3 想術犯罪対策課
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――――――小雨が降り始めた。
私は荷物の入った段ボール箱を抱え、指示された〈
課長が渡したのは、辞令と簡単な地図のみ。そこに向かえとしか言われていない。
「はあ……どういうこと」
私はため息をつきながら、速足で地図に示された場所へ向かう。
昨日の夕方、急いでデスクを整理し、荷物をまとめて段ボールに詰めた。
よくドラマとかで見る、アレだ。
窓際部署に異動して、何かが始まる系の恋愛ドラマみたいなやつ――――――いや、ちょっと自分でも困惑しすぎておかしくなったのかなと思う。
異動。昨日の夜は眠れなかった。今は四月でもなければ、異動したいと願ったわけでもない。その上、想術師を管理監督するため、ルールを整備したり、取り締まったりする部局〈法政局〉に異動するなんて。秘密事項が多く、何をしているのか不透明で、聞くのは悪評ばかり。噂だけなら私の耳にも入っている。でも想術師協会の中でエリート中のエリートしか行けないとされる、いわゆる出世コースの王道とも聞く。
そんな場所に、どうして私が異動するのか。私は想術が一切使えない。ただ見えるだけのポンコツなのに。
目の前に大きなお寺が見えてくる。
あの建物は、想術師協会のトップである会長や、その他お偉い人しか入れない場所と聞く。もちろん、底辺の私が一生かけても入れるような場所ではない。
想術師協会はこのお寺のような〈
だが――――――私はその庁舎とは明らかに反対方向に向かっている。
それにしても荷物が重い。いらないものは捨てたつもりだったんだけど。箱の間から顔を覗かせていたのはもう必要のない事務のマニュアルだった。私はものを捨てられない性質なのだということを再認識し、またため息を吐いた。
「こ、ここ?」
ようやくたどり着いた場所――――――それは庁舎というよりはむしろ最新式のアパートという言葉がふさわしいものだった。二階建てくらいの大きさの鉄筋コンクリート造で、窓はあまりついておらず、殺風景に見える。扉はオートロック式のもので、重々しい鋼鉄でできている。本当にここで合っているのだろうか。
「ご、ごめんください……」
恐る恐る声をかけてみる。しかし返事はない。もう一度外周を回り、建物を観察するが、看板もなければ人の気配もない。
「やっぱり間違えた……?」
途方に暮れた私は、ダンボール箱を抱えたまま立ち尽くすしかなかった。
そんな時、背後から視線を感じ、恐る恐る振り返る。
「ひっ」
思わず声を出してしまった。振り返ると、体格の良い若い男の人が、紙袋を両手に抱えて姿勢よく直立不動していた。
グレーのパーカーにスウェットズボン、黒髪短髪のお兄さんだ。顔つきは童顔で凛々しい印象だけど、私を見る鋭い目がどう見ても堅気の目ではない。
「あはは……すみません……」
私は苦しすぎる愛想笑いを浮かべて回れ右する。
そしてそのまま足に力を入れて一気に立ち去る――――――。
「おい。待たれよ」
「きゃー!!」
男の人は一瞬で私の傍まで追いついて、逃げる私の隣にぴたりとつける。
めっちゃ、姿勢がいいな。思わず見惚れてしまいそう――――――いや、違う違う。私はこの上なく危険な状況にあるのだ。下らないことを考えている暇はない。とりあえず逃げて近くの交番に――――――交番なんてないんだった。どうしよう。
「待て。貴殿、
「えっ……あ、はい」
声色はそこまで怖い印象ではない。口調がやけに古風だけど―――悪意も敵意もないようだ。一旦逃げるのをやめて立ち止まり、男の人から距離を取って身構える。
「驚かせて失礼した。貴殿のことは聞いている。今日から配属される新しい
「は、はあ……」
男の人は生真面目に私に頭を下げる。悪い人ではない、のかな。
「自分は〈想術犯罪対策課〉の
名乗った男の人は、顔色一つ変えずに私の目をまっすぐ見る。やっぱりちょっと怖い。目が合わせられない。
「あの……アパートみたいな場所が、〈想術犯罪対策課〉のオフィスで合ってますか?」
「む。そうか、中に誰もいなかったか。それならばわかりにくかっただろう」
納戸さんはスタスタとアパートに向かって進む。置いてけぼりにならないように頑張ってついていくと、扉の前で黒いスマホをかざした。
「ここは、オフィス兼宿舎になっている。ここには課長と
「
認証が通ったらしく、扉のロックが解除される。
納戸さんは私の持つダンボールをさりげなく持ってくれて、中に誘導してくれた。
