洞爺湖にて

島尾

ある一日の記憶

 あるとき、洞爺湖という湖があることを知った。まだ私が小学生のとき、テレビのニュースで、サミットをやっているのを見たからだ。首脳陣が笑顔で記念写真を撮っていたそのバックに、湖の中に浮かぶ島があったのを記憶していた。

 それから10年あまり経ったあるとき、洞爺湖がモデルとなったアニメを見た。それで洞爺湖のことを再度思い出し、是非訪れてみたいと思った。

 それから10年弱経ったつい最近、とうとう念願の洞爺湖に訪れることが叶った。行きたいと思ってから実際行くまでになぜそんな時間がかかったかというと、北海道が国民的人気を誇るからだ。みんなが良いと言っているところに行くのが嫌だったのである。

 思い出深い10個の体験をしたが、ここでは「サイロ展望台」での思い出と、そこから湖畔まで歩いたときの一つの風景、その2つについて書こうと思う。



 サイロ展望台


 洞爺湖は火山の破局的噴火によって誕生したカルデラ湖である。湖の周りを囲うように標高が高くなっていて、その高い位置から湖を見下ろすことができる。その一つにサイロ展望台がある。それを知ったのはホテルでゴロゴロしながらスマホをいじっていた時だ。

 湖が綺麗であった。湖の真ん中に浮かぶ島の見え方がホテル周辺の低地から見たのと違うのが面白かった。これは訪れずとも想像可能だろう。勿論実際の感覚は、単に綺麗だとか面白かったという言葉だけで表現するには浅かった。しかしここではそれに触れるのは避けて、別の体験について書こうと思う。

 洞爺湖はリゾート地でもある。実際、外国人観光客や金持ちとしか思えない人が多かった。私のような貧乏人から見て、羨ましいというのを超えて楽しそうに見えた。彼らのほとんどがニコニコしていたからである。それを横目に見つつ、一人の貧乏人がはわぁー、などと呟きながら湖の絶景を眺めていた、その時だった。


「イクスキューズミー」


 声を掛けられた。


 私の英語力はレベル1か2で、さすがに「すみません」は理解できたものの、次に発されるのが何なのかびくびくして、


「テイクアフォト」


 という言葉を瞬時にかけられてた。それで、ようやく安心して「分かりました、撮ります」と言って、その人が差し出したスマホを受け取った。当然カメラのアプリが開かれていたのだが、その画面を目にした時に急激な感動が湧いてきた。「写真」「ビデオ」「パノラマ」などという、普段日本語でしか見ない部分が、韓国語だったのである。

 なぜそれだけのことに対して一瞬で感動したのだろうか。

 まず、英語で話しかけられて振り返ったらそこにはニコニコした顔のアジア人男性がいた。私は中国人だと確信した。中国の富裕層が多いのはニュースの情報のみならず、苫小牧駅から洞爺駅までの特急列車内においても、中国語の話し声が多く聞こえたからである。そういうわけで日本人以外のアジア人は中国人だと確信していた。しかし実際は、韓国人だったのである。私のつまらない思い込みは、ハングルの文字によって破壊された。その後にやってきたのが、先に書いた急激に湧き起こる感動だった。

 結局、日本語しか話せない私は、突発的な感動を与えてくれた韓国人と何も話すことはなかった。一人でニヤニヤしながら、敷地内の売店に入って行った。アニョハセヨ、キムチ。これしか思いつかなかったし、英語もできない。ここに来て、英語の勉強を放棄したことが損を招いた。


 売店から再び出てきて、再び絶景の洞爺湖を眺望すべく、展望台へ向かった私。そこには先客がいたものの、やや距離を取って眺めていた。


「すみません」


 せっかく距離を取っていたのに、先客が近づいてきて話しかけてきた。こう書くとそれが不快だったと思われるかもしれないが、そのような感情は欠片もなかった。運良く日本人であり、写真を何枚か撮ってください、とのことだったので、撮った。

