4 東雲庵


 随分と歩いたように感じる。広い工場の敷地内には、たくさんの縦に長いプラントがあり、その横を進んで山際へ向かう。十分以上歩いてようやく山際までやってきた私と納戸なんどさんとつくしくんの三人は、工場の塀に沿って進行方向を変えた。

 しばらく進むと塀が途切れ、山に続く一本の道が現れる。道沿いを進み、木々の間を抜けると、綺麗な小川が見えてきた。


「綺麗な川」


 私がそうつぶやくと、つくしくんが川に入ろうとしたので、腕を引っ張って止める。


「ついたぞ。ここだ」


 目の前が急に開け、小さな庵が現れる。盡くんは川で遊びたかったようで、名残惜しそうに背後の川を見つめていた。私は目の前に現れた古びた庵を見る。木造で、とても年季が入っていそうな建物の傍に、東雲庵しののめあんと書かれた古い看板が立てかけてあった。


「ここ、ですか?」

「ああ。ここは刀匠、東雲流の発祥の地……今の東雲製作所ができる前は、ここが傀具かいぐ刀の生産拠点だった」


 納戸なんどさんは扉の前まで行くと、少し強めに扉を叩く。


「たのもー!! 刀太とうた! 入るぞ!」

「へっ? たのもー?」


 驚く私を尻目に、納戸さんは引き戸を勢いよく引き、ためらうことなく中に入る。盡くんも納戸さんの真似をして、「たのもー」と呟いてから後ろに続く。

 私が引き戸の前から中の様子を見ると、畳の上で横になっていた作務衣姿の若い男の人が、納戸さんを見るなり驚いて起き上がった。


「……燈護とうごか?」

「ああ。久しぶりだな、刀太」


 男の人はまるで死人が生き返ったのを見たように、信じられないといった表情で納戸さんを見つめる。私も庵の中に入らせてもらい、中の様子を横目で観察する。庵の中は工房兼住居のようになっていて、物が驚くほど少なかった。私が見たことのない道具が壁や畳の上にいくつか置いてあっただけで、生活感がまるでない。

 

「お前何で……煉獄刑務所タルタロスから出られたのか?」

「自分のことはどうでもいい。それよりもお前は事件の容疑者になっている。今朝起こった殺人事件のこと、知っているのだろう?」


 目を泳がせる刀太さんを置いて、納戸さんは淡々と続ける。


「今朝早く、お前はここにいたのか? それとも工場の生産ラインに行ったか?」

「ちょっ……納戸さんストップ!!」


 私は突然すぎて頭が混乱したので、納戸さんの腕を引いて下がらせる。


「む……事件のことを聞いているぞ」

「ストレートすぎますし、いきなり現れていきなりそれだと、相手さんも混乱すると思います」


 私は刀太さんの前に出て、手帳に入った身分証明書を見せる。


「えっと、すいません。私たちは想術犯罪対策課そうじゅつはんざいたいさくかの者です。お話を聞きたくってここに来ました。私、杜若愛生かきつばたあおいと申します」


 私が頭を下げると、刀太さんは目を丸くして私と納戸さんを交互に見つめる。


「想術犯罪対策課って、法政局の……?」

「はい。いきなりすいません……」

「い、いえ。ちょっと驚いて。燈護が来たもんだから……」


 刀太さんは頭を掻くと柔和にほほ笑んで、部屋の奥から座布団を持ってきた。


「それに、誰かが訪ねてくるなんて珍しかったので。お茶しか出せませんが」

「い、いえ! お構いなく」


 刀太さんは私たちに気を遣って冷えたペットボトルの緑茶を用意してくれた。断ろうにも、気づけば二人がぐいぐい飲んでいたので、私もいただくことにする。


「それにしても、想術犯罪対策課って……噂には聞いているけど、お前がそこにいるなんてな」

「お前こそ、まだここにいたなんてな。昔と全く変わってない。ここの雰囲気も、お前の顔も」

「そりゃどーも。お前もガキの頃からあんまし顔変わってないぞ。その調子も相変わらずだぜ」


 庵の中はどこか昔懐かしい雰囲気や匂いがして、気持ちが落ち着く。私はお茶をすすって、気になることを聞いてみる。


「刀を作っていらっしゃるんですよね。傀具だって聞きました」

「はい。ここは、東雲しののめ家が代々工房にしてきた場所なんです。東雲家は千年前、平安の時代から存在する刀鍛冶の一族でした。玉鋼たまはがねに特殊な加工を行い、刀そのものを傀具にしてしまう技術を持っています」

「玉鋼……? すいません、私素人で……」

「ねえねえ。ぼくも刀作ってみたい」


 刀太さんはつくしくんを見て優しく微笑み、工房の方を指さす。


「あっちで作るんですけど、材料とかがちょっとなくて急には作れないんだ。ごめんな。よかったら、刀の作り方くらいは紹介しますよ」

「いいんですか? ぜひ聞きたいです!」

「もちろん。こういうのも、久しぶりですし」


 そう言ってまず見せてくれたのは、でこぼこザラザラした鉄の塊のようなものだった。


「これが玉鋼。たたら製鉄って聞いたことありますか?」

「えっと、昔もの●け姫で見たやつ……ですか?」

「そう、それです。ふいごを踏むやつです」


 ちょっとわかったのが嬉しくて、私はつい笑ってしまう。


「その製法で作られるのが、この玉鋼です。これを打ち延ばして加工していく。この作業を水へしって言います。そうして得られた素材を重ねて、炉で熱し、一つの塊にする。ここから鍛錬……つまり折り返して重ねて打っていく。こうして硬くて強い鉄にしていきます」


