100人に聞いてみた!「武蔵野は何処か?」

大輪 小輪

インタビュー記録 一部抜粋

Case.1 旧武蔵野市在住 会社員男性(24)

はあ。武蔵野はどこか、ですって?

いやあ、面倒なこと考えますねえ、あなた方も。

そうだなあ。少なくとも今ぼくが住んでいるここは、もう武蔵野とはいえないんじゃないですか?

ほら、“野”なんて、どこにもないし。

いや、前までも住宅街とかビルとか、“野”って感じは全然しなかったんですけどね。でも、一応緑地公園とかあったわけだし、言い訳の余地はありましたよ。

けど、もうここは……ねえ?

(男性は少し屈み、摘むようにして足元の土を手に取る。それをインタビュアーの前で手放すと、風に吹かれて空へ舞い散った)

もう、砂漠って言う方が妥当でしょう。あれ、でも砂漠って雨の降らない地域を指すんでしたっけ?それじゃ、まあ砂地、とかですか。ともかく、“草原”とか“野原”とは言えないですよね。

もしかしたら数百万年後とかには、また武蔵野って言っていい日が来るのかもしれないですね。もしくは、また戻ってきたら、とか。

……えっ、それじゃああっちの方は、ですか?

ええ、うーん。どうだろうなあ。まあ、あっちなら確かに武蔵野、でいいんじゃないですか?そっくりそのまま残っているんですし。

あっ、でもそうか。

さっきも言いましたけど、あっちだって見た目はもう“野”っていうより、都会ですよね。

じゃあ、これを機に名前は変えた方がいいかも。

候補?ええ、そこまで考えるんですか?あっ、別に気の利いた答えじゃなくても、テキトーでいい?そういうことなら。そうだなあ、うーん……

(五秒程度、考えているふうに首を傾げる)


まあ、「武蔵島」でいいんじゃないですか。



Case.28 某大学勤務 国文学者(56)

武蔵野はどこか。自分が国木田文学の研究に身を費やすようになってから常々考えていたことではありますが、現在ほど頭を悩ませていたことはありません。

まず、大前提として国木田の『武蔵野』では、朋友から届いた手紙に記されていた次の「武蔵野の範囲の線引き」に対して『すこしの異存もない。』と記しています。

いわく、“雑司谷から板橋の西側をとおって川越近傍に達し、入間郡を包むように立川駅まで引く” “八王子が決して入らないように、多摩川を際として上丸辺まで下り、丸子から下目黒へと結ぶ。これまでが西半面である” “東半面は亀井戸あたりから小松川へかけて、木下川から堀切を包むように千住近傍へと結ぶ”とのこと。また、その周縁の町外れも武蔵野だとしています。

そして、これらを「武蔵野である」とした理由の根幹には、当時の風景があります。彼は人々の生活と、緑豊かな自然が密接しているその環境に、地域としての個性を見出していた。もしも、国木田がここ十数年の東京の街並みを見ていたら、すぐにその線引きを改めることになるでしょう。

まあ、現在の風景を見たら、線を引く前に筆を落として絶句することになりそうですが。

(インタビュアーと学者は共に声をあげて笑う。おおよそ二十秒後、笑いおえた学者は、深いため息をついた)

さて、以上を踏まえて本題に戻ります。まず、私の中で出ている確固たる結論としましては、緯度経度から国木田が”武蔵野”と定義していた範囲を、現在も”武蔵野”と呼称するのは全く相応しくないと考えます。もうあの場所に、彼の見出していた個性の痕跡はありません。


そして、問題の……ええ、太平洋沖に移動した、武蔵野台地の大部分を含む土地についてですが。


私個人としては、あの土地を”武蔵野”と呼ぶことにも、強い抵抗を覚えます。あくまで、国木田が示した武蔵野は、都と自然の汽水域としての意味合いが大きい。それのみを切り取っても、武蔵野としての個性はそこに存在しない、と考えています。

ただ、そうですね……

仮に、仮にですよ。世間で囁かれているとおり、この土地の長距離移動が妖怪、あるいは神の仕業とするのなら。

移動した先の土地は「自然と社会の密接した地域」ではあり、ある意味“新武蔵野”と呼ぶのに、相応しい場所であるのかもしれませんね。



Case.68 現調布市在住 自称漁師(34)

えっ、インタビュー?いやいや、ぜひ。ちょっと待ってください。

(漁師が乗船していた舟を、以前は多摩川の河原であった岸へと近づける。海面と接した箇所の植物は全て枯死していた)

よいしょっ、と。はい、お待たせしました。今日は海が凪いでいて、かなり大漁でしてね。見ます?ああ、見ない?そうですか、それは残念。

ああ、すいません。インタビューでしたよね。いいですよ、なんでもお答えします。

……は?武蔵野は、どこか?

