5 現場へ
私たちは想術師協会の結界を抜け、車で京都市内の廃ビルへ向かった。
五階建てのコンクリート造のビルは、工事中であるかのように鉄製の仕切りで覆われており、入口には立ち入り禁止の看板が立っている。
私たちは流れるようにビルへ入る。階段を上り、三階にたどり着くと、さび付いた引き戸を開き、中に入る。そこはかつて飲食店があった跡と思われ、まだ所々にノスタルジー溢れた内装の片鱗を見ることができた。
「さてと……まずは現状の保存と傀朧の検出だな」
「課長、式神を展開するぞ」
「ああ。頼む」
納戸さんは胸ポケットから白い名刺サイズの式札を周囲に投げつける。すると、札が可愛いらしいてるてる坊主に変形し、せっせと現場を調べ始める。アームのような腕を体から生やし、テキパキと証拠品を回収。そして目から光を出して傀朧を検知しているようだ。私は思わず彼らの様子を目で追ってしまう。
「これを」
「うっ……」
私の目に入って来たのは、捜査資料で見たような歪に折れ曲がった女性の遺体だった。
服は不自然なほど綺麗に整えられてはいるが、体の至る所が赤黒く変色し、異臭を放っている。私は思わず口元を抑え、目を背けてしまった。
「大丈夫か? 遺体は自分が検分する。貴殿は見なくてもいい」
「……すいません」
納戸さんが優しく背中をさすってくれなければ、正直吐いていたかもしれない。
完全に戦力外な私を椅子に座らせた納戸さんは、七楽課長と一緒に、てるてる坊主がせっせと持ってくる証拠品の検分を開始する。
「
「いや、そうでもないかもしれない」
納戸さんはポケットから黒いスマホを取り出し、何かを入力すると、魔法のように空中からチューブファイルが出現する。
七楽課長はそれを手に取り、写真と遺体を見比べる。
「す、すごいですねそれ……魔法みたい」
「実は再現しているだけで、転移の魔法、みたいなものではない。そんな言葉を言ってくれるのは君くらいだよ。想術師の世界において、魔法という言葉は想術そのものを差す言葉だからな」
七楽課長は自らもジャケットの胸ポケットから取り出した黒いスマホを私に見せる。
「先にこれの説明をしておこう。これは〈想術犯罪対策課〉の最高機密、〈
「はい。想術師が想術を行使するときに使う、補助具……ですよね」
〈傀具〉。私も一度くらいは見たことがある。傀朧を流すことで、どんな人間でも特定の想術を使用することができるものや、想術師が自らの術の精度や威力を高めるために使用するものがある。主に武器の形をしていることが多いと聞く。
「そうだ。
私は、七楽課長の説明に頷き、改めて黒いスマホを見つめる。
「話を戻そう。この〈
「そうですか……」
――――――黒いスマホをじっと見つめていると、なんだか恐怖に似た不安を覚えて目を背ける。
「課長。照合結果と、照太から送られてきた被害者の身元だ。転送する」
「確認しよう」
黒いスマホから、ピコンと着信音が鳴ると、また課長の手元に資料が出現する。先ほど持っていたチューブファイルは、そのあたりに投げ捨てた時点で煙のように消え失せていた。課長は気を遣ってくれて、私に見える位置で資料をめくってくれる。
私たちが資料を見ているのを確認した納戸さんは、内容を要約して説明してくれる。
「被害者は、遠藤花二十一歳。市内の飲食店『モーモーおじさん』に勤務するアルバイト店員で、市内の大学に通う三回生。近辺では目立ったトラブルもなく、友人関係に想術師はいない」
「……モーモーおじさん」
つい昨日、
「あの! どこの店舗ですか?」
「む? 北白川店だが」
それは協会から一番近い店舗――――――昨日先輩と行った店で間違いなかった。顔から血の気が引いていく。
「何か知っているのか?」
「……つい最近行ったんです。その店」
