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「はあ……はあ……」
――――――私は気づけば、市内中心部まで走って来ていた。
涙でぐしょぐしょになった私の顔を見た通行人は、皆ぎょっとして振り返る。
今にも振り出しそうな空は、まるで私の曇った心を表しているようだ。
「どうして……」
真っ赤な血が吹き飛ぶ光景が、脳裏に焼き付いて消えない。
人が、目の前で死んだのだ。
ぐちゃぐちゃな感情だった。悲しいし、怒りもある。だが、最も感じるのは恐怖だ。納戸さんは生真面目で誠実な人だと思っていた。そんな人が、あんなに憎悪をむき出しにして、残酷に人を殺した。その事実が最も怖い。
私は七楽課長の言葉を思い出していた。
――――――
危険。
危険?
だから、殺す? だからって殺すのか。
わからない。わからない――――――。
「……」
私は人気のない鴨川沿いを歩き、橋の下でしゃがみ込んだ。
――――――雨が降り始める。春は天気の移り変わりが激しい季節だ。
そんなことは、今は心底どうでもいい。
ダウナー。その言葉の意味を考えてみる。
周囲の人間にも伝播する。死体を見たから、あの男の人は
「だからって……あんな残酷に……ッ」
また、私の目に涙が浮かんできた。
生まれた時から変なものが見えて、突然想術師にならされて、その上人を殺す仕事に就けと。
――――――ふざけている。どうしてこんなことに。私が何かしたというのだろうか。
どうして、神様。
教えてよ。私は何か悪いことをしたの?
「……杜若さん?」
運命を呪っていた私の前に現れたのは、化野先輩だった。
先輩は片手に傘を持ち、堤防の上から私を呼んだ。
「偶然だね。今日は仕事じゃなかったの?」
「せん、ぱい……」
いつも通り、変わらぬ優し気な笑顔。だが、渦中の人物であることは疑いようがなかった。
もしかすると、あの曲がる死体を生み出したのは先輩かもしれない。そう思ってしまった私は、何も考えずに口を開いてしまった。
「先輩は……人殺しじゃないですよね」
「えっ」
「もう、何が何だかわからないんです。意味が、わからない。誰も信じられないんです」
「もしかして、新しい職場のこと?」
「人を殺せって言われました。目の前で人が死にました。そんな、こと……!!」
「……そうか」
先輩は私を優しく抱きしめた。それが、私の気持ちをゆっくりと落ち着かせた。
「ならさ、もし僕が人殺しだったとしたら、君は僕を裁いてくれる?」
「えっ」
「ごめん。言い方が悪いね。悪いことをしていて、それがどうしようもなく悪であり、許されないことをしていたのだとしたら。どうかな?」
先輩は私の肩をつかみ、目をじっと見つめて問いかける。それがどうしようもなく綺麗で、心の奥底まで突き抜けるようで――――――私は目を見開いた。
「大丈夫。恐れなくてもいい。君は前に言った。『正直に生きていきたい』と。それが君の信念だとしたら。わかるはずだ」
「私は……」
「僕は、君の考えを尊重するだけだ」
――――――そうだ。
私は自分に嘘を吐いて生きたくはない。だから、納戸さんが人を殺した時に受け入れられなかったのだ。受け入れられなかったから逃げ出したのだ。
また逃げるのか。また見て見ぬふりをするのか。
そう、問いかけられている気がして。
「……逃げたくない」
私の人生は常に逃げ出してきた。流されるままに、自分に言い訳をしてきた。
でも、それはもう止めると誓った。
「すいません。こんな姿見せちゃって」
「いいんだ。気にしないで。こんなところで会うんだから、何か運命めいたものを感じるしね。解決できそう?」
「もう一回……もう一回当たってみます。納得できるまで」
「ああ。応援しているよ」
先輩は優しく笑うと、持っていた傘を私に差し出してくれた。
私は、咄嗟に傘を返す。
「持って行って。僕はただ、気まぐれに時間給を取って散歩してただけだから。早く行った方がいいだろう」
「いや、濡れていきます」
「ふふ、そうかい。わかったよ」
もう少し、ちゃんと知りたい。
私は橋の下から飛び出そうと一歩踏み出す。
だがその時、視界がぐにゃりと大きく曲がった――――――。
「え……」
私は思わず先輩の方を見る。先輩は優しい笑顔のまま、私に手を伸ばし――――――。
手をつかもうとしたところで、意識がぷつりと途切れた。
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