END ROLL

 あれからどれだけ経過したのだろう。数えるのも億劫になるくらい、長いようで短かった。生き倒れるようにベッドへ沈み込み、いつの間にか瞼の外から入り込む薄明かりに、思わず顔を顰める。

「……」

 やけにリアルな夢を見ていた。自分が魔王や友人たちと協力して物語を書いていた、など到底ありえない。そんな筈はないのだ。自分は所詮、物語の登場人物でしかないのだから。

 ……本当にそうなのだろうか?

 目覚める間際、彼は学校の制服を着た、目つきの鋭い自分自身と対峙していた。その少年は旅装とマント、剣を背負った自分をじっと睨み、たった一言こう言ったのだ。

『最後はおまえが自分で完結させろとどめを刺せ。イサミ・ナギサ』


「っ…!」

 木目が浮き出た天井をぼんやりと見上げていた彼は、スプリングが軋むベッドで上体を起こし、微かに呻いた。まるで何処かへと長い旅に出て、今しがた戻ってきたかのような…そんな凛々しい顔立ちをしている。深く息を吸って吐き出しても、すぐに泣き出してしまいそうな表情は見当たらない。

 ベッドの上に手を這わせて、傍らにいるはずの生き物を探す。しかし、何を探しているのかはよく分からない。ほぼ無意識で動いているようなものだ。そして、そいつは結局見つからないようだった。

「此処は、…」

「ナギラス!もう起きてるの?」

「…起きてるよ」

 離れた場所から呼ばれる声に、自然と口が滑らかに動く。ナギラス、という聞き覚えはないのに懐かしく感じる名前に、何故か涙が零れそうになった。彼の名はナギラスでも、ナギ・リートゥスでもない。

 今いる場所が何処なのか、部屋の内装ですぐに分かる。転移魔法で酒場のような場所に飛ばされたのでもなく、乱闘騒ぎに巻き込まれた訳でもなく──ひとまず、辺りを探ることにした。

 玩具箱のように散らかった室内には、今しがた目覚めたベッドの他に本や文房具、分厚い束となったコピー用紙、見覚えのない卓上カレンダーが乗った学習机がある。その側面には大きな鞄が掛かっており、擦り切れたバスの定期券入れがぶら下がっていた。

 その券面には、間違いなく『伊佐見 渚いさみ なぎさ』と記載があった。有効期限はもう間もなく切れるところだ。

 御剣みつるぎ高校二年、文芸部員の伊佐見渚。

 そして先程まで【勇者】カトラス・マクスウェル、人呼んで『ダガーの剣』であった少年である。

「いさみ……なぎさ」

 口から出る声は、久しぶりに聞く自分と同じ声だった。


×   ×   ×


 窓を開け、新鮮な外の空気を吸い込む。ここはあの物語の中ではない、と自覚するまで時間は大して掛からなかった。机の上に置いてあったコピー用紙には、びっしりと印字されたMSゴシック体の羅列が見える。何処から読もうか悩んだが、再び机に置いて今は私室から出ることにした。階下に下り、身支度を整えるためリビングに向かう。新居に来て日が浅いような、ぎこちない足取りで。

「おはよう、姉さん」

「おは……えっ?」

「その声聞くの、なんだか久しぶりな気がするよ」

「なぎっ!?あんたまさか…」

 出勤前の身支度を終えようとした伊佐見法子は、弟が久方ぶりに見せる垢抜けた笑顔に目を見開いた。

 ふてぶてしくもなく、たまに見せていた大人らしさでもなく、よく知っている弟の顔を引き寄せ、強く抱きしめる。

「……おかえり、渚」

「うん、ただいま」

 短く言葉を返し、渚はすぐに法子から離れた。照れくさいのかまだ分からないことが多いからか、室内をじっくり見渡している。

「ははっ、うちの中、ぜんぜん変わってない…」

「そりゃあそうよ。迅くんたちが来たら驚くわね」

「…みんな、元気にしてた?」

「ええ、もちろん。あんたカトラスとも仲良かったし。まさか、あんたが自分の書いてた小説の勇者と入れ替わるなんて…何事かと思ったわよ」

「それは僕の台詞だって。まるでリアルな夢を見ていたみたいだ」

 渚の言葉に苦笑しつつ、法子は久方ぶりに話す弟からあれこれ聞きたくて仕方がないと言ったような表情を見せた。

「ねぇ、吟遊詩人と盗賊と戦乙女の活躍ぶりはどうだった?」

「…どう見ても奏士くんと迅くんと姫川さんだったけど」

「あら、バレてた」

「当然だよ。途中で助太刀してきた魔法使いと猛獣使いは、姉さんと岡本先生だし」

「ええ。まおーがどうしてもって言うから」

「まおー…?そう言えば結局、魔王とマジョーリカは見つけることができなかったけど…何だか悪い事したな」

「どうしようもなかったのよ…魔王もマジョーリカも最後まで一緒ならば、って言ってたから、カトラスが二人の墓標をつくろうって提案したの。みんなで頭振り絞って続きを考えたけど、読んでくれた?」

「まだだよ。自分で体感してるから変な感じがするけど…すごい量だから、じっくり読みたい。一気に読んじゃいそうだけどね」

「ふふ、楽しみにしてなさい?カトラスがあんたの肉体強化だって毎日歩いて登校してたんだから、体力はかなりついた筈よ」

「はは…何だかあいつらしいな。あとさ」

 何か大事なものを探しているのに、肝心なその何かは家の中に居なかった。もしかしたらもう二度と会えなくなっていて、あえて法子が触れようとしない可能性もある。しかしそれならそれで良かったのかも知れないと、渚は空っぽになった籠を見つめた。

「…あと?」

「いや、なんでもない」

「…そう」

 姿は見れていないが、きっと何処かの居心地がいい場所で寛いでいるのだろうと不思議と確信が持てた。無事、生きているならそれでいい。

 

 洗面所で顔を洗い歯を磨き、一通りの身繕いをして壁時計の針が午前七時三十分を指す頃。

 以前の渚ならこの時間まで寝ていた。しかし今朝は慌ただしく身支度することなく、既に家を出られるような状態になっていた。朝食を終えたダイニングテーブルに腰掛け、優雅に紅茶を啜っている。

「…あんた、今日はやけに段取りいいわね」

「当然だ。伊達に勇者を続けていないからな」

「なによそれ!まったく、可愛げないなぁ…ほんと、アイツにそっくり!」

「…それは…嬉しいような恥ずかしいような…」

 他愛のない会話をしているうち、玄関の呼び鈴が鳴る音が聞こえた。渚は立ち上がって鞄を背負い、玄関に向かう。

「…それじゃ、行ってきます」

「あっ!待って、ナギ」


 法子が静止する前に、渚が玄関を開錠して扉を押し開く。

 目の前には人影がなく、渚は首を傾げた。

「うにゃぁぁぁん」

「へ?」

 声が聞こえた方へと視線を下げた先には、ふっくらとした猫が一匹佇んでいた。長毛種のヒマラヤンと思しきその猫は、渚の顔を睨みつけるように見上げている。

「猫ちゃん!あれ、何で…?」


『小僧、図が高いぞ』

 吾輩はまおーである。 


END

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我輩は「まおー」である。 椎那渉 @shiina_wataru

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