エピローグ 人の本質

エピローグ


 想術師協会敷地内の辺境にある想術犯罪対策課のオフィス兼宿舎の外で、七楽ならく課長はタバコを吸いながら星を見ていた。灰狼はいろうが提出した報告書を賦殱御魂ふつみたまで閲覧し、先日自分が抱いた愛生あおいに対する考えが間違っていなかったことを確信する。

 じっくりと時間をかけて一言一句読みきった七楽は、静かに告げる。


「……奇跡か。いや、必然か」

「こんなとこにいたのか七楽」

「……先生」


 アパートのような庁舎から出てきた灰狼は寝間着姿で、下駄を鳴らしながら七楽に近づいた。


「もう先生はよせ。誰かに聞かれてたらどうすんだ」

「……いいでしょう、二人の時くらい。貴方はずっと私の師だ」

「けっ。こそばゆいっての」


 灰狼は七楽の近くでタバコに火をつける。二人とも吸っている銘柄は同じ〈スターピース〉というものだった。


「なあ七楽。お前、法政局ほうせいきょく来てから何年経った」

「私は十八の時に想術師協会に入りましたが、学生のころから父に連れられ法政局の事件捜査に関わっていた。私が法政局に入りたいと思ったきっかけは、十二年前に起こった“連続児童傀玉かいぎょく化事件”の捜査において、あの方の圧倒的な力を目にしたからです」

「……法政局最重要指定案件、通称〈浄霊院燵夜じょうれいいんたつや事件〉。おれも鮮明に覚えてる。あの時起こった最後の大規模粛清・・・・・は圧巻だった」

「浄霊院前会長のお姿は、まさに神のようでした。天罰を下すように、美しく、圧倒的に橙朧人ダウナーを裁いた……狂った話ですが、私は魅了され、あの人のようになりたいとさえ思った」

「おれも同じだ。対策課の前身の〈秩序維持課〉が出来て五十年くらいになる。あの人が創設に関わった重要な部署だ。おれはずっと〈秩序維持課〉にいて、あの人に憧れて正義を追い求めてた。青臭ェ若気の至りだ」

「……ずっと私は殺すことが裁きなのだと思っていました。そうすることでしか、想術犯罪者を取り締まれないと」

「だが、現れちまった。嬢ちゃんみてェな存在が」


 灰狼は賦殱御魂ふつみたまで愛生の経歴データを表示する。生い立ちから友人関係、きわめて個人的な趣味嗜好、一日ごとに計測される傀紋色位イマジナリーブランドなどのデータ―――これらは何の異常もない平凡なデータだった。


「なあ七楽。あの嬢ちゃん、おれは何かあると踏んでる。刑事の勘ってやつだ。これだけ調べても何にも出てこねえなんて、逆におかしいと思わねえか?」

「わかりません。しかし、彼女がここに来るまでの経過が不自然なことはわかります」


 七楽は暗転した真っ黒な画面を見つめ、目を細める。


賦殱御魂ふつみたまは、神が創ったものです」

「神ねェ……おれは信じてねえぞ。んなもん。もしいたら……ぶっ殺してしまうかもな」


 灰狼は真剣なまなざしの七楽の肩を叩き、豪快に笑う。


「深みにハマんなよ。知ろうとしすぎんな」

「申し訳ありません。私の生きる目的はあの事件・・・・から変わってしまった。正義とは何なのか。この世界……想術師に正義はあるのか。それをこの目で確かめるまでは止まりません。私が対策課に来たのも、それが目的です」

「……そうか。おれはあの時お前を助けた身だ。お前も、燈護とうごも、あの事件で人生が変わっちまった。今更止められねえことはわかってる。だからおれも協力するさ。でもな」


 灰狼は賦殱御魂ふつみたまを操作し、ファイルを添付したメールを七楽に送信する。ピコン、という小さな着信が届く。


「〈うつろ事件〉はまだ終わってねえ。確かな情報筋の話だ。奴の後ろのいるかもしれねえのは、〈復楽ふくらくの花園〉。そして奴らはとうとう派手に動き出すかもしれねえ」


 それを聞いた七楽の表情が一気に険しくなる。メールに添付されていた資料には、音声データが含まれていた。


「……必ず、決着をつけてみせます。失ったすべての命に報いるために」

「燈護には時が来てから言え。あいつ、絶対に暴走するからな」


 灰狼はそう言い残し、再び下駄を響かせて庁舎に戻った。一人残された七楽は、疼く右腕の義手を左手でつかみ、星空を見上げた。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 ――――――会場全体に響く巨大なビート音。

