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 夕日が倒壊した廃倉庫を照らしている。

 周囲にはてるてる坊主型の式神がたくさん動き回って、瓦礫を調べていた。

 私は納戸さんに頼んで少し一人にしてもらい、夕日に照らされた廃倉庫をぼんやりと見ていた。


 ――――――つかれた。

 今日一日で、私はありとあらゆる非日常を経験した。一度落ちつくと、思考が停止してしまうほどには、疲弊しているようだ。


「……あれ」

「先輩」

「杜若さん……」


 先輩が目を覚ました。私は安心してため息を吐く。頭の怪我は軽傷で、気を失っているだけだと納戸さんが言っていたとおりでよかった。


「……ここは?」

「私たち、誘拐されてたみたいです」

「えっ……誘拐」


 先輩は誘拐という言葉にあまり驚くこともなく、冷静に瓦礫と私の顔を交互に見た。


「犯人は、捕まったの?」

「……」


 答えない私の表情で察したのか、先輩は私から顔を背ける。


「ごめん。でも、君が僕を助けてくれたことは事実だろう」

「……私は何もできませんでした。今も、何もできずにいますし」


 私は情けなくてまた泣きそうになる心を殺し、何とか笑みを作った。


「先輩が、助かってよかったです……本当に」


「ありがとう」


 先輩は私に頭を下げる。


「お礼を言うのは、私じゃなくて……」

「違わないよ。顔、大丈夫?」


 指摘されて、初めてじわりと痛みが奔った。

 私は我慢できずにまた泣いたしまう。


「私……っ! あの高校生にも、男の子にも、納戸さんにも……誰にも人を殺してほしくない。怖いんです……怖くてたまらない。自分が死ぬことより、誰かが死ぬのが怖いんです。例えそれが、罪を犯した人であっても」


 先輩は私の肩に手を置いた。


「君の優しさも、思いも、全部本物だし、なんら恥じることはないよ。君は言った。正直でいたいと。それを貫いたからこそ、君は涙を流しているんだ。だから、自分を責めてはだめだ。僕には何が起こったのかはっきりとわからないし、理解はしてあげられない。でも、僕が助かったのは君のおかげだろう。それは間違いないことだ」


 その時、現場検証が終了した納戸さんと七楽課長が近づいてくる。


「化野彰さん。すまないが、君は至近距離で特殊な傀朧を浴びてしまっていてね、このままでは橙朧人ダウナーという危険な状態になってしまう恐れがある。だから記憶消去を受けてもらうが、よろしいですか?」

「わかりました」


 先輩は私から離れ、七楽課長の元へ向かう。


「残念だなぁ。杜若さんへの感謝も忘れてしまうんだろうね、きっと」


 先輩は笑い、夕日に向かって体を伸ばした。


「君は君の思いを貫けよ。応援している」


「……ありがとうございました」


 私は先輩に向かって頭を下げた。


 ――――――想術犯罪対策課は、橙朧人ダウナーを殺すことが仕事なのだという。

 橙朧人ダウナーは確かに危険な存在であるということはわかった。彼らを取り締まることは、世の中の安寧を守る上で重要なことなのだろう。


 でも――――――殺すことはしたくない。

 私は自分の思いを貫きたい。

 殺すことが、正義ではないのだと。

 私はそれが、正しいことだと信じている。


「杜若さん。その……改めて謝罪する。申し訳なかった」

「納戸さん」

「仕方がなかったとはいえ、ショックを受けることは容易に想像できた。謝罪する」


 気まずそうに顔をしかめた納戸さんが、私に向かって頭を下げた。


「……はっきり言ってもいいですか」

「ああ」

「正直、怖かったです。あんなこと、二度としないでください」

「……すまない。約束はできない。それが、自分たちの仕事だ」


 納戸さんは暗い表情で私から目を背ける。


「さっきの男の子は?」

「ああ、つくしのことか?」


 納戸さんはふと瓦礫に向かって指を指した。

 そこには、すっぱいものを食べた時みたいな顔をした少年がぐったりと寝転がっていた。


「……私のせい、ですかね?」

教協師メンターである君に攻撃しようするとああなる。心配しなくても、すぐ元に戻る」


 納戸さんは少年をひょいと担ぐと、瓦礫に背を向けて歩き始めた。私もそれに続く。


「……しびれる」


 ――――――天使のような、不思議な少年。

 人を躊躇なく殺そうとしたところも含めて、この子は何なんだろうか。


 知りたい――――――。

 そう。今は色々なことを知りたい。弔葬師ちょうそうしのこと、課のこと、橙朧人ダウナーのことも。


 私は、納戸さんを追いかけながら、現場を後にした。



一幕、完

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