とても綺麗でシンプルな内装だった。玄関から廊下が伸びていて、私は納戸さんの後について奥に進む。いくつか部屋の扉を通り過ぎた先には、生活感のある広い空間が広がっている。ダイニングキッチンが併設されたリビングのような造りだが、ホワイトボードやデスクが置いてあり、無理やり仕事場に改造されているような印象を受ける。
「あ! おかえりなさい
デスクの一つで、小学校高学年くらいの男の子がパソコン作業をしていた。赤い半袖パーカーに短パン姿で、私を見るとにっこりと笑う。その表情がとても可愛らしかったので、思わず私もにっこりと笑ってしまった。
「こんにちは! もしかして、今日から来る
「こんにちは……あの、さっきから
「む。何も聞いていないのか?」
「はい。昨日異動が決まったもので……」
納戸さんと男の子は、顔を見合わせて首を傾げた。息ぴったりで、なんだか兄弟みたいに見える。
「まあ、すぐわかるか」
「オレ、
「杜若愛生です」
少年はキラキラした瞳でニッと笑う。見ているこっちまで元気になりそうだ。
「愛生さんって呼んでもいいですか?」
「うん。いいよ」
照太くんは、テキパキとオフィス内を進み、一際広いデスクに私を案内した。
向かい合って並ぶ六つの席の、一番端。席全部を見ることができる、上座。
私は違和感を覚え、照太くんに質問をする。
「ここが、私の席?」
「うん。ここだよ」
「上司の席じゃないの?」
私のいた〈総務局〉では、明らかに係長以上の人が座る席だ。
「課長の席はその後ろだよ。名札がある場所。愛生さんは、オレたちの直属の上司ってことになるし、ここだね」
「はい!?」
照太くんは驚く私を尻目に、キッチンでコーヒーを淹れてくれた。お盆で席まで持ってきてくれたのだが、その盆の上にスティックシュガーとミルクが大量に置いてあって、ちょっと苦笑いしてしまった。
「貴殿、業務のことも何も聞いていないのか?」
「あ、はい。私昨日まで〈総務局〉で事務してましたから」
「なら、自分も照太も何も言うまい。業務は課長が説明してくれるだろう」
納戸さんはデスクとは反対側にある広めのスペースで、徐に筋トレを始める。
「課長さんはどちらに?」
「昨日また起きた、〈曲がる死体〉事件の被害者を調べに、他の課員と共に現場だ」
「〈曲がる死体〉事件?」
その時、待ってましたと言わんばかりのタイミングで、照太くんが資料を渡してくれる。
「半年前から何度も起きてる、女性を狙った連続殺人事件なんだ。どの死体も、体が異常に曲げられているのが特徴だからそう呼んでる」
私はパラパラと資料をめくる。いきなり死体の検分写真が出てきて、少し吐き気がしてしまった。まるで美術館にあるオブジェのように、歪な形で曲げられた死体。明らかに異常なのに、なぜか美しさみたいなものを感じる。多分、死体の表情が安らかなせいだ。
「半年前、〈
納戸さんは説明しながら息一つ乱すことなく、腕立て伏せを続ける。
照太くんはキャスター付きのホワイトボードをカラカラ引っ張り、私に分かりやすい位置まで持ってきてくれた。ホワイトボードには、刑事ドラマで見るような人物相関図と捜査メモがびっしりと書かれている。
「今回の被害者は、桜井由美さん二十四歳。広島県在住の飲食店勤務で、最近まで京都市の大学に通っていたらしいんだけど、就職と共に地元に帰ったらしいです。それで、広島県内の山中で遺体で見つかる……」
「そんなニュース聞いたことないなぁ」
「ああ。捜査権はすぐに警察からうちに変わる上、情報統制もしっかりとされるからだ。酷だが、世間一般では事故死として処理される。犯人は想術師という不思議な力を使う人間だ、なんてことが世に受け入れられはしないからな」
私はぼんやりと、被害者の顔に既視感を覚える。皆ショートカットで目鼻立ちがくっきりとしている印象だ。
「
「自分は今日非番だ。だから、日課のトレーニングに励んでいる」
「日課なんですね」
「日課だ。今日は水曜日だから、走り込みと筋力トレーニングを重点的に行う」
照太くんはにこにこしながら、多分納戸さんが食べるのであろうタンパク質もりもりサラダチキンを、ボウルにたくさん盛っていた。
納戸さんはハードなトレーニングが終わると、タオルで汗を拭って、コップの水を一気飲みする。
そんな時、リビングのドアが開いた。
「戻った」
「お帰りなさい
私は照太くんが課長と言ったので、反射的に立ち上がる。部屋に入って来たのは、黒いスーツの凛々しい女性だった。ショートカットで、端正な顔立ち、耳に付けている三日月のピアスが印象的だ。彼女は口にタバコを咥えながら、ジャケットを脱ぐと、椅子に掛ける。
「初めまして、
「は、はい」
「想術犯罪対策課長の
女性は凛々しい笑顔のまま、金属でできた右手を私に差し出した。
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