 色とりどりの光に照らされ、ミラーボールが回る会場の中心で、派手な恰好をした女DJが音を支配し、その周りで大量の裸の男女が狂ったように踊っていた。その様子を観察できる上階のVIP席はマジックガラスで覆われており、外から中の様子は一切見えないようになっている。

 そのVIP席の後ろ側にある豪華な来客用の座席に、少女と化野彰あだしのあきらが座っていた。少女は立ち上がり、ガラスの向こうの光景を見て口角を引きつらせる。


「おいおい。これやったのお前かリビア」

「そうですよ。空虚な心・・・・が見たいかと思って」


 男はリビアと呼んだ少女を一瞥し、小さく舌打ちをして化野に近づいていく。


「せっかく訪ねて来た客人に悪趣味な光景見せてどうする」

「悪趣味なのは我々じゃなくて、人間たちですよ。私たち傀異カイイは人間の本質。彼らの本質を最も理解し、引き出す。貴方もそうでしょう、ウツロさん」


 ウツロと呼ばれた男は。化野の前に深く腰掛けると足を組んで問いかける。


「初めまして、化野彰あだしのあきらくん。よくここまでたどり着いたな。途中で何度か殺されなかったか?」

「そうですね。教皇ハイプリエステスが貴方の所在を子細に教えてくれなければたどり着けなかったでしょう。初めまして、ウツロさん」

「へえ。姐さんが俺を紹介したのか。そりゃますます気になっちまうもんだ」


 化野はあまりにもこの場に似合わない爽やかな笑みを浮かべ、虚を見据える。


「アンタが座ってるこの来客用のソファな、これ人間の皮で作られてんだ」

「そうなんですか。悪くない座り心地ですよ」

「ハハハッ。肝も座っている」


 黒髪短髪、右頬に龍の入れ墨、髑髏があしらわれた派手な金色のネックレスに、大量の腕輪と指輪。化野から見れば異質なファッションの男からは、ただならぬ気配がにじみ出ている。何より、まるで血の海のような深紅の瞳に見つめられると息が止まりそうだった。


「用件は理解している。姐さんが構成員全員に向けて言葉・・を送ったんだ。それに応える義務が、俺たち扇動者アジテーターにはあるわけだ」

「はい。ですから、この度初めて協力させていただきたくここに」


 もう一人の銀髪の少女が、化野の隣に座る。ウツロとは違う、ルビーのような美しい瞳が化野を捉える。可愛らしい白のブラウスに、膝丈ほどのスカートを履いていた。顔を一気に近づけられ、ふんわりと香る女性の匂いに思わず目を細める。


「一つ聞きたいんだけど、いいですか?」

「何でしょう」


 少女は化野を下から覗き込み、甘い吐息を吐き出した。


「貴方は、教皇様ハイプリエステスに何を願っているの?」


 少女は優しく化野の肩に触れ、ゆっくりと体のラインに沿わせて移動させる。化野は少女の華奢な細腕をつかみ、動きを止める。


復讐・・ですよ。ありきたりな。好きとかじゃありませんからね。勘違いしないでください」

「ちぇー。つまんないですね」


 少女は拗ねて化野から離れる。離れ際に耳元で、「好きなら力を貸してあげたのに」と甘く囁く。


「復讐か。アンタは誰に復讐したいんだ」

弔葬師アンジェラスに」

「ますます気に入った。姐さんと馬が合うわけだ」


 虚は机の上に置いてあった真っ赤な飲み物を口にする。


「なあ化野くん。〈復讐〉ってどんな味がする? 快感か、それとも不快感を拭う行動か?正義、悪意、生理的行動、それとも情動か。教えてくれねえか」


 その質問に、化野は貼り付けたような笑みで淡々と答える。


「人の信念や行動、もしくは運命とはどこから生まれ来るのかを考えれば答えは明白です。僕は人の持つ可能性こそが信念となり、それが行動指針を自ずと決定させると思っています。だからこそ、僕にとっての〈復讐〉は無味無臭・・・・です。色や味が生まれるとしたら、行動の先、その結末だけだ」

