#8

 まりとかぐは都で三日間過ごした。

 食事は慎矢の家で馳走になった。彼は料理上手で、かぐのためにもわざわざ食事を鉢に用意してくれた。本当に好い男だ。

 ぜひかぐを写生したいというので、飯の礼に付き合った。ついでにまりの絵姿も描いてくれて、こんなことなら夫を引っ張ってでも連れてこればよかったと言うと、また今度描きましょうと請合ってくれる。

「父さん、腰を痛めてるのに一人でしょう。心配だから、早く帰ってあげてよ」

 本当はもっと長居したい気持ちもあったが、ゆみがそう言うので、引き上げることにした。娘の元気そうな顔を見られて十分だ。

折角描いてもらった絵は、帰路で潰れちまわないようにと理由をつけてゆみの家に置いてきた。

「じゃあね、かぐ。仕事が落ち着いたらまた会いに行くからね」

 ゆみに頭を撫でられて、かぐは目を細める。

「父さんにもよろしくね。もう齢なんだから、あんまり無茶しちゃだめだって伝えてね」

「はい、はい」

 まりは鷹揚に返事をする。あの人はまあ、大丈夫だろう。

 けれど。

 恐らく、ゆみがかぐに会うことはもう適わないだろう。見た目はずっと変わらないけれど、かぐは最近眠っていることが多くなった。昔ほどの食欲もない。月から迎えが来るのもそう遠くないだろう。

 そうして、私も。

 ゆみはしきりに父の心配ばかりしていたが、母ももう齢なのだ。けれど、母がいなくなるのは想像がつかないのだろう。まり自身そうだった。まりの母もまた、最期の日まで家の仕事をしていて夜床に就いてそのまま起きてこなかった。まりも、最近はなんとなくずっと調子が悪い。家の用事さえなければ、いつまでも眠ってしまいそうな感じだ。自分の体なのにはっきりしないのもまた、おかしなものだ。

 けれど、昔ほど死を畏れぬように思われるのも、宮様のお蔭だ。

 最後の手紙を受け取った数ヶ月後、宮様が薨御された。戴いた手紙をようやく開いて読んだのは、宮様が儚くなって後だ。

 宮様からの手紙に、まりが恐れていたようなことは何も書かれていなかった。ただ昔を懐かしみ、まりの今後の平穏を祈る言葉が綴られていた。

 まりは宮様に文を返さなかったことを悔いた。宮様がまりに手紙を寄越したのも、どこぞで珍しい犬の話を聞いたためだと疑っていたのだった。

 けれど、実際その麗しい紙面に認められていたのは、自らの死期を悟ってなお他者の倖せを祈る姿だった。

 畏れ多くも、今ならまりもその心境が僅かながら分かる気がした。まりの隣では、小さな犬が深淵を湛えた瞳で月を見上げている。

 夫とかぐが山に出掛けた折に、まりは一人で庭に出て火をくべた。炎へ向けて、宮様からの手紙をそっと投げ込む。みるみる燃えて、煙が立つ。かぐが、まりが、野辺送りになる時も同じように煙が上がるのだろうか。煙は上へ上へと、天を目指す龍のように昇っていく。





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白雲は月まで昇りて 香久山 ゆみ @kaguyamayumi

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