 刀太さんは、道具を次々と指さし、最終的に鉄をつかむペンチのような道具と小槌を右手でつかみ、私たちに見せた。


「刀はただ硬いだけでは意味がない。折れないようにするにはしなやかさも重要です。ここで、心鉄しんがねという柔らかい部分を作り、硬い層で覆う作業をします。うちの流派は使用者の持つ傀朧カイロウを刀に集約し、器とするための特殊な術を折りこんでいく……これが千年間受け継がれてきた東雲流の肝です。こうして特殊な心鉄しんがね皮鉄かわがね……硬い層でくるんで、平たい棒状にしたら、打ち延ばす」

「なるほど……勉強になります」


 私はメモを取りながら頷いた。説明をしている時の刀太さんの表情がとても明るくて、私も楽しくなってくる。


「ぼくもやってみたいのに……」

「そうだね。やらせてあげたいのは山々なんだけど、打つのが高温でちょっと危ないから、もう少し大人になってからにしような」

「つまんない……」


 不満そうな盡くんをなだめるように、納戸さんが真顔で頭をぽんぽん撫でる。


「刀太さんは、刀を作るのが本当にお好きなんですね」

「……ええ、まあ。でも父のようにいいものは全然作れなくって」

「いいかどうかは私にはわからないけど、刀が好きな刀太さんのような方が作るものが、後世に残っていくんだなって……す、すいません生意気かもですけど」

「……いえ。そんな風に言っていただけるのは初めてかもしれません」


 刀太さんは寂しげな顔で工房を見渡した後、畳に上がる。納戸さんはお茶を美味しそうに飲み干すと、刀太さんに呼びかける。


「刀太。悪いがこれを見てくれ」


 納戸さんは賦殱御魂ふつみたまを起動し、データフォルダから事件の写真を表示する。


「今朝、遺体が見つかった。東雲膳勝しののめぜんしょう、お前の叔父だ」

「……」


 刀太さんは、遺体の写真を一瞥し、すぐに顔を背けた。


「知っていたか?」

「いいや。知らない。でも、別に驚きもしない」

「なぜだ」

「いつか叔父は誰かに殺されると思っていた。遠くない未来に。それだけ色々なことをやってきた人だから」


 刀太さんの表情に、深い影が落ちる。納戸さんは、画面をスクロールさせ、もう一枚写真を見せる。


「この刀、“名刀火鐡かてつ”だ。それに、刀に刻まれた刻印、これはお前の親父さんが作ったもので間違いないな?」

「……ああ。そうだ」


 刀太さんは、暗い表情のまま静かに告げる。


「所長室の壁に、この刀が飾ってあるんだ。叔父が父から奪い取った刀……東雲製作所を設立したのは父だったけど、父と叔父の考えが合わず、父は会社を去った。それで結局、病気になって父は亡くなった。二年前のことです。俺には兄弟もいないし、母は早くに亡くなったから、残ったのはこの庵だけ。ほんと、バカバカしいよ」


 刀太さんは眼前に広がっている鍛冶場を、目を細めて見つめていた。まるでぽっかりと開いた心の空白を見つめるように。話の断片や、先ほどの相場あいばさんの話から察するに、彼と被害者の間には並々ならぬ確執があったのはわかる。被害者の死を目の当たりにしても、一切揺らぐどころか暗い感情を募らせるその表情に、私は押し黙るしかなかった。


「だから……殺したのか?」


 しかし、そんな私の心境を置き、納戸さんは冷たく告げる。


「凶器に、お前の指紋がべったりとついていたらしい。今入った情報だ」

「指紋……そうだよな」


 刀太さんは、一瞬驚いた後、すべてを諦めたように笑った。


「頼みがある。あと一本だけ……あと一本だけ刀を作らせてくれないか? それが終わるまでに証拠を固めておいてくれ。その後で俺を捕まえてくれればいい」

「えっ!? でも……それって」

「認めるのか?」

「今は話せない。頼む」


 納戸さんはゆっくりと、刀太さんに賦殱御魂ふつみたまを向ける。


「納戸さん……」

「それを決めるのは自分たちではない。こいつが決める」


 カメラに映し出されたのは、頭を下げる刀太さんの姿だった。


神断Judgement十二決議Resolution―――傀紋色位イマジナリーブランド蒼黒クリアブルー。正常状態です。抹殺対象ではありません』


 その音声を聞いた納戸さんは、賦殱御魂ふつみたまを強く握りしめたまま腕を下ろす。


「わかった。また来る」

「……すまない。恩に着る」


 納戸さんはそのまま何も言わず庵を出た。私はお茶を飲み干す寸前だった盡くんの手を引いて、納戸さんを追う。


「納戸さん! 大丈夫なんでしょうか……」

賦殱御魂ふつみたまは、大丈夫だと判断した。正常だった」

「でも……犯行を認めるような発言でした」

「確かに。だがどう見ても刀太は何かを隠している。それをあぶり出すには、もう少し調査が必要だろう。あれ以上突いても何も出まい」


 納戸さんは賦殱御魂ふつみたまを起動させ、通信を入れる。


『照太。聞こえるか』

『あ、はい!』

『監視カメラの映像は?』

『出ました。その……犯人、完全にわかっちゃったよ』

『えっ!? 本当なの照太くん』

『はい。犯行時刻、被害者の後を追うように生産ラインに入っていく姿がはっきりと映ってました。それに、出ていく姿も』


 照太くんは、一呼吸おいてからはっきりと告げる。


『犯人は東雲刀太です』


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る