あー。へえ、なるほど。そういう感じですか。

いや別に、気を悪くしたってわけじゃないです。ただ、生まれてから今まで、そんなこと考えたこともなかったからなあ。

んー。まあ、でも普通にあそこなんじゃないですか?ほら、武蔵野市とか所沢とか、あの辺り。

ああいや、こっちじゃなくて本州の。

そりゃ、昔の姿の見る影もないってのは当然ですけど。元々そうやって呼ばれていたんだから。自然でしょう?

えっ、ここ?いや、それは絶対に違いますよ。

だって、ここはだいだらぼっち様の背中の上なんですから。他人の、ましてや神様の背中に勝手に名前をつけるなんて、なんだか気持ち悪いでしょう。

……あれ、あんた。もしかしてピンときてない?

もしかして、だいだらぼっち様のこと、信じてないクチですか?

その反応、やっぱりそうなんだ。

いや、別に悪かないとは思いますよ。信じる信じないなんて、人の自由ですから。

ただ、テレビの人なら見たでしょう。衛星からの映像。


だいだらぼっち様が、はいはいの体勢で前進する姿。

完全に手足、映ってたじゃないですか。


俺だってそれまで、幽霊とか神様なんて信じちゃいませんでしたけどね。あれを見たらもう、信じるしかないですよ。

ああ、話が逸れましたね、すいません。でも、結局そういうことですよ。

俺たちはだいだらぼっち様の背中の上に住んでいる。そして、神様の背中に勝手に名前を付けるのは据わりが悪い。だから、ここを「武蔵野」とは呼べない。

……って感じで、どうです?答えになってますかね?


Case.100 国立だいだら研究所 職員(28)

初めまして。本日はようこそお越しくださいました。

それで、今日は「武蔵野はどこか?」ということについて、お話を伺いたいとのことですね。

念のためにはなりますが、本研究所はあくまでこの直下にある土地を、生物学、地質学的視点からの調査を目的とするための施設です。当話題について本質的には門外漢であり、話す内容についてもあくまで僕個人の意見であるということは、ご承知いただけていますでしょうか。

ええ、それならよかったです。

それでは、本題に移りましょう。ただ、意見を話す前に、現時点での研究成果についてお話させてください。

まず、以前まで武蔵野台地の大部分を占めていた土地ですが、現在までの調査で、生命反応に類似する物質の循環が認められました。

つまり、本土地を“生物”としてみて差し支えない、ということです。

では今後、本生物を「だいだら」と仮称して話を進めます。

だいだらの形状は移動時に衛星で確認できたように、四足を有しているものと思われます。あるいは“だいだらぼっち伝説”をなぞるのなら、二手二足なのかもしれませんが。

そして、本州にいる時はコタツの中のネコのように丸まっていましたが、現在、太平洋上では四肢を伸ばして直立するような体勢をとっています。岩層や泥層の構成が、骨格や関節の役割を果たしているようです。

また、だいだらの生命のあり方についても、現在有力な仮説があります。それは、本州に接続時、だいだらは一種の乾眠状態だったのではないか、というものです。

乾眠とは、クマムシなどで主に見られる、仮死と似たような状態です。クマムシは一定量の水分の摂取により活動状態に戻りますが、だいだらも何らかの外的刺激に基づいて、活性化したのではないか、と。


……さて、長々と話をしてしまいました。

ここまでで私が言いたかったのは、既にだいだらは生物学的にある程度理解、解明ができてしまった存在である、ということです。

一部では超自然的で霊験あらたかな存在、妖怪や神といったふうにもて囃されていますが、それは明らかな誤解ですよ。


で、結局私の結論はなんなんだ、ということですが、いたってシンプルです。

「どこでもいい」ですよ。

だいだらは既に科学的解明が進んで、この土地は「生物の表皮である」という結論を得た。そして、生物の表皮であるというだけで、それ以上の特別性は有していません。

インタビュアーさんはご存知ですか?世界にはサンゴ礁で出来た島、なんてものが存在するんですよ。なら、だいだらの背中もそれは単に島、といって差し支えないものでしょう。

つまり、根ざす神秘性で優劣を与え、それを名付けの根拠とすることは既に不可能です。それに優劣をつけるなら「どちらにその名を与えた方が便利であるか」でよろしい。名称というのは本来、それによって物事を区分し認識を明瞭にするための、道具にすぎないのですから。

そして、それらを踏まえた上で、その名の付与がどのようにされたところで、私個人にさしたる影響はない。

だから、別に武蔵野がどこかなんて、どうだっていいんです。


ただ。

聞けば、“武蔵野”って元から、曖昧模糊とした定義の言葉だったのでしょう?

ならこの際、明瞭な定義を与えて、正しく道具としての価値を与えてあげた方が言葉のためにもなるんじゃないでしょうか?


……

以上が、武蔵野島(旧だいだら)が初めて確認された二●●四年当時に行われた、「武蔵野」という名称に関するインタビュー記録である。

なお、武蔵野島は二●●五年現在、北大西洋上、沿岸距離500kmの位置に滞在している。

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