3 パトロールへ 後編



「嬢ちゃん」

「はい……」

「おれが行くまで待ってろって言ったよなァ」

「すみません……」


 私は灰狼はいろうさんが駆け付けた時、すでにおじいさんと打ち解けていて、その後長時間話を聞いていた。私の予想通り、振り込め詐欺に引っ掛かりそうになっていたようで、孫の名前を出されてパニックになっていたのだという。その後、お孫さんの話や趣味の話などに話題が移行し、気づけば一時間以上経っていた。


「結果オーライだし、今回は一刻を争う状況だったから別にいいけどよ、危険なことだって大いにあるんだぜェ。傀朧深度かいろうしんどは人のメンタルと密接でなァ、錯乱して暴れ出すことだってある。一般人が多くいる手前、大事になると面倒だ。覚えときなァ」


 灰狼さんは私を注意したけど、同時によくやったと褒めてくれた。一時間話をしている間、後ろで悪さをしている傀朧かいろうを箱型の傀具かいぐを使って吸収していたため、おじいさんの傀朧深度はすぐに〈1〉に戻った。その後、警察に連絡しておじいさんを保護してもらい、一安心という状況だ。


「でも、どうしておじいさんの傀朧深度が上がったんでしょうか」

「そーだなァ。わかりやすく言うなら、〈霊感〉って言葉あんだろ」

「よく言いますね」

「アレは想術師そうじゅつし風に言やァ傀朧が見えやすいか否かっていうことだ。生まれつき体質の問題だから、あのじいさんは傀朧が見えやすい体質だったんだろ。傀朧が見える人間は、必然的に傀朧を寄せやすくなる。だからああいうこともある」

「なるほど……」

「傀朧深度は、上がったら絶対に下がらねえってもんじゃねえから、あのじいさんも人生の中で上げ下げ繰り返してたんじゃねえかな」

「とにかく、橙朧人ダウナーにならなくてよかった……」


 今回、心の底からおじいさんを助けることができてよかったと思うし、うまく言えないけど確かな手ごたえのようなものがあった。橙朧人ダウナーになる前なら救うことができる、という事実は私にとっての希望かもしれない。

 今回のように未然に防ぐことができるのなら―――殺さずに済むのかもしれない、と。


「ここいらで傀朧深度上昇の傾向はねえ。いったん帰るか」

「あの……ちょっと質問なんですけど、橙朧人ダウナーって結構発生するんですか? その、もしたくさん発生するんなら、隠ぺいするの難しいんじゃないかって思って」

「ああ、それは大丈夫だ。一般的に、想術師以外で橙朧人ダウナーが発生する確率は、十万人に一人と言われている。想術師になると百人に一人に跳ね上がるけどなァ。でももう一つ特徴があって、一般人は想術師が多く在籍し、傀朧が集まりやすい、いわゆる霊地的な場所だと橙朧人ダウナーになる確率が跳ね上がる。ちょうど、ここ京都みてえにな。だからおれたちが常駐してんのさ」


 私は安心したような、安心できないような微妙な気分になった。

 一般的に十万人に一人と言われれば、かなり少ないと思えるが、この町では関係なく発生する可能性があるということ。日本で想術師が最も多く存在する町は、きっとこの京都なのだ。


「初日で嬢ちゃんが出会ったみてえな一般人が橙朧人ダウナーになるケースはまれだから安心しな。それに、パトロールであらかた防げるしなァ」


 つくしくんは眠くなったのか、灰狼さんの車の後ろの席でうとうとしている。私は助手席に座り、シートベルト締めた。


「あの、灰狼さん質問ばっかりすいません」

「ん?」

橙朧人ダウナーを救うことって、本当にできないんでしょうか」


 発進した車は、来た時とは違い、安全速度でゆっくり進む。


「すいません。やっぱりそう思っちゃって……」

「まあ、最もな疑問だわなァ。でも結論は無理・・だ」


 灰狼さんは赤信号の隙にタバコを咥え、火をつける。


橙朧人ダウナーになる前ならさっきみてぇに、脳に蓄積された傀朧を取り除いて解決する。だが、橙朧人ダウナーになっちまったら、体質そのものが変化しちまう。脳に蓄積した傀朧が脳を冒し、邪悪な性質を持った傀朧を大量に生み出す構造に変わっちまうからだ」

「そう……ですか」

「脳の構造が変わるってこたァ精神性も変わる。多くは反社会的になっちまう形で。人殺し、強盗、その他犯罪に走り、更生の可能性はゼロ。だから抹殺するってわけだ」


 理屈は大いにわかる。だが、話を聞いてなお、私にはどうしても引っ掛かることがある。


「本当にそうなんでしょうか」

「何だって?」

「だって、弔葬師ちょうそうしの皆さんは少なくともそんな人には見えません」


 私が語気を強めて言ったその言葉に、灰狼さんは大笑いした。


「そりゃあ、ありがてえなァ。そんなこと教協師メンターに言われるのは初めてかもしれねえ」

「だって……! 今日だって灰狼さんは私に色々なことを教えてくれました。盡くんだって、今日一日過ごして普通の子だって思いました。ほかの皆さんもそうです。私にはどうしても皆さんが悪い人だなんて……」

「千人殺してもか」

「えっ……」


 灰狼さんは澄んだ顔で煙草に火をつけ、前を向いたままそう呟いた。


「おれァは人生で、人を997人殺した。あと三人で大台に乗る。そんな頭のおかしな奴を、それでも手前は、普通の人って言うか?」


 私は閉口してしまった。

 灰狼さんが、大量殺人者だという事実を目の当たりにして、それを受け流せなかったのだ。だが、煙を吐き出した灰狼さんの表情が悲し気に見えて、それがどうしようもなく私の心を締め付ける。


「〈想術師協会〉が今平和なのは、弔葬師ちょうそうしっつうシステムが確立されて、橙朧人ダウナーを常時抹殺できるようになったからだ。おれはこの仕事が長くて、〈想術犯罪対策課〉ができた時から生き残っちまってる。数えきれねえほどの同僚が死んで、その分おれも橙朧人ダウナーを殺した。今は創設者だったおれの師も死んで、おれが一番長くなっちまった……しみったれた話だ。手前には関係のねえことだ」

「そんなことはありません」


 灰狼さんは私の顔をちらりと見た。私は、心の内に現れた思いを素直に吐き出す。


「やっぱり、灰狼さんは良い人です」

「……何でだ」

「覚えているから。死んだ人のことを。殺した人の数も、死んでいった同僚のことも覚えてる。人を殺すことに執着する人が、そんなことをいちいち気に留めるとは思いません。誰かの死を覚えていてくれる人が、悪い人だとは思えない」


 灰狼さんは深く煙を吐き出し、携帯灰皿にタバコを落とした。


「ちょっと変かもしれないんですけど、私は安心します。もし、私が死んでもきっと灰狼さんは覚えてくれるんだろうな、なんて」


 私が思わず笑うと、灰狼さんはまた大きな声で笑った。


「ほんと、変な教協師メンターが来たもんだァ」


 私は言い過ぎたかもと、少し恥ずかしくなって俯く。


「ちょっとした礼に、嬢ちゃんの思いを叶える手伝いをしてやるよ。橙朧人ダウナーになる前に救う。それをおれたちも心がける。だから手前は死ぬ気で思いを示して行動し続けな。そうすれば、何かが変わるかもしれねえ」


 灰狼さんは、歯を見せてニッと笑うと、嬉しそうにアクセルをゆっくり吹かした。

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