「……よし、こんなものでいいだろう」


 七楽課長は、テキパキと部屋の隅に固められていた大きな仕切りを持ってきて、リビングスペースとワーキングスペースを分ける。病院とかでよく見る仕切りがなんで置いてあるんだろうと思ったけど、よく考えれば公私混同しそうな部屋のつくりをしているから納得だ。

 七楽課長は、部屋の上座に設けられた大きいデスクに座る。デスクの前面に置かれたネームプレートには子どもが書いたような汚い筆で、『想術はんざい対策かちょー 七楽真朱ならくまこと』と書いてある。


「ん? ああ、これか。肩書はあった方がいいという燈護の意見に、ガキ共が悪ノリして作ったものだ。どうせ誰にも見られんからいいだろう」


 私がじっと見ていたせいで、七楽課長は苦笑しながら説明してくれた。


「いえ、その……とてもいいと思います」

「いらぬ気遣いだよこんな汚い字」


 課長に促され、私も自席から椅子を持ってきて座る。

 なんだか背後の仕切りから視線を感じるけど、気にしないことにする。


「さて、前職は〈総務局〉だったね。〈法政局〉のことは知っているか」

「いいえ。全く」

「まあそうだろうな」

「さっき、照太くんと納戸さんに軽く説明を受けました。被害者の名前と、特徴と……事件の簡単な概要を」

「そうか。それならばうちが、刑事のようなことをしている部署だとわかってもらえたかな」

「はい。それはわかりました」


 七楽課長は『曲がる死体殺人事件』とタイトルの書かれたチューブファイルを一冊、私に手渡す。


「正直うちは万年人手不足でね。特に、〈弔葬師ちょうそうし〉は想術師協会が認定した〈教協師メンター〉と呼ばれる人間が許可しなければ協会施設内から外に出ることができないようになっている。だからこそ、君には課内にいる五人の弔葬師の監督役を担ってもらいたい」

「監督役って……それに、弔葬師ちょうそうし? 彼らは想術師そうじゅつしではないんですか?」

「ああそうだ。彼らは想術師であって想術師の理から外れた特殊な存在……通称、〈橙朧人ダウナー〉と呼ばれる想術犯罪者たちだ。正常な想術師の思考や行動からは考えられない捜査能力と洞察力、そして人を殺すことを厭わない精神性を持ち合わせ、同じ橙朧人ダウナーを処断する。簡単に言えば、毒を以って毒を制す、といったところだ」

「〈橙朧人ダウナー〉……それも、二年も想術師協会にいて、初めて聞きました」

「〈総務局〉の庶務をやっている部署では、確かに聞かないだろうな。これらの情報は伏せられる傾向にあるからな」

「それで、その……逮捕するってことですか? その、橙朧人ダウナーを」

「逮捕するのは、橙朧人ダウナーと認定される前だけだ。認定されれば、〈法政局令〉に基づいて抹殺・・しなければならない」

「抹殺!? 殺すっていうことですか?」


 私は思わず椅子から立ち上がってしまった。それを見た七楽課長は何も言わずに頷いた。


「そんな、殺す……なんて」

橙朧人ダウナーは、すでに手遅れな状態のことなんだ。我々は個人が持つ傀朧のパターン……〈傀紋かいもん〉を検出し、傀朧のを特定する。ひとたび橙朧人ダウナーと認定されればすでに何らかの犯罪を確実に犯しているか、または想像の力で強力な傀異カイイを生み出していることの証明になるんだ。

 それに橙朧人ダウナーは、僅かな時間放置するだけで想術師社会にも、一般社会にも強い影響を与えてしまう。即時処分しなければ、多くの一般人たちが命の危険にさらされる」


 課長の言うことはわかる。今まで考えてもいなかったが、もし想術師が一般人に危害を加えたらと思うと、ぞっとする。考えれば、魔法のような力が使える存在を野放しにできる方がおかしいのだ。確かに取り締まる必要性が強くあるのは納得した。でも、それでも――――――。


「……どうしても、殺さなければならないんでしょうか」


 七楽課長は私をしばらく見つめたのち、「失礼」と言ってタバコに火をつける。


「……基本的な我々の業務は説明した。後は現場で見て感じ、考え、君なりに結論を出してくれ。どうしてもこの仕事ができないのならば、記憶消去ののち、元の事務に戻れることを約束しよう」


 それを聞いた私の心は、ちょっとだけ安心した。まるで異世界に来たみたいに、私の日常が豹変したのは事実だ。戸惑いしかないし、すごく緊張しているし、正直逃げ出してしまいたい。警察のように、人の生死に関わることをしなければならないと聞けば、その重圧に耐えられるか不安でしかない。


「……いきなりこんなことを言われても難しいだろうから、今日は帰るといい。特別に欠勤にはしない。君の家はこれまで通り〈想術師協会〉の宿舎だ。ここに住んでいるのは弔葬師ちょうそうしだけ。君には彼らと違って自由がある」


