その色は何色か《etude》

1 夢


☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 光の輪――――――。

 純白の羽――――――。

 黄金の剣――――――。


 美しい。私はその光を求めるように、手を伸ばす。


 だが少年は、遠くをぼんやり見つめた瞳で剣を振り下ろし――――――真っ赤な血が飛び散った。


 人を殺す。人を殺した。小さな少年が、人を殺した――――――。


 恐怖に支配された私は、その場で力なくしゃがみ込む。ぼんやりとした意識の中で、私は違和感を覚えていた。


 少年とは――――――どこかで出会ったことがあるような気がする。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「……ふあ~」


 ピ、という電子音と共に、引き扉のオートロックが解錠される。私は誰にも見られていないからといって大きなあくびをした。その時、扉の向こうでちょうどアパートを出ようとしていたスポーツウェア姿の納戸なんどさんとぶつかってしまう。


「お……おはよう。杜若かきつばたさん」

「おおおおはようございます……」


 眠気が完全に吹き飛ぶ。私は顔を真っ赤にして納戸さんから目を背けた。向こうはちょうど日課の走り込みに行こうとしていたらしく、慌てて距離を取ってきた。


「す、すまない。わざとではなくてだな……」

「私こそごめんなさい! ぼーっとしてて……」


 納戸さんは私の顔をじーっと見つめ、鋭く指摘する。


「貴殿、目の下にクマができているが、昨日は眠れなかったのか?」

「は、はい……」

「大丈夫か?」


 図星だった。〈想術犯罪対策課〉に配属されてから三日。初日の衝撃的な事件が夜になるとフラッシュバックし、ここ数日は眠れなかった。目の前で人が死んだことはもちろん、あの天使のような少年の姿が脳裏に焼き付いて消えない。今朝も浅い眠りの中、彼の夢を見たような気がする。

 納戸さんは腕を組んで考え、キリっとした目つきのまま手のひらをポン、と拳で叩く。


「うむ。寝つけない時はストレッチ。軽く寝る前に数分でも良いから行うと効果的だぞ。深呼吸を合わせて行うとよい。こんな風に、すーっと」


 納戸さんは丁寧に深呼吸のやり方を実践してくれた。その様子が、可愛くてちょっと笑ってしまう。


「ありがとうございます。気遣ってもらっちゃって」

「先日は色々あったからな。自分の未熟さ故、貴殿には辛い光景を見せてしまった。深く反省し、償える機会があれば全力で全うしたい。何でも言ってくれ」


 私は、納戸さんはちょっと硬いけど、気遣いができてとても良い人だと改めて思った。

 だからこそ、先日の橙朧人ダウナーになってしまった会社員の人を殺す時の表情が忘れられないのかもしれない。

 ――――――憎悪に満ちた表情だった。納戸さんの過去に何かあったのだろうか。


「かきつばたあおい」

「ひゃっ!」


 突如カタコトで私の名前が呼ばれ、背中をつんつん突かれて、変な声を出してしまった。

 振り返るとそこには、あの少年―――神狩盡かがりつくしがいた。


「おはよう」

「おはようつくしくん」

「待ってたよ」

「へ?」


 盡くんは私の服をぐいぐい引っ張って、オフィス兼リビングまで連れていく。首だけ振り返って納戸さんにさよならを告げると、キッチンの前にあるテーブルまでやってきた。

 椅子に座るように促されたので座っていると、盡くんがぺこりと頭を下げた。


「ごめんなざい」


 なんだか濁点が多い言い方だった。


「え? 何が?」

「びりびりになったこと。七楽ならくが謝れって言うから」


 一瞬何のことかわからなかったが、おそらく私を黄金の剣で斬ろうとしたことだろう。


「大丈夫。全然気にしてないよ。それよりも、びりびりしたの大丈夫だった?」

「大丈夫じゃない。気持ち悪かった」


 盡くんは私に抗議の意志を示すように、むーっと頬を膨らませる。そんな表情もできるのかと安心すると共に、私は謝られているのか責められているのかわからなくなる。


「かきつばたあおいが、前に出てきたせい」

「あれは……ダメだよ。盡くんは人を殺そうとしたんだよ?」


 あの時の状況を思い出す。確かに、私を襲った高校生は橙朧人ダウナーで、悍ましい事件の犯人だった。でも、だからといって、決して殺す理由にはならない。

 それに、あの高校生には罪を償って欲しかった。死ぬことが彼にとっての償いになるとは到底思えない。


「人を殺すことは絶対にダメ。わかった?」

「むー。わかんない。橙朧人ダウナーこわしてもいいんだよ?」

「ダメ、絶対」


 私が語気を強めたので、盡くんは拗ねてそっぽ向いてしまった。そんな私たちの様子を見て、デスクに足を乗せて座っていた灰狼はいろうさんが豪快に笑う。


「ヤクのスローガンみてェなこった。まあ許してやんなァ嬢ちゃん。橙朧人ダウナーを排除しなきゃなんねえってのは弔葬師おれたちの仕事だ。いきなり否定しても埒が明かねえ。特にこいつにはなァ」


