6 式神


 事務所から出た納戸燈護なんどとうごは、東雲しののめ製作所本棟の隣にある小さな建物の前で立ち尽くしていた。建物の外観は、三階建ての民家ほどの直方体、といった様子で窓はなく、あるのは鋼鉄でできた自動扉だけだ。燈護は外周を回って、建物に侵入する隙がないのを確認すると、小さくため息を吐く。


「さて……これを開けるには……」


 その横で、烏羽からすばリオが困った様子の燈護をニヤニヤ眺めている。


賦殱御魂ふつみたま使ってもハッキングできなかったんだし、開くのは無理じゃね」

「ふむ。逆に言えば外からの警備に厳しい分、中に警備は敷かれていないと思うんだがな」

「どういうこと?」


 燈護は腕を組んでこくこくと頷くと、胸ポケットから透明な瓶を取り出す。頭にはスプレーがついており、それをいきなりリオに振りかけた。


「ちょ! 何すんのよ!」

「少し待とう。おそらく定期的に式神がやってくるはずだ。メンテナンスのためにな」


 燈護は自分にもそのスプレーを振りかけると、近くにあった茂みに身をひそめる。


「ねえ、これって」

「透明になる傀具かいぐ、その名も泡沫ウタカタだ。手に入れるのは骨が折れる。値段がとても高い」

「いくらすんの?」

「一つ130万円ちょいだ」

「たっか!」

「経費で落としたから大丈夫だ」

「うっわ、やるわね……それより中に入って警備が作動したらどうすんの?」

「大丈夫だ」

「最後の自信はどっからくんのよ……」


 そんな会話を繰り広げるうちに、燈護の読み通り式神と思われる男性が一人建物に近づいてくる。作業着を着ていて、どこかのプラントで作業をしていた様子だった。


「ほんとに来たし」

「行くぞ。式神自体に危機管理機能はないはずだ。だから透明ならバレずに接近できる」

「もしこれで入れたら、警備ザルにもほどがあんでしょ」


 二人は式神の後ろにぴたりとつけ、慎重に歩みを進める。式神が扉の前に立つと、すぐにロックが解除される。中には大量の白い人型・・が置かれており、妙な薬品と傀朧カイロウの気配で満たされていた。中に入った式神はまっすぐポッドのような装置へ向かい、中で眠りにつく。すると、隣のポッドから違う式神が出てきて、入れ替わりで建物を出る。


「なぁるほど。これが、前川が言っていたメンテナンスってわけね」


 二人は中のポッドを覗き込む。ポッドの中に入った人型は、顔のない白い人形の姿に変わり、動かなくなっている。


「現代の式神は主に、札の形で持ち歩くことが多い。だが、ここの式神たちは人形・・をベースにしているみたいだな。あとは管理番号とやらをどうするかだが……データにハッキングはできん」

「いや、そうでもなさそうよ」


 リオは先ほど式神が出てきたポッドから、紙きれを一枚拾い上げる。


「多分ここ、データ管理を紙でやってるみたいね。外はシステム、中はアナログって、よっぽど所長はシステムを信用していなかったみたい」


 その紙には、式神の識別番号と作られた日付と時間、それに製作者の名前が記録されていた。


「リオ。なぜ中だけアナログだと思う?」

「知らないわよ」

「隠ぺいが簡単だからじゃないか? システム管理は嘘がつけない。だから表向きの警備や品質管理はシステムでやり、社外秘の式神システムにはあえてこんなアナログ方式を採用したんだ。きっと犯人はそこに目を付けた」


 燈護は中に監視カメラが一台もないことを確認し、部屋の入口にあったゴミ箱に目を向ける。


「まさか。そんな馬鹿な事する?」

「する。なぜなら犯人には時間がなかった。一刻も早く証拠を消し去り、現場に戻らなければアリバイが崩れる。欠片でも見つかれば儲けものだ」


 燈護はそう言って、一心不乱にゴミ箱を漁り始める――――――。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



つくし、くん……?」


 私が見たのは、楽しそうに刀をへし折る盡くんの姿と、その横で膝をつき、絶望の表情で盡くんを見る刀太さんの姿だった。盡くんは、庵の中にしまってあった刀を次々と手にとっては、床や壁に何度も打ち付け、折っていく。


「盡くん何してるの!?」


 私は咄嗟に、盡くんの傍まで走り、腕を握りしめた。その力が強かったのか、盡くんは一瞬体を震わせ、行動を止める。


「何でこんな酷いことを……!」


 盡くんは、ゆっくりと私の顔を見上げる。その瞬間、楽しげだった表情が暗転し、綺麗な瞳が泥のように曇る。


「……なさい」


 小さく呟いた言葉は、曇る瞳とともに、水面に伝う波紋のように大きくなっていく。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ぼく、悪い子じゃない……だって、だって……」


 盡くんは泣きながら蹲り、体を震わせる。私は盡くんの様子に、得体のしれない何かを感じとり、無意識に抱きしめていた。


「違うよ、怒ってないよ。訳を聞かせて……?」


 しばらくそのままでいると、盡くんは次第に落ち着いてきたようだ。小さな手で私の腕を優しくつかみ、小さくまた「ごめんなさい」と呟いた。

 盡くんが何をしていたのかはわからないし、どうしてそのようなことをしたのかもわからない。しかし、震える盡くんのことを意識すればするほど、何となく思っていた考えが表面化する。