 問題はカメラアプリが開かれたスマホ画面だった。「写真」「ビデオ」「パノラマ」等の部分が、英語だったのである。日本人なのになぜ英語なんだ、外資系か? と思いつつ、特に不快というわけでもなかった。これが日常だったら違う結果になっただろう。金持ちに対する嫉妬が、少し出たかもしれない。そして日常の風景といえば満員電車、意図的に作られた建物の床や壁、何千回と見た歩道の敷石、酔っぱらいのゲロ、捨てられた空き缶、大量の黒山。小さな嫉妬が大きなものに変わる可能性がありはしまいか。

 この日本人が話しかけてきたことにより、最初の韓国人によって頭がお花畑になっていた私は、少し冷静さを取り戻した。冷静になって、帰ろうとしたとき。スマホで調べたら、1番早いバスが6時間後に来る予約制のものいうことを知った。一瞬にしてバスを諦め、観光客があまりいなさそうなところの湖畔に向けて徒歩で向かうことにした。



 ある一つの洞爺湖の風景との出会い


 大噴火で発生した火砕流によって形成された広大な台地に、まっすぐな太めの車道があった。私は歩道のほうを歩いていた。最初は広大な畑に雪が積もって白銀の原となっている様子に圧倒されていた。しかし、まっすぐな道を1時間も歩いてもずっとその景色なのでいよいよ飽きてきた。そんなとき、やっと右手方向に湖畔へ下るための坂道が現れ、見飽きた雪原とお別れした。山にたくさん生える白樺に興味を示しつつ淡々と下り坂を歩いていた、そのとき。

 私は、なんでもないことを思いついた。ちょうど山と山の間の谷に差し掛かり、湖が再び姿を見せたときだった。ここいらで立ち止まって湖を再度眺めてみよう、と。

 そこは観光客のための場所とは思えない、ただの道。高い旅費に見合う価値のなさそうな、人っこ一人いない、たまに一台の車が通るだけの、湖畔へ向かうためだけにあるような道。昼は人、夜は鹿が通り過ぎていくだけなのだろうと思える。

 観光客向けでない「展望台」からの景色は、1時間前のサイロ展望台からのそれと比べたら(美しいものの)物足りないと思えた。

 しかし。

 一つの、今までに経験したことのない新しい感動が、一瞬にして私を包んだ。

 音が一切無かったのである。無響室でもないのに、風の音すら聞こえなかった。鳥も鳴かず、車も通らず。通ったら通ったで、車のタイヤが道路をこする音のみの洞爺湖の風景。これは物理学的に音がゼロというわけではなかった。本当の無音なら、耳の中の感覚器官が動くことによって耳の中で音が聞こえるからだ。しかし無音洞爺湖を見たとき、耳の中すらも無音だった。海辺なら、あるいは湖岸なら、穏やかな波の音が繰り返される。自分が、いつからかは分からないがはるか昔に、波の音が聞こえるのが湖の必要条件として認識し定義していたことに気づかされた。洞爺湖は、標高の高いところから湖を見下ろした場合には、穏やかな波の音は聞こえない。考えてみれば当然のことを、実際に明示した。洞爺湖だけでなく、その後ろにそびえる荒々しい輪郭の有珠山や昭和新山もそうだ。現在噴火していない火山は、たとえ見た目が荒々しくても、遠くから見れば無音である。荒々しい火山が常に爆音をとどろかせているという自分の中の勝手なイメージは、ここで一気に崩れ去った。

 展望台でもない、名もなき高い位置から感ぜられた湖は、景色という目で見るものではなかった。静寂という、耳で認識される自然の存在だった。

 ところで、洞爺湖は破局的噴火によって誕生した。その際、とんでもない力で空気を震わせ、鼓膜が一瞬で破れるだろう大爆音を発しただろう。その過去が、静寂な洞爺湖からは一切想像出来ないまま終わった。現在の静寂が私全体を包むことによって、過去の超巨大爆発音を想像することを不能にされた。そのような経験だった。

 再び1時間も歩いて風景に飽き飽きしたころ、やっと湖畔にたどり着いた。そこでは、穏やかな波の音がちゃんとあった。

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洞爺湖にて 島尾 @shimaoshimao

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