ヒーローの条件《obbligato》
1 逃げる男
1
容疑者は京都市内の宝石店のガラスを割って中に侵入、宝石数点を強奪ののち逃亡。現在も市内を逃走中だ。
容疑者は人の多い繁華街を逃走中、
現在、
一般人に
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
逃走中の容疑者
次第に近づいてくる山際が、巨大な闇の塊のように見えてきた時、浅田の口元が不意に引きつった。
「逃げ切れる……このまま行けば逃げ切れる……」
先ほどまでけたたましく町中に響いていたサイレンの音は止み、夏の虫の声だけが聞こえている。小さな道を進み、地蔵の横を抜け、田んぼの畦道を通ると再び大きな街道へ出る。
「イメージだ……あの人が言った通りに……」
浅田はある人物に
スパイ映画のようにビルの谷間を潜り抜け、跳躍し、素早いステップで追っ手を躱す――――――そんな子どものような想像を訓練するかのように入念に行っていた。
「逃げる……逃げる……逃げる……」
うわ言を呟く浅田の速度が、次第に上昇する。
自転車の速度に――――――そして車に追いつき、やがて追い抜いた。
「ハハッ……はははははは!!!」
――――――想像する。もっと。逃げる自分を。逃げ切れる自分を。
そして自身の速度が人間離れしていたことを認識した浅田は、全能感のような快感で満たされた。
快感が頂点に達した浅田は、地面を蹴り上げ、目の前の河川敷から川に向かって跳躍する。
――――――空を飛んだ。
体が宙に浮き、その速度を保ったまま宙を突き進む。
月が手に入る。遥か彼方で光り輝く満月を仰ぎ見て、うっとりと手を伸ばす。
もう、想像のままに、何でもできる――――――。
全能感。あの
だが、浅田の解放感が頂点に達したタイミングで、白い影が月を塞ぎ、頭上に立ちふさがった。
「……え」
手が届きそうだった月が消え、浅田の手の先に少年が現れた。
純白の羽――――――淡い光を放つ大きな翼。光る天使の輪。その持ち主は、浅田を冷徹な眼差しで見下ろす。まるで〈天使〉のような少年の表情が浅田の全能的な想像を遮り、脳内に冷たい現実を流し込んだ。不安が芽生え、表情が曇る浅田に対し、少年はゆっくりと語りかける。
「……ねえ。人を好きになるって、どういうことなのか教えて」
「……は」
少年は細い腕を頭上に掲げる。
光の粒子が少年の腕に集約し、輝きを放つ。そして腕を浅田に向かって振り下ろす。
「!!!!!」
その瞬間、巨大な圧が男を上から押しつぶした。直角に叩き落され、川に落下した浅田は、激しく水面に叩きつけられる。巨大な水柱が立ち上がると、水しぶきが上空にいた少年のすぐ傍まで迫った。
「ゴバァッ!!」
浅田は何が起こったのかわからず無我夢中で水をかき分け、もがき、なんとか川岸までたどり着く。
「げほっ、げほっ!!」
少年は川から這い上がる浅田の前に天上から降り立つと、再び頭上に手をかざす。
恐怖で息が詰まる――――――。
よく見ると青黒い靄のようなものが、少年の頭上で巨大な渦を創り出していた。浅田はそれが何なのかわからなかった。ただその渦に触れれば最後、自らの命が吹き飛ぶ―――そんな想像が脳裏をよぎる。
この少年は自分を殺そうとしている。次第に浅田の意識が硬直し、視界が揺らぎ、心音が大きくなっていく。
死ぬ――――――だが少年が腕を振り下ろそうとした瞬間、ピタリと動きが止まる。
『待て
「……なんで?
少年は誰かと通信で繋がっている。少年の表情が一気に曇り、顔色が悪くなる。
『ダメだ。その男には聞きたいことがある』
「……なんで?」
『なんでもだ』
少年は手のひらに集約させた青い靄を乱暴に霧散させ、死んだ魚のような目をしたまま頬を膨らませる。
「……
浅田はゆっくりと歩み寄ってくる少年に対する恐怖が頂点に達する。怯え、川辺に落ちていた石を投げつけて抵抗するが、石が顔面に当たる瞬間、燃え尽きるように光の粒子に変わって消えた。
「な、なんなんだよお前ぇ……!」
少年は這いずる浅田の腕をつかむと、その細腕からは考えられないほど軽々と体を持ち上げ、そのままボールを投げるように容易く――――――向こう岸まで投げ飛ばした。
「……わかんない。なんで
向こう岸まで飛ばされた浅田は河川敷に全身を打ち付け、痛みで悶絶する。
逃げなければ殺される。逃げなければ――――――。
命に指がかけられている感覚が、浅田を見苦しくつき動かした。折れてしまった左腕を何とか庇いながら立ち上がって、よろよろと歩き出す。
しかし、少年が浅田の後を追うことはなかった。拗ねるように川岸でしゃがみ、次々と石を川に投げ入れ始める。そんな様子に、オフィスでバックアップをしていた照太が無線で声をかける。
『
しかし、少年からの返答はなかった。
『こうなったら仕方がない。私が
『
『わかった』
フラフラと
「あ、
浅田はその女性の姿を目に焼き付け――――――何かが自分の体を貫通する感覚がしたのち、すぐに意識を失った。
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