6 橙朧人
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課長とは現場で別れ、私と納戸さんは車で
現場から離れたためか、私の吐き気は収まってきた。不安な気持ちはまだまだ拭えないが、とりあえず目の前のことに集中しよう。
納戸さんは運転中も一切顔色を変えず、鋭い目つきのままだった。ちょっと気まずいので、私は気になっていたことを聞いてみる。
「あの、
「
「……正直、信じられません。そんなのって」
「先ほど、七楽課長は〈究極の傀具〉という表現をしていたが、その通りで、情報が他の想術師や一般人に流布されれば、社会に混乱を招くだろう。まさに、人々を裏から支配することだって可能だし、日本をこの傀具だけで滅ぼすことも、やり方によっては可能だろうな。無論、内容を知っている者は協会の一部しかいない」
私は窓の外にいるたくさんの人たちを見つめる。
何も知らない一般人たちの情報を簡単に手に入れることができる。それだけでゾッとした。どういう仕組みで個人情報にまで干渉できるのかわからないが、確かに使い方次第では相当危険だろう。
「すごいものなのはわかりました。でも、そんなものが存在するなら、どうして犯罪を未然に防がないんですか?」
「防がないんじゃなくて、
納戸さんは車を目立たない路肩に止め、降りると、車に認識阻害の式札を張った。私もそれに続いて降りる。
「
「私も持てるんですか?」
「ああ。貴殿は
納戸さんはそう言いながら、白昼堂々証券会社のオフィスに入っていく。自動ドアが開き、受付まで来た時、私は慌てて腕を引いた。
「ま、まずいですって」
「大丈夫だ。我々にも認識阻害の術をかけてある。だがあくまで阻害だ。自然に振る舞わなければ疑われる。心を乱さず、冷静について来てくれ」
「大丈夫かなぁ……」
納戸さんの純粋な目の圧に押され、私は大人しくついていくことにした。不思議なことに、すれ違う社員の人は皆会釈か挨拶をしてくる。
「今から、反応のあった〈
「わかりました」
エレベーターで五階まで上がった私たちは、すいすいとデスクの中を進み――――――。
「すまない。少しだけ時間いいか」
「えっ、あ、はい。どなた、でしょうか」
メガネをかけた大人しそうな中年男性に声をかけた。
見た感じこの人が
彼を半ば強引に連れ出し、人気のない屋上へエレベーターを動かすと、納戸さんが私に黒いスマホをそっと握らせる。
『
「わあ!! なんですかこれ!! 頭に変な声が!」
「えっ! なんなんですか貴方たち! 誰!?」
私の驚いた声に反応し、認識阻害の想術が切れてしまったようだ。
その瞬間、途中階でエレベーターの扉が開き、数人の社員が乗ってくる。
「あああああああっ!!」
突如男性が発狂して、数人の社員を突き飛ばし、エレベーターホールからオフィスへ逃走する。
「だ、大丈夫ですか!?」
私は慌てて突き飛ばされた社員の人を介抱する。しかし、顔色が異常に悪く、唇の色が紫に変色を始めていた。
「納戸さんっ! この人たち!」
「想術が、発動したんだろう。元々素養のある者が
納戸さんは怖いくらい冷静に胸ポケットから『参』と書かれた式札を取り出すと、周囲にばらまいた。
ふわふわと柔らかい煙が発生し、札が可愛いネコ型へ変化する。
「彼らは場のケアに特化した〈にゃるるん三号〉に任せ、我々は
「でも……」
「大丈夫だ。式神たちは皆自律して動けるようにチューニングされている。救急車もすでに手配した。それよりも、新たな被害者を生まないことが重要だ」
納戸さんはそう言って単身廊下を駆ける。私も何とかその後を追った。
男性は何度も転びそうになりながら逃げ、非常階段の扉を強引に開けると、外に出る。
「待て!」
私たちが追っていることに気づいた男性は、振り返り様に私たちに向けて手をかざした。
「!?」