 課長はタバコを灰皿に押し付け、私にほほ笑む。その顔がとても疲れているような印象を受け、私は咄嗟に言い返す。


「いえ、大丈夫です。もう少し教えてください。結論を決めるのは、それからでもいいですか?」

「ああ、もちろんだ」


 課長はそう言うと、机の上にあった消しゴムを親指と人差し指でつまみ、仕切りに向かって放つ。まるでダーツの矢みたいに飛んで行って、私が振り返った時には、誰かの呻き声と共に、仕切りが倒れていた。


「痛ってぇなァ……おい」

「うう……たもちゃん重いよ~」

「だから言ったのだ。覗きなど不純の極みだと」

「とか言って、手前も覗いてたじゃねえか燈護ォ!」


 私は仕切りに近づいて、様子を伺った。

 白い無精ひげに白短髪のおじさんと納戸さんの間に、照太くんがサンドイッチされている。


「ハッ。ばっかじゃないの」


 その奥のテーブルで、だるそうにスマホを触っているギャルみたいな女子高生が、汚いものを見る目でサンドイッチを睨みつけていた。

 新しい顔ぶれが二人。私は少し緊張して背筋を正す。


「そりゃよ、気になるじゃねえか。新しい教協師メンターが可愛いお嬢さんだって聞きゃ」

「発言が変態エロジジイそのものじゃない。キッショ」

「なんでェ。じゃあお前さんはイケメン美男子が教協師メンターだったら、気にならねえのか?」

「気になるわけねえだろハゲ!」

「ハゲてねえ!」

「全く……お前たちうるさいぞ」


 課長に咎められ、二人は口論を止めた。白髪のおじさんは、鷹のように鋭い相貌をぎらつかせて私を見る。

 対峙しただけで、この人はただ者ではないと直感する。でもどこか柔らかい雰囲気もあり、白シャツの上から腹巻を巻いているのがやけに似合っていた。

 二ッと白い歯を見せたおじさんは、私に顔を近づけてくる。


「おれァは灰狼断汶はいろうたもんってんだ。よろしくな。仲良くやろうぜ嬢ちゃん」

「は、はい……よろしくお願いします」

「ねえ、変態エロジジイは放っておいてさ、さっさとご飯にしてくれない? そのために待ってんだけど」


 ギャルみたいな女の子は、苛立ちを露わにしてこちらを睨みつけている。


「先ほど説明した通り、彼ら四人は弔葬師ちょうそうしだ。幼く見えても老いていても、橙朧人ダウナーであり、橙朧人ダウナーを裁くことのために生かされている存在だ」

「ま、そういうこった。血なまぐさいのはおれらに任せな」

「お、オレは、裏方だから、捜査には行けないんだけど……」


 さっき橙朧人ダウナーの説明を聞いてなお思ったが、この人たちがそんな危険な存在だとは思えない。


リオ・・。お前も挨拶をしろ。新しい教協師メンターだ」

「私、杜若愛生っていいます。よろしくお願いします」


 リオ、と呼ばれたギャルっぽい女の子は、私をじろじろと見た後、鼻で笑って部屋から出て行ってしまった――――――厚い壁を感じる。仲良くできるかなぁ。


「あいつはちょっと素直じゃないところがあってな。口も悪いが根は良い子だ。根気強く話してやってくれ」

「課長、ご飯にする?」

「おっ! いいねェ照太。今日の昼飯は何なんだ?」

「パスタだよ! ナポリタン!」

「かーッ! またかよ」


 灰狼さんは不服そうに席につき、照太くんはキッチンに向かう。

 どうやら、料理を作るのは照太くんらしい。


「杜若さん。照太の作ったもので良ければ、いつでも食べるといい。こいつは料理がうまい」

「へへへ……うまいだなんて照れちゃうな~」


 照太くんは頭を掻いて嬉しそうに笑う。その可愛さで、私も思わず顔が綻んでしまう。

 お言葉に甘えて席につこうと椅子を引いた時、突然警告音のような音が部屋に響く。


『〈傀朧管理局〉より通知。傀紋色位赤イマジナリーレベルレッドを計測。直ちに現場に急行してください。繰り返します。直ちに現場に急行してください』


「おっと、飯は後だな」


 警告音を聞いた皆さんは、スイッチが入ったように一瞬で臨戦態勢を整える。闘気や体から発する殺気傀朧がとても鋭く、息がつまりそうだ。


「よし。想術犯罪対策課出動だ。現場急行は今回、管理者は研修を兼ねて私と杜若さん、弔葬師ちょうそうしは燈護、非番だが頼めるか?」

「承知した」

「後で時間外申請出しておいてくれ。では、灰狼とリオは待機して指示を待て。照太は情報収集。いいな」

「わかりました!」

「ちぇー。おれが先陣切りたかったのによぉ」


「それでは各々抜かりないように」



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