鬼と魚【外伝】〜嘘〜

加藤那由多

『嘘1話』

 あるところに、吸血鬼がおりました。

 彼は何百年も生き続け、さまざまなことを経験してきました。

 現代の彼は血に飢えておりました。

 しかし、彼は決して人を襲いませんでした。

 人を襲いたい衝動はありましたが、それ以上に人への恩があったからです。

 なけなしのバイト代で魚を一匹まるごと買い、その血を啜ることで飢えを凌いでいました。

 しかし、それだけでは足りませんでした。

 そのうちに彼は、自身のDNAに刻まれた人の生き血をお腹いっぱい飲みたいという欲望に勝つことができなくなり、道ゆく少女に襲いかかってしまいました。

 彼の運の悪いところは、この時点で二つありました。

 一つはその少女がただの人間ではなかったこと。

 もう一つはその少女に気に入られてしまったことでした。

「へぇ、アンタ吸血鬼なんだ。アタシはまり。妖怪とかそういうのに詳しい普通の女の子。ちょうど新しいペットが欲しかったんだよね。ねぇ吸血鬼、ウチのペットにならない? アタシの所有物としてケージの中で見せ物になってくれればいいの。その代わり、衣食住は保証する」

 断ることはできませんでした。提案が魅力的だったからではありません。

 襲ったはずなのに逆にボコボコにされた現状を鑑みて、勝てないと悟ったからなのです。

 そのまま彼は少女の家に連れ帰られ、シャワーを浴びて小綺麗な服に着替えた後、リビングにあるゲージに入れられました。

「ウチはいろんなペットを飼ってるんだ。ツチノコハーピー八百比丘尼。それから新入りの吸血鬼

 たしかに、彼の入ったゲージの他に様々な怪異が閉じ込められたゲージがありました。

「あんたの隣が八百比丘尼のゲージね。お腹空いたら飲ませてもらって。遠慮しないでね。八百比丘尼は傷とかもすぐ治るし、アタシの言うこと聞くように躾してあるから。それじゃあアタシは用事があるから行くね。みんなと仲良くするんだよ。吸血鬼〜」

 そう言って少女は出ていきました。

 部屋には、彼と少女のペットが残されました。

 彼はひとまず、八百比丘尼に話しかけることにし、隣のゲージを覗いてみました。

 そこには、ゲージの中の浅い水槽に尾鰭を畳むようにして浸かっている女性の姿がありました。

「はじめまして。吸血鬼の菊一郎きくいちろうです。あなたが八百比丘尼さんですよね。鞠さんから、あなたの血を飲むよう言われています。飲んでもいいですか?」

「はじめまして。私は千夜ちや。私の血は好きに飲んでいいけど、条件がある。ここから逃げるのに協力してほしい」

 彼は戸惑いました。来たばかりの自分に何ができるのだろうか、それに今までまともな生活をしてこれなかった彼にとってここが逃げ出したくなるような環境には思えなかったのです。

「どうすればいいんですか?」

「彼女は新しいペットを手に入れると、数日以内にお披露目会を開く。ケージを車に積んで、大きなパーティー会場まで持って行くの。お披露目会の日、あなたに私の血液を飲みきってほしい。そして移動中の車であなたはゲージから手を少し出す。私は、その手を突き破って、血を元に体を復元する」

 それは、不死の二人が集まったからこそできる作戦でした。

「作戦はわかりました。でも、俺にはここから逃げる理由がありません」

「あのケージの子見て」

 彼女が指差したケージには、丸裸の子供がいました。

「人間に見える? あれハーピーなんだよ。鞠が自分のペットを自慢しようとしてハーピーの毛を全部むしって前のパーティーで配ったの。私も何度も経験ある。私の場合は鱗を取られた。すぐに治るからそうは見えないだろうけど、何度も何度も痛い思いをした。彼女にとって不死のペットは無限に自慢アイテムを作れる工場なんだよ。傷つく前に、一緒に逃げよう」

 彼は頷くと、いただきますと呟いたのち彼女の指に歯を突き立てました。

 夕方。少女は帰ってくるなり、吸血鬼のお披露目会の日程を告げました。

 それから十回の夜を過ごし、お披露目会の日がやってきました。

 彼は約束通り彼女の血を全て吸うと、久々の満腹感を味わいながらゲージごと車に乗せられました。

 少女は助手席に座り、その横には雇われの運転手。後部座席にボディーガードが一人座り、その後ろに彼の入ったゲージがありました。

 車が橋を走るタイミングで、彼はその長い指をケージから外に出しました。

 指先に微かな痛みを感じ、そこから血が漏れ出していきました。その血は意思を持ったように動き出し、人のシルエットを形成すると、徐々に肉を獲得していきました。

 突然の出来事に、車に乗っていた人間の全員が動けなくなっていました。ボディーガードが自分の仕事を思い出した時には、彼女は車のハンドルを思いっきり左にきりました。

 そして車は橋の柵を突き破り、そのまま川へ落ちてゆきました。


 壊れたケージの中で、彼は目を覚ましました。川は思っていたよりも深く、だんだんとケージごと沈んでいるのがわかりました。

 彼は壊れた部分をさらに破損させ、作った穴から外に出ました。

 十日ぶりの自由を手にした彼は、水面に向かって泳ぎ始めました。

 水面から顔を出すと、橋の上で騒ぐ人間を見つけました。どうしようか迷っていると、八百比丘尼が遅れて顔を出しました。

「大成功。ありがとう」

「こちらこそ」

「よければ私と一緒に来ない? 鬼と魚が組めば、きっと無敵だよ」

 彼は彼女の手を取りました。これが、千年にもわたる物語の始まりだとも知らないままに。


【※『鬼と魚』本編はこのような内容ではございません。本編公開後にもう一度読んでいただき、その温度差をお楽しみください】

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