ロンドン・コーリングな黒歴史

きつね月

ロンドン・コーリングな黒歴史


 「ロンドン・コーリング」というアルバムがあるのをご存じでしょうか。

 1970年代後半から80年代前半にかけてイギリスで活動したパンクロックバンド「クラッシュ」を代表するアルバムの一つなのですが、収録されている曲はもちろんのこと、そのジャケットの写真がとても有名なのです。ベースのポール・シムノンがステージ上でギターを振り上げて、今まさに床に叩きつけて破壊しようとしている瞬間を捉えたその写真を、見たことがある人も多いかもしれませんね。


 何でこんな話をしたのかというと、私の黒歴史と関係しているからです。

 ええ実は、私はこの人生においてたった一度だけ、その「ロンドン・コーリング」になったことがあるのです。


 どうでしょうか。

 こんなことを突然言われて、無事に頭の上にハテナマークは浮かびましたか?

 まあよければもうちょっとだけ聞いてください。


 その昔、私は歌手になりたかったのです。


 過去形ということでまあその顛末はお察しですが、当時の私はそれなりに必死でした。なんの当てもなく上京して、なんの当てもなく活動して、うまくいかずに悩んだりして、ボーカルスクールに通ったりして、ライブに出たり、オーディションを受けたり、我ながら色々やりました。

 あの日に受けたオーディションもその活動の一環でした。

 オーディション、と一口に言ってもその種類は様々ですが、あの日のそれは、歌手というより劇やドラマなど、芸能志望の人を集めた比較的真面目でかっちりしたものでした。

 私はそこにギターを担いで颯爽と現れました。もちろん、他にそんな奴はいません。ここはライブハウスではなく、比較的真面目でかっちりしたオーディション会場なのです。そんな雰囲気のなかで、私の姿は浮きまくっていました。

 ええ、言い訳をさせてもらうと、当時の私は焦っていたのです。

 とにかく目立たにゃいかんだろう――と、そういう思考でした。

 六十人ぐらいでしょうか。大体そのぐらいの人が集まった会場で、しかし私の暴走はそれに止まりません。

 私の発表の番が来ます。

 後ろにたくさんの参加者が見ていて、目の前に審査員(どこかのなにかのプロデューサーさんだったはず)がいるその状況で、私はおもむろにギターを取りだし弾き始めます。しつこいようですが他にそんなことをしている奴はいません。

 とにかく目立たにゃいかんだろう――と、そういう思考でした。

 この中で一番目立つぐらいのことができず、何が歌手か。何がスターかと。

 もちろん、実力で目立てるならそれでいいのです。

 しかし、私が取った手段はそうではなく、「ロンドン・コーリング」でした。


「え……?」


 という誰のものかもわからない声が聞こえた気がしました。

 突然曲を中断した私は、次の瞬間、弾いていたギターを逆さまに持ち、それを振り上げ、思いきり床に叩きつけていました(なぜそんなことをしたかと言われれば、そうすれば目立つからです。そりゃそうですけど、悪い方で目立ってどうすんだよ)。


「……」 


 鈍い音と共に叩きつけられたギターは、きれいに真っ二つに折れるかと思ったけどそうはならず、中途半端に取れてしまったペグを私は拾い上げました。

 しん、とした雰囲気の会場。 

 もちろん、ここはそういう場ではありません。ライブハウスじゃないんです。真面目なオーディション会場なんです。

 その空気は凍りついていました。

 どん引き、というやつです。


(……やっちまったかな)


 と私も薄々感づいていましたが、もうどうしようもなかったので逆に落ち着いた感じを出して引き上げました。

 

「……ギター、壊れちゃったみたいだけど大丈夫?」


 と、最後に話しかけてきたどこかのなにかのプロデューサーさんの声は、若干震えていました。たぶん猛烈に怒っていたのだと思います。そりゃそうです。でもちょっと怖がってもいたのかも。そりゃそうです。やべえ奴だもん。目立てばいいってそういうことじゃねえから。

 その後のことはあまり覚えていません。

 しかし、「合格者だけでなく不合格者にも連絡する」と言われていたはずなのに、私のスマホにはなんの通知もありませんでした。たぶん出禁になったのだと思います。そりゃそうです。

 焦っていたのです――という言い訳の機会も失われた私は、その日はなぜか清々しい気持ちを胸に抱いて家に帰りました。冷静になった私が、その後何年にも渡って今日のことを思い出しては、あああっ、やってしまった、あれじゃただのやべえ奴じゃん、死にたい、消えたい――と叫びたくなることなんて思いもせず、いい気なものです。


 以上、これが私のロンドン・コーリングな黒歴史でした。


 どうでしょうか、ちゃんとどん引いて頂けましたか?(もしクラッシュのファンの方がいらっしゃったらすいません。「名盤を汚すな」と言うお叱りは甘んじてお受けいたします)。

 なんか改めてこうして書いてみると、意外と大したことはなかった歴史かもしれませんが、でもキーボードを打つ私の手は今でも確かに震えています。まるであの日のプロデューサーさんの声のようです。この場を借りてごめんなさい、と言いたいです。ごめんなさい。許してください。焦ってたのです。


 しかし、最後にこれだけは言いたい。


 黒い歴史でも歴史は歴史。ないよりあった方がまし。

 破れた夢でも夢は夢。ないよりあった方が、ずっといい。


 ロンドン・コーリングこちらロンドンと、今でもあの記憶は私にそう呼びかけ続けています。


 思い出すと恥ずかしいし、何年経っても新鮮に、あああっ、てなりますが、それはそれ。結局歌手にはなれなくても、ギターを床に叩きつけたあの日の私は、確かにロンドン・コーリングでした。ええ、意外と後悔はしてません。ほんとですよ。

  

 黒い歴史と化したあの日の夢は黒く輝き、今でもこの人生を黒い光で照らし続けています。その光は暗いくせになんだか温くて、破れたはずの夢はうまくいかなかったくせになぜか穏やかで、今でも案外私の人生を肯定していて。

 なんか、これはこれでいいなとも思うのです。


 まあ、やっぱり思い出すと恥ずかしいんですけどね。


 

 



 


 

 

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