『冒険の幕開け』
『──ここは何処だろう?やけに荒涼とした風景が広がっている。
明らかに僕の知っている場所ではなかった。道路に飛び出してきた猫ちゃんもいない。そう言えばあの子は無事、助かったのだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら地面から顔を上げ、身体を起こした。
「勇者カトラス!貴様、よくも生きて帰って来たな?」
道行く人々が告げる名前は、僕の名前ではない。何でカトラスと…僕が書いている小説の主人公の名で呼ばれるのだろう。不思議に思ったのは目が醒めて暫くしてからのことだった。道端の水溜まりに映る自分の顔は、見覚えのない男のものだ。目つきが鋭く左頬に傷があり、短い黒髪には血がこびり付いていた。そんなことある訳がないだろうと思いつつ、あのトラックが迫った時強烈に願ったことを思い返す。僕は僕の望んだ世界に生きてみたいこと、カトラスのような勇者に憧れて、この話を書いたのだと。呆然と立ち尽くす僕の表情は実に情けないものだった。しかし男なら、危機が迫った時こそ高らかに笑うものだ。水鏡に映るカトラスに、そう言われた気がした。腹の底から笑い声を上げたら、少しだけ憂鬱な気分が吹き飛んだ。
今、この物語を読んでいる友へ。
手にしている羊皮紙が尽きそうだ。路銀も少ない。ひとまず僕は、
× × ×
「…これって…」
「明らかにナギ、だよな。この小説の中にいるの。でも、カトラスって呼ばれてる…?」
「……」
当のカトラス本人は、コピー紙に書かれている自分ではない自分を呼ばれている状況にむず痒いような恥ずかしいような、不思議な感覚だった。何故かは分からないが、この身体の主である伊佐見渚が勇者カトラスとして物語の中に帰還したらしい。しかし街の人々に掛けられる声の辛辣さは些か辛くはないだろうかと、柄にもなく彼のことが心配になった。
「最終話で、カトラスと魔王は相討ちになっている。続きとしてはカトラスが転移魔法で自分の居場所を変え、人知れず平穏に隠居する予定だ、って渚からは聞いてたけど」
「…魔王と、その、マジョーリカは?もし、小説の中で息絶えて居たら…」
「それは大丈夫と見て間違いないかな。3人とも行方不明と言うか、消息をぼかしてるから」
「なら、真弓ちゃんや…猫さんもこの話の中にいる可能性があるのかな」
慎矢の言葉に、一同絶句する。小説を書いていた作者や彼を取り巻く人物が、作者の小説に主人公として現れる。そんなことがあるのだろうか?常識ではありえないが、既に猫が喋っている時点でさもありなんと納得せざるを得なかった。
「これって、この事を知ってるオレたちに完結させてほしいって事なのかもな。隠居するルートじゃなくて、カトラスが倒した魔王とマジョーリカの安否を確認しに行く旅を始めるってことなんじゃ?」
「だとしたら、筆をとるのはおまえが適役だろ。身体はナギだし」
「…俺が、この話を…?」
一斉にナギラスを見遣る面々に、当人はたじろぎつつコピー用紙を見つめる。物語を綴ったことなど生きてきた中で一度もなく、酒場に居た吟遊詩人の歌ですら聞き流してきたくらいだ。そんな自分がこの世界を完結させることができるのかと、大きく息を吸って吐き出す。病院で目が覚めた時に微かに残っていた、伊佐見渚としての自意識は今や殆ど無くなっている。ならば自分がやる必要があるのだろう。否、やらねばならないと強く拳を握った。
「それまでの物語は、俺自身が生きてきた歴史そのものと言う事なのだろう。問題はそこから先、おまけに
「うん、それで大体合ってる。3人を助ける方法は?」
「うまくカトラス…伊佐見渚を動かして、我が妃と入れ替わった娘と吾輩の痕跡を見つけ出し遭遇させる…そこから先は成り行きに任せるしかあるまい」
まおーがムスッとした表情でそう言うと、ナギラスを一瞥した。縮こまる様子はないが、困惑するのも無理は無いだろう。まおーは岡本マジョーリカの膝の上からとんと軽やかに下りて、優雅に歩くとナギラスの膝の上に飛び乗った。
「吾輩は魔王である。非力な貴様に暫し力を貸してやろう」
「まおー…おまえ…」
「勘違いするな。吾輩とてこのまま毛むくじゃらに居座るのは少々窮屈だ。それに我が妃たちの手を握れぬではないか」
猫の手をぎゅっと丸め、まおーがナギラスの額をぺちりと叩く。まるで叱咤激励しているかのような仕草に、周りにいた面々は思わず笑みを零した。
「ひとりだけだと
「そうそう。なるようにならなきゃ、面白い話は書けないわよ」
「ふふ…ライバルと手を組んで問題解決って、物凄く燃えますよね」
ジンが簡単に手立てを考えると、法子と姫がにやりと笑う。
何よりカトラスたちは、創作物の登場人物である。ならば物語の中に戻って然るべきで、それまで自分たちは一蓮托生なのだと悟った。敵対していた者、すなわち魔王と目が合い、ナギラスはふてぶてしく笑った。
「俺たちの戦いはまだ、終わってはいない。そうだろう?」
「フン…ようやくその眼が戻ったか」
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