聞かないとか!

 ないものはないというのに、どうしろというのか。

「今夜中だ。明朝、屋敷の前に‘白幻花’を持ってこなくばあの娘を殺す」

「……っ! ちょっ」

 言うや翼をはばたかせた黒天狗に登与は思わず声をあげた。それを聞くはずもなく、黒天狗は飛び去っていく。黒い羽根がひらひらと落ちてくるのが腹立たしい。

 いくつもの激しい感情がないまぜになって、登与は思いきり木の幹に己の拳を叩きつけた。

 物に当たり吠えても、沸騰した感情の温度は下がらない。落ち着け、と自分に言い聞かせても上手くいかない。どうしようという言葉ばかりが頭の中をめぐる。

 だが解決策などあるわけがない。あの男は人外で、久江を人質にとっている。片や登与はただの人間で、あの男や久江の居場所を探ることなどできないのだ。

 何もできない。登与には何もできないのだ。

「――――――――っ」

 怒りや焦りや悔しさが登与の胸中で暴れ狂った。叫びたい。何も変わらないとわかっているけど、感情をどうにかしたい。

 だがやはり、叫んだところで何も変わらないのだ。

 久江を助けるために必要なのは咆哮ではない。

 ‘白幻花’だ。

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