2 仕事が終わり


「おつかれ~ぃ! 嬢ちゃん」


 夜。私が想術犯罪対策課のリビングへ入ると、灰狼はいろうさんが声をかけてくれた。そのニカッと笑った表情に、私はキョトンと首を傾げた。


「いやァ、嬢ちゃんが単体で犯人を捕まえちまうなんてよ」

「ああ、それですか」

「なんでェ。嬢ちゃんはあんまし元気ねえみてェだな」

「いや、そういうわけじゃないんですけど……めちゃくちゃ緊張しちゃって疲れました……」


 私はリビングのソファに座り、一息つく。犯人を無事に逮捕できたのはいいのだが、その後つくしくんが落ち込んでしまい、なだめるのが大変だった。そんな様子だけ見ると、子どもの我儘に見えるが、盡くんは橙朧人ダウナーを攻撃したがっていた。それが私の心をモヤモヤさせる。


「残りもんだけど嬢ちゃんも食べな」

「……ありがとうございます」


 机にはどこかのスーパーで買ってきた寄り合わせの総菜が机に並んでおり、半分以上食べつくされていた。食卓にはリオちゃんがいて、携帯をいじりながらから揚げをつまんで食べているほか、その横で照太しょうたくんがぐったりと項垂れている。何かあったのだろうか。


「あれ。課長とつくしくんは?」

「怒られてやんの。嬢ちゃんは気にすんなァ」

「わがまま言ったせいですか?」

「あァ。盡のやつ、最近ストレスが溜まってんのかね……」

「そうよ、アンタが来たせいで、ね」


 話に割って入ったリオちゃんは、箸で私を指し、睨みつけて告げる。


「えっ」

「おいリオ」

「アイツはね、橙朧人ダウナーを定期的に殺さないと死んじゃう病なの。だからアンタが殺すなって言って徹底してるから、ストレスでおかしくなる。いつか暴走するかもね。暴走ってのは、私たちが皆殺しにされるって意味よ。アンタのせいでね」

「そういう言い方はやめねえか」


 灰狼さんは、低い声でリオちゃんを制止する。その圧にリオちゃんは舌打ちをして押し黙った。


「……すみません」

「嬢ちゃんが謝ることじゃねえ」

「平和主義の甘々協教師メンター様じゃ理解できないんじゃない?」

「はあ……全く手前は」


 リオちゃんはもう一つから揚げをつまんだ後、冷たく続ける。


「アンタが来て三か月。抹殺した橙朧人ダウナーの数は十人にも満たない。私たちの仕事は、橙朧人ダウナーを逮捕することじゃない。橙朧人ダウナーを殺すことよ。それなのにアンタは私たちに橙朧人ダウナーを生かして捕らえろって言う。必ずしも生かすことが良いわけじゃない。アンタのその甘さはね、いつか人を傷つけることになるし、きっと後悔する。橙朧人ダウナーはこの社会に必要のない人間のこと。それを生かすってことの意味を、いつかアンタは知る」


 リオちゃんは小さく「ごちそうさま」と呟いて席を立った。私はリオちゃんの言葉に何も言い返せず、ただ押し黙ることしかできなかった。


「気にすんな。手前のこと、リオは心配してんだ」

「はあ!? ボケてんのジジイ!」

「だってそうだろォ。わざわざ警告してやるなんてよ、気にしてんじゃねえか」


 豪快に笑う灰狼さんに、リオちゃんは顔を真っ赤にして抗議する。


「ち、ちがうし! こんなやつのこと……! どこをどう取ったらそうなんだよハゲ!」

「おれァはありのままに言っただけだぜ。おっと顔が赤いなァ」

「こんんの……!」

「おい。お前たちうるさいぞ……」


 その時、白いシャツを着たクールビズ仕様の七楽ならく課長が仕切りの向こうから顔を出した。


「いたの課長」

「ああ。お前の正論もきちんと聞いていたぞ。だが言い方が悪すぎるな。本来は人殺しなど何があっても許されない。そこは杜若かきつばたさんが正しい」


 課長は仕切りを横に避けてリビングに入ってくると、私の隣に座った。


「今回の犯人は聴取の必要があった。奴の周辺を調べたが、動機が一切わからんかったからな」

つくしはどうだァ?」

「なぜ橙朧人ダウナーを殺してはいけないのか、その意味を自分なりに考えているんだ。これまでは問答無用で殺していたからな。一種の成長だよ」


 課長は私の方をまっすぐに見て、肩を叩く。


杜若かきつばたさん。君は今回一人でよくやってくれた」

「い、いえ……」

「今日はもう解散にしよう。明日、容疑者浅田晃一あさだこういちの聴取を行うぞ。担当は私と断汶たもん燈護とうごは……まだ謹慎だ。非番も含め、それ以外は待機だ。いいな」


 課長は手を叩き、解散の音頭を取ると、冷蔵庫から取り出したビールの詮を開け、一缶一気に飲み干した。かなり疲れているようで、ため息を吐いたのちソファに座り込んでしまった。私は皆さんに軽く挨拶をしてからアパートを後にする。


 私は帰路で思わずため息を吐いてしまった。理由は、盡くんのことを含めて思うことがたくさんあるからだ。先日の〈東雲しののめ製作所殺人事件〉以来、納戸なんどさんは謹慎を命じられている。独断専行で相場あいばさんを追い、殺してしまったことを問題視されたからだ。

 ――――――雨の中、相場あいばさんを殺した時の顔が忘れられない。

 憎悪に満ちた、絶望の表情。とても恐ろしくて、とても悲しい。そんな顔の納戸さんに、私はあの後何も言うことができなかった。

 彼の過去と橙朧人の関係性はとても根深いものがあるのだろう。それは盡くんも同じで、彼の行動原理―――なぜ好きの意味を問うのかということ、橙朧人ダウナーを殺すことに執着する理由も、気になって仕方がない。

 私は先ほどリオちゃんに言われた言葉が頭をよぎる。私のせいで、彼らが傷ついているということなのか――――――。


「はあ……だめだだめだ。気にするな私!」


 私は自分の頬をはさむように引っ叩き、足早に帰宅した。


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