私が吐き気を抑えてしゃがみこむと、七楽課長はてるてる坊主が行った遺体の検分結果に目を通し始めた。
「
「ああ。だが少し気になるところがある」
納戸さんは過去の遺体写真と現状を見比べて、私たちに提示する。
「全体的に、曲げ方が拙い。ここまで証拠を残さないタイプで、かつ自分の犯行に芸術性などを見出しているタイプだと仮定して考えれば、犯人は今回、初めて焦っていたかもしれないということにならないか」
「なるほど……」
「つまり、どこかに見落とした犯人の痕跡があるかもしれない」
課長と納戸さんは、部屋を隅々まで調べ始める。私は戦力外であることに申し訳なさを感じてはいたが、吐き気には抗えなかった。
「犯人はいつも、曲がった遺体をオブジェのように扱っている。血液を抜き、体を曲げ、遺体を術で硬化させ、そして……安らかな表情にする」
芸術的なもの――――――犯人は自らの欲望のためにこのようなひどいことを行っている。そう思えば思うほど、怒りが湧いてくる。それも、同じ年齢の女性ばかりを狙って。
「どこで殺している? 確実に想術が使える者の犯行ではあるが、殺す時に想術以外の痕跡を必ず残すはずだ。例えば、凶器はどうだ。すべてを想術で行っているとは思えない」
「いや、凶器の痕跡はこれまで一度も見つかっていない。あるのは、被害者が催眠の想術にかかっていた事実だけだ。殺しに傀具を使用しているのかは定かでないが、犯人自身の傀朧の痕跡はなかった」
私は吐き気を堪え、何とか遺体を観察する。
異常な状況なのに、とても安らかな死に顔だった。笑っているようにも見える。その表情に既視感を覚えた。
まるで――――――自分の鏡に映った姿のようで。
「ぅ……」
私はとうとう吐き気の限界を迎え、入り口付近で吐いてしまった。
「大丈夫か? 無理しなくてもいい。外で休もう。式神に任せ、休憩にしようか」
「す、すいません……」
課長は私の肩を持ち、外に連れて行ってくれる。ビルの外で蹲った私は、思っていることを口にする。
「本当に、すいません……何だか被害者が全員、私に似ているような気がして」
「似ている……?」
「なんとなくなんですけど……ちょっと、そう思って無理になっちゃって」
納戸さんが私の様子を心配し、近くの自動販売機で水を買ってきてくれた。
「確かに言われてみれば、ショートカットで年齢もかなり近く、顔の特徴も貴殿に似ているが……」
私の話を聞いた納戸さんは、僅かに頷くと、もう一度捜査資料に目を通す。
「自分は無差別殺人かと思っていた。顔の好みで選んだ相手を狙い、犯行に及んだと。それは間違いないのかもしれない。だが」
納戸さんは捜査資料を投げ捨てると、私の顔をじっと見つめる。
「貴殿、立花祥子と会ったことは?」
「ないです」
「斎藤香織は?」
「知りません」
「飲食店に勤務していた経験は?」
「……高校の時、バイトしてました。市内の小さなレストランで……あれ?」
「待て
「あくまで可能性の話で、自分の勘ではあるが」
私は寒気がして、両腕を抱える。
「根拠がない。狙っているとして、狙いは何だと言うんだ。理解ができん」
「……そうだな。荒唐無稽だった。謝罪する」
「い、いえ……」
その時、二人の黒いスマホからアラーム音が鳴り響いた。
『課長、燈護さん。近くに
『了解だ。場所は』
照太くんからの通信が入り、スマホ上に位置情報が送られてくる。
「杜若さん。もし、大丈夫ならここは私に任せて
「はい。わかりました」
「
「?」
困惑する私をよそに、課長は納戸さんに指示を出す。
「燈護。わかっているな。これは研修だ。抹殺はするな。拘束ののち、後で対処する」
「……善処する」
「では、君たち二人は
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