 この子は、虐待を受けていたのかもしれない――――――それもきっと、私の予想をはるかに超えたものかもしれない、と。


 そんなことを考えていると、刀太とうたさんがゆっくりと立ち上がってこちらに近づいてきた。彼は無言で盡くんが落とした最後の一本を拾い上げ、大きく振りかざす。


「刀太さんっ……!?」


 私は斬られると思い、盡くんを庇いながら目を背ける。しかし、聞こえたのは刀の折れる音だった。


「……その子を責めないであげてください」


 消えそうな声で呟いた刀太さんは、折れた刀の持ち手を地面に落とす。


「その子が……あれからすぐ刀を作りたいって訪ねてきたんです。ちょうど最後の打ち込みをしていたところだったから、それを仕上げる間に庵に入れた。そしたら……刀を見つけて突然折ったんです」


 刀太さんは目に涙を浮かべていたが、どこか爽やかな表情だった。


「最初は何が起きたのかわからなくて、放心してた……でも急に怒りが湧いてきて止めようとしたんです。そうしたら、その子が……『壊すために作っているんでしょ?』って言ったんだ」

「……壊すために?」


 私は何がなんだかわからず、もう一度盡くんを見つめる。


「どういう、ことなの……?」

「……」


 盡くんは俯いたまま、私の問いには答えてくれなかった。刀太さんは代弁するように、思いを吐き出した。


「それを言われた時、俺はどうしようもなくバカだったんだって気づいたんです。その子の言う通りだった……親父の後を追って、ガキの頃夢見たものを追って、納得のできないものを作り続けていた。才能のひとかけらもないのに……!! 壊すために作ってたんだって!!」


 刀太さんは歯を食いしばり、拳を握りしめる。


「その後はずっと、彼……盡くんが刀を壊すのを見ていました。その楽しげで幸せそうな顔を見ていたら、もうどうでもよくなっちゃって。俺はバカだって……」


 刀太さんは不意に立ち上がり、盡くんの傍に寄る。そのまま頭に手を置いて、落ち込む盡くんを慰めた。


「ありがとう。俺、決心がついたよ。もう刀作りに未練はない」


 刀太さんは、庵の外に出て、空を仰ぐ。


杜若かきつばたさん……俺、自首します。俺が、東雲膳勝ぜんしょうを殺しました」

「そ、んな……」


 信じたくない。違う。彼は嘘を吐いている。彼は殺してなどいない。なのに――――――刀太さんの清々しい表情の前に、私は言葉を失った。


「刀づくりは、心だ。親父がそう言ってました。俺はガキの頃、親父が作る刀が好きでした。ここでずっと見ていた。いつか俺も作りたいって、そう思ってた。でも、叔父はそれを商売道具に変えた。親父の心も技術も全部壊した。全てを奪われた親父は、病気になって死にました。最後まで……今際の際まで刀を作りたいって、そう言い残して」


 刀太さんは、淡々と言葉を紡ぎ、己の心境を吐露したように見える。それはきっと紛れもない真実だろうが、言葉にあるような殺意や憎しみは微塵も感じられなかった。


「ずっと、殺してやりたかった。だから殺したんです。父の作った最高の傀具刀かいぐとうで」

「違う!」


 私は刀太さんに詰め寄って、必死になって叫んだ。


「嘘です。殺してなんていない。あなたはお父さんの心を守ってきた。この庵で、ずっと一人で守ってきた。そんな人が、刀づくりを心だと言った人が、刀で人は殺せません!」

「!!」


 刀太さんは私から目を背ける。


「どうして誰かを庇うんですか? あなたに罪を着せようとするような人を、どうして……」

「もういいんだ。もう、疲れたんです。自分にも、この工房にも。だから頼む! 俺を逮捕してくれ。俺がやったんだ!」


 その時、盡くんが立ち上がり、刀太さんに賦殱御魂ふつみたまを向けた。その表情は先ほど怯えていたとは思えないほど、暗く、冷徹なものだった。


神断Judgement十二決議Resolution―――傀紋色位イマジナリーブランド蒼黒クリアブルー。抹殺対象ではありません』


 結果は、シロ・・。刀太さんは犯人ではない。


「さっき見ました……傀朧深度かいろうしんども〈2〉。刀太さんは想術犯罪者ではありません。だから、連れていけません」

「……そう、ですか」


 私は盡くんの手を引いて、東雲庵から離れる。私は沸々と怒りが湧いてきていた。刀太さんの思いを利用し、自らの犯行の濡れ衣を着せようとしている真犯人に対しての怒りだ。絶対に許さない―――私は真犯人を捕まえたいと強く思った。


「待ってください」


 刀太さんは私たちの後を追って声をかけてくる。


「なら……容疑者・・・として連れて行ってくれませんか? 真犯人のところへ」


 刀太さんの瞳は先ほどとは違い、少しだけ力強かった。それを見た私は、小さく頷く。


「わかりました。お父さんを利用し、あなたも利用しようとした真犯人を、私たちが絶対に暴きます」


 その時、タイミングよく賦殱御魂ふつみたまに連絡が入った。


『すまない。遅くなったが、材料はそろったぞ』


 納戸なんどさんからの連絡だった。私は唾をごくりと飲み込む。


『今から犯人をあぶり出す』


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