 灰狼さんは口に白い棒を咥えている。二ッと笑うと、立ちあがってこちらにやってくる。


「あ、ぼくのチュッパチャップス……」

「そこに置いてあったのもらったぜェ」

「ぼくのだったのに」


 盡くんは余計にふくれて灰狼さんを睨みつける。灰狼さんはそんな盡くんの頭を豪快にぐりぐり撫でると、私の前の椅子に座った。


「それよりも嬢ちゃん、配属初日に厄介なことに巻き込まれちまって災難だったなァ。体調は大丈夫か?」

「はい……正直ちょっと、眠れていません」

「まあ無理もねェ。初日で橙朧人ダウナー判定を受けた人間二人に出会うことはかなり稀だからな。でもよ、あんまし考えすぎんな。ゆっくりと慣れていけばいいからよ」


 灰狼さんはガリガリと飴部分を噛み砕くと、キャンディの棒をゴミ箱に投げ捨てる。


「あの……今日は人が少ないですね。皆さんどこかに行かれたんですか?」

七楽ならくは外回りで一日いねえ。リオと照太しょうたが非番、燈護とうごが代休だ。だから今日はおれたちしかいねえなァ」


 灰狼さんは喋りながら、ふてくされる盡くんのほっぺたを引っ張って遊んでいる。その様子が、なんだか孫とおじいちゃんみたいで、見ているだけでほっこりする。


「人員が少ない分、こういうことはよく起こる。気にしなくてもなんかあればおれが対応してやっから安心しな」

「わかりました」


 私は自分のカバンを自席に置き、課長が作ってくれた研修資料に目を通し始める。


「ねえ」

「どうしたの?」


 盡くんは灰狼さんの拘束を振り切り、私の傍までやってきた。


「遊ぼ」

「ふえ?」


 つい面食らってしまった。そもそも仕事中に遊ぶことを私は想像していなかったのだが、盡くんは子どもだし、彼が遊ぶことは当然ではある、けど。


「そういえば盡くんって学校とか行ってないんですか?」

橙朧人ダウナーが学校に行けっかよォ。無理無理」

「十一歳……だっけ盡くん。小さいけど……勉強は?」

「嫌い」

「こいつ勉強しねえんだよ。嬢ちゃん教えてやってくれや」


 盡くんが橙朧人ダウナーなのは一旦置いておいて、普通の子どもと同じように、遊んだり勉強したりできないのはとても良くないことだと思う。


「学校……行かせてあげられないんですか?」

「一応なァ、想術師協会そうじゅつしきょうかい内に学校を兼ねた養護施設があって、そこに通えるように訓練はしてんのさ。そこなら、特殊な事情を持ったガキ共が集まるから、盡も打ち解けられるんじゃないかって」

「そうなんですね。照太くんもですか?」

「ああ。あいつはァもう通っている。あいつだけ非番の日が週に三日あって、そこで通ってんだよ。あとはリモートで教材を解いたりしてるなァ」

「べんきょうきらい。つまんない」

「なァにがつまんないだ! おめえももうすぐ行くんだよ盡」

「行かないもん」


 照太くんがいたら二人で遊ぶんだろうか――――――それはそうと、今日の業務内容としては何かが起こるまで待機だし、遊んであげるのも良いかと思った。サボってると思われないかは心配だったけど、何よりつくしくんのことを知るチャンスだ。


「うっし! ならよ、盡が拗ねるからパトロール行くかァ。嬢ちゃんの研修も兼ねて」

「パトロール……ですか?」

「やったー」


 盡くんは無表情のままガッツポーズを取り、ぴょんぴょん跳ねた。


「あァ。この間ざっくりと体験したと思うが、賦殱御魂ふつみたまは日本全国のあらゆる情報源に〈干渉〉し、個人が持つ傀紋色位イマジナリーブランドを計測する。そのためには、傀朧管理局かいろうかんりきょくが作っている全国傀朧深度表イマジナリーハザードマップを経由して情報を得る必要があんだ。

全国傀朧深度表イマジナリーハザードマップは、地域ごとに傀朧深度かいろうしんどをリアルタイムで出してくれるから、おれたちは危険個所をパトロールして、橙朧人ダウナーの発生を未然に防ぐ。実はこれが基本業務なんだよなァ」

「えっと、傀朧深度・・・・って?」

傀朧深度かいろうしんどってのは、人間の脳に、どれだけの傀朧が排出されずに残っているのかを表す指標だ。全部でレベル〈1〉から〈5〉まであって、〈1〉に近づくほど健康。〈5〉に近づくほど橙朧人ダウナーになる可能性が高くなる。

 橙朧人ダウナーってのは、厳密に言やァ、想像の残りカスとして本来外に排出されるはずの傀朧が、脳に蓄積しちまうことによって脳の構造が変化し、傀朧を異常発生させちまう状態のこと。つまり、傀朧深度が上がれば上がるほど、橙朧人ダウナーになる確率が上がっちまうってわけだ」


 なるほど――――――つまり、橙朧人ダウナーは病気のようなもの、と考えると自分なりにすっきりする。それなら、病気なら治すこともできるのではないだろうか。


「じゃあ、その傀朧深度を下げれば……橙朧人ダウナーを殺さずに済むってことですか!?」

「いいや、残念ながら一度橙朧人ダウナーになっちまったモンは元に戻らねえ」

「そんな……」

「だからこそパトロールが重要になってくる。嬢ちゃんが橙朧人ダウナーを殺したくねえなら、この業務をしっかり覚えてものにしろ」

「わかりました!」


 私も心の中でガッツポーズを取って、勢いよく立ち上がった。


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