9 天使
9
「……ん」
目が覚めた私を待っていたのは、薄暗い空間だった――――――。
体を動かそうとしても、身動きが取れない。後ろ手に縛られ、椅子に拘束されている。
「嘘……」
覚醒と同時に、じわじわと焦燥感が襲ってくる。何があった。何が起きた。確か、先輩と橋の下で話していた。そしてもう一度色々なことに向き合おうと決意した瞬間、視界が揺らいで――――――。
「そうだ先輩……先輩!! いるんですか!?」
私は思わず叫んだ。しかし、広い倉庫内に私の声が響くだけだった。
急いで目を細め、周囲を確認する。正面に大きなコンテナがあり、所せましと並んでいた。天井はとても高く、見渡せる範囲内にさび付いたフォークリフトがあったりと、ここが物流関係の施設だったことが伺える。
私は《曲がる死体事件》のことを意識する。犯人は死体を芸術的に飾り立てることに快感を見出しており、狙う女性は皆外見が似通っていた。その上、その外見が私に酷似しているのだ。そして極めつけは、私が先日行ったレストランの従業員が殺された。先輩と行った、あのレストランだ。
もしかしたら。もしかして。先輩が犯人なのではないか――――――。
考えたくないが、そう考えれば辻褄が合う気がした。信じたくない。先輩は私の決意、正直に生きたいと願う気持ちに火をつけてくれた。それがどうしようもなく嬉しくて、元気が出た。レストランでの食事の時もそうだ。先輩は、私の心の中にあるポジティブな感情や思いを引き出してくれたような感じがする。包容力とか、話を聞く力とか、そんな人を安心させる力が先輩にはあると思った。でも――――――。
――――――なら、もし僕が人殺しだったとしたら、君は僕を裁いてくれるの?
あの時の先輩の声は、心の底から出た本音だったのではないか。そう思えて仕方がないのだ。
「先輩!! 返事して下さい!!」
焦る私は、拘束を解こうと必死に暴れた。しかし、痛みが奔るだけでびくともしない。
その時だった。
「あーもううるさいなお前」
私の心臓が大きく跳ねる。
若い男性の声だった。驚いて息が詰まる。足音が聞こえ、私の目の前に人影が現れる。
「そんなにあの男が好きなの? ねえ」
現れたのは、制服を着た黒髪の青年だった。高校生だろうか。髪は長めで肩まであるストレート。前髪は目が隠れるくらいの長さだ。やせ型で身長は平均的。邪悪な笑みを浮かべ、私を見下ろすように髪の間から光る相貌が不気味だ。まるで、品定めをする肉食獣のように、ギラギラした瞳だった。
「……誰」
私は思わず呟いた。恐怖と緊張で全身が硬直している。青年から放たれている気配は尋常ではない。対峙しただけで殺される危険性を感じるほどに。
でも、ほんの少しだけ安心している自分がいた。先輩が、犯人でなくてよかったと安堵している自分がいる。
「ああ……我慢できない。アンタをさ、初めて見た時からずっと思っていたんだ。曲げたい……その体を、心を、俺の意のままに曲げて殺したいって!!」
「痛ッ……!!」
青年は私の髪を引っ張り、顔を無理やり上げさせる。
「現場に来てただろ? アンタ警察だろ。だとしたらなおのこと最高……俺は力を手に入れたんだ。警察に見つかっても全然怖くない。だって証拠消せば済む話だから」
青年は笑みを深め、私の髪から手を離す。私は恐怖の中から徐々に怒りが湧いてきていた。
「……ふざけ、ないで」
「はあ?」
「あなたが、あの曲がっている死体を作ったの」
「そうだけど。今からアンタもああなる」
「なんでそんなことをするの? なんで、四人も殺したの」
「俺のタイプだったからに決まってんじゃん」
私は歯を食いしばった。
「そんな身勝手な理由で人を殺したの!?」
「身勝手……それは俺じゃなくて俺をバカにしてきた奴らだろ」
青年は私に顔を近づけ、みるみるうちに表情が怒りに変わる。
「俺さ、生まれつき変なものが見えて、そのせいで孤立して、学校も不登校で、それでも親は行けって言うから、夜間高校に通って。そしたらさ、