「ハハハ……面白ぇ答えだ。姐さんが気に入るわけだな。悲しみも、憎しみも、ましてや悦びなど存在しない行動が、果たして目的を達するまで持続するのかねェ……」

「貴方は人間の行動とは己の快、不快がもたらす情動的行為だとお思いですか。確かにそれは間違いではない。例えば……ここにいる人たちは、ただ踊り狂うことしか考えていませんね。それは貴方方が命じているからです。そして、それを眺めることができるこの席では、人間が如何に機械的で怠惰かを思い知らせてくれる」


 化野は虚に一礼すると、席を立つ。扉に手をかけたところで、振り返った。


「僕は教皇ハイプリエステスから、全ての人間が救われる道を教えていただきました。この〈復楽の花園〉の理念と目的です。それはすべての人間が自ら選んで行動し、可能性・・・を体現すること。想術師もそうでない者も、全ての人間の可能性を引き出し、導き、目覚めさせる……それは神や救世主メシアが押し付けることではなく、自分自身が自覚することなのだと考えます。それに目覚めた時初めて、人間は真の行動を獲得できる。だから、僕の復讐は達成されるまでその成果を問うことはできない。だからこそ意欲が持続します。自分自身の選択の答えが見たいですから」

「可能性ねえ……あんたやっぱり面白ぇわ! 俺もあんたの未来が見たくなった。復讐に協力させてもらうぜ」

「ありがとうございます」


 化野が出て行った後、虚は踊り狂う者たちを改めて観察する。


「だとよ、リビア」

「面白い人……でも私は彼の意見に賛同できない。だって、私たちは人間の本質・・・・・から生まれた存在だもの。人間そのものとも言える存在……人間たちの言う神であり、罪でもある」

「いや、同じかもしれねえぞ。人間が人間であるためには、本質的に生きる意志を持つことが重要だと、あいつは言った。それは俺たちが〈復楽の花園〉に属している理由と同じ。それぞれがそれぞれの意志を体現するために、ここにいるんじゃねえか」

「……目的、ね」


 ウツロは、目の前の踊り狂う人間たちが、途端に滑稽に思えた。

 この者たちは、命じられて踊っている。借金まみれの者、家族を人質に取られている者、薬漬けの者、リビアを敬愛している者など――――――あらゆる状況の者を揃え、意志を剥奪し、躍らせている。

 そこには可能性も、真の行動もない。隷属的な結果のみが広がっている。虚は部屋にあったマイクを握りしめ、冷たく命じる。


「お前ら、やっぱ殺し合え。つまんねえからよ」


 その瞬間、DJの女は狂気的な笑みのまま、DJスペースの下からマシンガンを取り出した。


 ――――――赤。赤。赤が舞う。


 ガラスを真っ赤に染めるほどの血が飛び散り、周囲は一瞬で地獄と化した。ウツロはVIP席から出ると、狂乱の中に身を投じる。真っ赤な死体を踏みつけ、生き残っていた数人の元へ近づくと、まっさらな顔のまま、手刀で全員の首をはねた。


「なあリビア、やっぱ人間って面白れぇな」

「そうですか? 私はもう何千年も冷め切ってますよ。だって私たちが人間にもたらすものの結果は変わらないから」


 ミラーボールが暗転し、代わりにスポットライトがウツロに照らされる。


「しょせん、人間は本能には抗えない獣です。だからこそ、弄りがいがあるんですけどね」


 リビアは離れた位置で照明を操作している化野を一瞥する。化野は証明に照らされた虚の真っ赤な姿を見て悲し気に笑った。


「貴方に復讐をしたいのは、弔葬師アンジェラスの方ですよ。虚の傀異・・・・


 黒髪短髪、童顔、鋭い目つき、キリっとした眉。その姿は、化野がよく知っている存在に酷似していた。


「知ってるよ。俺は見たいんだ。可能性が行動になるならよ、精一杯憎めよ燈護とうご。俺はその先にあるお前の未来を見届けたい」


 血塗られた死体の山に立った男は、納戸燈護なんどとうごの姿形で高らかに笑った。

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