すると、黒紫色の液体が手元から出現し、納戸さんに降りかかる。それを腕に浴びてしまった納戸さんは、歯を食いしばり、腕に傀朧を纏わせて払いのける。
「これは危険だな……」
見ると、納戸さんの右腕はスーツごと溶け、皮膚が赤くただれている。
「大丈夫ですか!?」
「問題ない。屋上へ逃げてくれたのが幸いだった」
納戸さんはこちらに殺気を逃げる男性が非常階段を登りきるまで待つ。そして目にも止まらぬ速さで階段を駆け上がると腕をつかみ、屋上の扉へ男性の体を叩きつけた。
「がっ!!」
扉が破壊され、外に投げ飛ばされた男性の腕を後ろ手に拘束する。
「そこまでだ。貴様は今朝、〈死体〉を目撃したな」
「ひっ……ひいいいいいいいいい!!!!!」
男性は暴れる力をより強くする。
納戸さんの拘束を強引に振りほどくと、全身から黒紫色の煙を放出し、納戸さんを退ける。
「……貴様」
「私は、悪くないんだ……あいつらが悪いんだ」
黒いスマホを持ったまま追いついた私は、茫然と立ち尽くすしかない。するとまた頭の中で声が響く。男性でも、女性でもない、不思議で温かい声色だった。
『
すると、男性が目を血走らせて私の方へ迫ってきた。私は恐怖で全身がすくみ、思考が停止する。そのまま私は簡単に拘束されてしまった。
納戸さんは、それを見てもなんら焦ることはなく、冷たく鋭い目つきで男を睨む。
「……
「えっ……」
「何色と言われた。今自分は、
「ちょ、ちょっと待ってください。何が何だかよくわからなくって。今、
「
「う、動くとこの女を殺すぞ……!」
ゾク――――――。
納戸さんは男性を見据える。
「やってみろ……!」
納戸さんはそうつぶやくと、息が詰まるほどのどす黒い憎悪に染まった。
そして――――――悪魔のように、口角をつりあげた。
一瞬で私と男性に迫り、軽々と男性の腕をつかんで握りつぶす。
「ひゃっ……」
そのまま男性の首筋に一撃をくらわせ無力化すると、背後に回り込み、背中を足で踏みつけて両腕をへし折る。
男性は声にならない悲痛な叫び声を上げて、その場に崩れる。
その様子に私は――――――尻餅をついて震えるしかなかった。
「貴様は……やってはならないラインを越えた」
「あああああああっ!!!」
「死体を見て何を思った。言ってみろ……!!」
納戸さんは震える私の手から、
その笑みはとても恐ろしくて、でも見ていると涙が出てきそうなほど悲しいものだった。
スマホは、昼を染め上げるほど黒いメリケンサックのような武器に形を変え、納戸さんの指の間に収まる。
「貴様ら
納戸さんは憎悪に支配されたまま、右の拳を男性の顔に向けて叩き込む。
その瞬間、視界を覆うほどの血が噴き出し、私と納戸さんを真っ赤に染め上げた。
――――――ばたり。
あまりにも呆気なく全身が吹き飛んだ男性の腕だけが屋上に転がった。
ああ――――――私は。
本能で理解した。私は。私の運命は。
『
納戸さんのメリケンサックは、いつの間にかスマホの形に戻っていた。
みるみるうちに、スマホに血が、死体が、吸い込まれていく。
何事もなかったかのように。すべてを消していく。
それが、とんでもなく不快で、恐ろしかった。
「……大丈夫か?」
納戸さんは返り血塗れの顔で、優しく笑って私を見た。そして、血で真っ赤に染まった手を、尻餅をついている私に向けて差し出す。
込み上げてくる吐き気。どうしようもない不快な感情が私の思考を停止させる。
――――――私はまた、吐いてしまった。
涙が止まらない。どうして、こんな。
「……」
私は涙でぐしょぐしょになった顔で、納戸さんを睨みつける。
「ひと……殺し」
私は納戸さんに背を向けて非常階段を下った。
何度も壁に体を打ちつけてしまった。何度も転びそうになってしまった。
思考がまとまらず、感情がぐちゃぐちゃで、もう何もわからない。
もう、何も考えたくない。
もう、なにも――――――。
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