青年は目を血走らせ、怒りのままに私の顔を殴りつけた。痛みで一瞬意識が飛びかけた。口の中を切ったようで、鉄の味が口いっぱいに広がる。
「でもさぁ……出会ったんだ。俺のことを認めてくれる人に。だからこれからは抑えてきた欲望のままに生きるって決めたんだよ。力を手に入れたんだ。それを使って俺をバカにしてきた奴を全員殺して、俺の力を世に認めさせる」
「……ならどうして、関係ない女性を狙ったの?」
「試運転だよ。どこまでやってバレないかとか、証拠の消し方とか実験してたわけ。んで、今回はお前で
――――――許せない。境遇は私と似ていた。だから余計に腹が立つのかもしれない。この人の言っていることは何一つ理解できない。全部自分本位で、自分勝手で、そんな身勝手な理由で四人も殺された。許されるはずがない。
「ほんと、楽しいよ。俺のタイプの女が、泣き叫んで俺に助けを乞う姿は滑稽だ。ああ、でもアンタはいいよ。俺のことをそうやって睨めばいい。睨めば睨むほど、堕ちて命乞いをする様が見ものだからな」
青年はそう言って、コンテナの端から何かを引きずってきた。
「……先輩!!!」
私は悲鳴を上げた。引きずってきたのは、頭から血を流し、意識を失っている先輩だった。
「いいよ、その顔!! 最高!! こいつを痛めつけたらさ、もっとアンタはそういう顔をしてくれるのかな?」
「最低……!!」
青年は、私に見せつけるようにコンテナに触れる。
すると、金属でできているはずのコンテナが音を立ててへこみ、粘土のようにぐにゃぐにゃと曲がっていく。
「この人もさ、こうするよ?」
「やめなさい」
「やめて欲しい時はさ、どうするのさ」
「……私にしてよ。私を殺したいんでしょ?」
「嫌。この人にするよ」
このままでは先輩が死ぬ。それだけは、それだけは嫌だった。
目じりが熱くなる。何よりも自分の無力が恐ろしい。何もできないまま、私はこの青年の思うままに命乞いをするのだろうか。
それでもいい。それでも、先輩が助かるなら。私を励ましてくれた先輩だけは。
青年は私の拘束を解いた。私は力なく椅子から転げ落ちる。
「人にものを頼むときは、土下座が基本だろ?」
青年は、私に反撃する力も心の余裕もないことを見透かして、わざと開放してきたのだ。
「ほら、さっさとしろよ」
涙が床に零れ落ちる。もう立てない。もう――――――。
その時、倉庫の中を歩く、小さな足音が耳に入る。
「誰だ!」
青年は咄嗟に腕で私の首元を絞め、無理やり立たせる。
――――――床を擦る足音が近づいてくる。
「誰だって聞いたんだよ!」
「ねえ、教えて欲しいんだけど」
「!!」
私は目を疑った。コンテナの角からひょっこりと顔を出したのは、小さな少年だった。小学校低学年くらいの身長で、色白細身。長い前髪を横に分けて、ピンでとめている。半袖Tシャツの上からベストを着ており、半ズボンを履いている。こちらを見つめる緑色の瞳はどこか遠くを見つめているようだった。
「おい止まれ」
「好き、なんでしょ? 好きだから、壊す……人を好きになるってさ、どういうこと?」
「おい聞いてんのか。止まれって!」
「教えてよ」
「人の話聞いてねえのか!? おい!!」
青年が焦って私の体を引っ張る。私は咄嗟に、青年の足を思いっきり踏みつけてやった。
「痛って!!!」
青年が悶絶している隙に拘束から抜け出し、先輩の元へ走る。
「てめっ!!」
青年は怒って私を追おうとするが、少年が放つ恐ろしい殺気にたじろいでしまう。
「答えてくれないの?」
声のトーンが低くなる。これは――――――殺気ではなく、
冷たく、まるで
「意味わかんねえよ! 殺すぞクソガキ!」
「……そう。ぼくとおんなじかと思ったのに」
少年は悲しそうな顔をして、半ズボンのポケットに右手を入れた。
その瞬間を青年は見逃さず、右手を少年に伸ばす。
「だめっ!!」
あの手が触れた瞬間、少年は死んでしまう。さっきのコンテナのように曲げられて殺されてしまう。
しかし、私の心配は一瞬で消え失せてしまう。
「えっ」
気づけば、青年の右腕が消失していたのだ。
