ごと、がた。ばたばた

牛戸見しよ蔵

バチンッ

 また、だ。また音がする。

 

 濡れている髪に触れたまま、私はドライヤーのスイッチを切った。

 音が消える。まるで最初から鳴っていなかったかのように。ドライヤーの騒音がなくなり、辺りがしんと静まり返る。……やっぱり気のせいなのか。「風呂場で一人シャンプーをしていると、後ろに誰かが立っているような気がする」あの感覚には慣れたはずなのに。風呂から上がってきたばかりだが、おそらく今の時間は午前一時――いわゆる深夜帯だからだろうか。家族はみんな二階で寝てしまって、一階にいるのは長らくスマホをいじって夜更かしをしてしまった私だけ。日中聞こえる人の声が無いから、感覚が過敏になっているだけだろう。

 そう思って、またドライヤーで髪を乾かし始めた。


 

 ごと


 がたっ


 

 再び手を止め、ドライヤーを切った。

 ドライヤーの騒音に紛れて、壁の向こう――洗面所の外から確かにまた物音が聞こえた……気がした。案の定、辺りは静まりかえって何も聞こえない。気にしすぎも大概にしたほうがいいだろうか。再びドライヤーを点けた。

 ――別に、怖いとか思っているわけじゃない。気づかないうちに二階で寝ている家族が一階へ降りてきて、私がぼけーっとドライヤーをかけている途中急に洗面所の扉を開けられるのが嫌なだけだ。いつもノックもせずに開けるからビックリするし何より心臓に悪い。いや、それを「怖い」って言うのか?



 ばたっ


 バタバタッ



 また音だ。さっきより大きい。

 反射的に切ったドライヤーをそのままに耳をそばだてる……も、やっぱり何も聞こえない。音が大きくなったってことはもしや何かが近づいてきてる、ってことなのか? 変な想像が頭をよぎり、得体の知れなさに身体が強張る。頭で「怖い」と感じると、いつも使っている洗面所も自然と注視してしまう。

 風呂場に続くこじんまりとした横長の脱衣所、洗面所一面に張られた鏡三つ、開けるとガチンッ! と錠前の音がする背後の片引戸。――その明り窓から覗く暗闇。

 今いる洗面所が明るい分、目はじわりじわりと闇のほうへ向いた。

 ちくしょう誰だよ、居間の電気を消したやつ。「あともう二階に上がって寝るだけだろうから洗面所以外電気使わないよね。節電節電」って一階の電気全部を消して風呂に入ったやつ! 自分か。自分だ。


 ……どうにも、動けなかった。このままドライヤーをかけ続ける勇気もなければ、思い切って扉を開けて闇を暴く勇気も私には無い。鏡をに映った、中途半端に湿った髪を触る自分を見つめながらただ硬直するしかなかった。――が、



 ごろごろごろ……

 パチンッ


 

 ふと、静寂を破るように遠くで音がした。二階からだろうか。


 

 はた、はた、はた……

 


 何かが擦れる音。聞き覚えがある。スリッパの音だ。ということは、ひとつ前のは引き戸が開いた音と押しボタン式のスイッチが点いた音か? ――想像がつく。父か母が寝室から出てトイレに向かおうとしているんだ。

 一気に、肩の力が抜けた。

 そうか、さっき髪を乾かしていた時の音も、要は両親のどちらかがトイレに行ったからだったんだ。両親は一緒の部屋で寝ているし、片方が布団から起きたらもう片方も目を覚ますはず。目が覚めたついでにトイレに行くこともあるだろう。

 ――なんだ、結局は気にしすぎだったのか。一人勝手にになっていた。張り詰めていた空気から解放され肩が軽くなる。ドライヤー以外――私が起こす音以外に、音があった。それに何よりも安堵した。

 多分この後、階段を降りて一階のトイレに行くのだろう。無音の一階から突然私が姿を現して逆にビックリさせるのも悪いから、早く私も髪を乾かそう。やっぱり、一人より二人のほうがたとえ杞憂の恐怖でも心強い。再びドライヤーのスイッチを入れた。


 

 ペタ、ペタ、ペタ、ペタ……


 

 すると間を置かず、ドライヤーが吹かせる音に混じってすぐ後ろ――引き戸の近くで何かが歩いてくるような音がした。「まだこんな時間まで起きてるのか」と親が呆れているのだろう。髪を乾かす手は止めない。



 ペタ、ペタ、ペタ



 ――そういえば。



 ペタ、ペタ、ペタ



 家のトイレは全部で二つ。一階と二階に一つずつ置かれている。



 ペタ、ペタ


 

 両親はいつも二階のトイレに行く。



 ……ペタ。



 じゃあ、この近づいてくる音はなんだ?


 ドライヤーを点けたままそんな事を考えたのも束の間、



 バチンッ



 背後の引き戸が独りでに開いた。

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ごと、がた。ばたばた 牛戸見しよ蔵 @ox32

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