『
「えっ」
脳内に声が響く。重厚で、存在感のある
『
その声と同時に、少年の全身が白い光に包まれていく――――――。
光の輪が頭上に現れ、冷たい傀朧が一転、場を覆いつくす神々しい傀朧に変わる。
背から現れたのは、白い翼だった。一枚一枚の羽根が脈動し、少年の体をふわりと浮かせる。そして息を飲むほど凄まじい
その姿はまるで神そのもののようだった。私の意識を釘付けにする。
「……綺麗」
美しい。まるで天から舞い降りた神が、場を支配したようだ。
おとぎ話のような、聖典に書かれている伝説のような、そんな光景が目の前で起こっている。それよりも―――私は少年に初めて会った。なのに、どこか懐かしい気がした。
少年は剣を手に取ると、頭上に掲げる。右腕が消失した青年は、大量の血を流し、膝をついている。
「
少年は気味が悪いほど澱んだ瞳で青年を見つめると、にっこりと笑う。そして掲げた剣を振り下ろそうと腕を動かす。
「だめ!」
私は気づけば反射的に少年の元に走っていた。
次の瞬間には、青年は死ぬのだろう。納戸さんがやったように、簡単に人が死ぬ。
こんな小さい子が、人を殺す。それを許してはならない。絶対に。この子を人殺しにしてはならない。そんな強い思いが、私を突き動かした。
「やめて!!」
私は少年と青年の間に割って入る。腕を広げ、少年の澄んだ瞳を見つめ返す。
「……
「だめ。殺しちゃ、だめだよ」
「なんで?」
「たとえこの人がどんなに悪でも、生きてる価値がない人間なんていないんだよ。それに、あなたが人を殺すことを、私は見過ごせない。決して」
少年は顔色を変えないまま、首を傾げる。
「
「絶対にだめだよ」
「……邪魔するの? だったら」
少年はけろりとした顔のまま、私に向かって剣を振り下ろした。
私は咄嗟に顔を背けたが、剣先が私に当たることはなかった。
『
「あれ。消えちゃった」
少年は何もなくなった両手を眺め、首を傾げる。すぐに光が消え、少年の見た目に戻っていく。
「うう……びりびりする」
「えっ?」
「びりびり」
少年は私に何かを訴えると、小さく呻いて倒れてしまった。
「えっ。ちょ、ちょっと大丈夫!?」
私が少年を介抱している隙に、青年は右手を押さえて逃亡する。血の跡をずるずると引きずり、青年は必死に逃げていた。
「待ちなさい……!」
青年を追うか、少年を介抱するか。
先輩のこともある。追うよりも、誰かに連絡して助けに来てもらおう。焦って震える腕でスマホを探すが、青年に取り上げられているのかどこにもなかった。
「バケモノ……め……ガキ……絶対、殺す……殺してやる……俺は選ばれたんだ……」
青年はぶつぶつと呪いを吐き散らし、蛇行しながら出口へ向かっていくが、その足取りは重かった。
「待って! あなたも早く治療しないと……!」
「うるさい……!! 黙れ!」
青年は光が差し込む方へ足を速める。もうすぐ出口にたどり着く。青年の表情は僅かに綻んだ。
「ははっ……助けが来る。俺には
その時、突如巨大な爆発音が倉庫に響く。柱が次々に爆発し始め、屋根が落下してくる。
「きゃっ!!」
屋根が私たちの頭上にも迫ってくる。私も少年も先輩も、このままでは瓦礫に埋もれてしまう。
諦めかけた時、私の体が宙に浮いた。
「すまない! 遅くなった」
「納戸さん……!」
納戸さんは素早く右腕で私を抱きかかえ、少年の襟元を右手でつかみ、先輩を左肩に担ぐと、崩壊する廃倉庫から凄まじい速度で脱出を試みる。迫る屋根を低い姿勢で潜り抜け、外に飛び出した時、瓦礫と砂ぼこりが私の視界を覆いつくした。
「ごほっ……ごほっ……」
外の温かい光が私たちを照らす。納戸さんは、私と少年を地面に下ろし、無理やり抱えていた先輩を寝かせる。
「杜若さん。すまなかった」
私の目に、納戸さんの優し気な表情が映る。その顔を見た時、たまらなく込み上げてきた安心感に、私は涙を流した。
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