――――――小雨が降り始めた

 私は荷物の入った段ボール箱を抱え、指示された〈想術犯罪対策課〉の庁舎に向かっていた。

 課長が渡したのは、辞令と簡単な地図のみ。そこに向かえとしか言われていない。


「はあ……どういうこと」


 私はため息をつきながら、速足で庁舎がある場所に向かう。


 昨日の夕方、急いでデスクを整理し、荷物をまとめて段ボールに詰めた。

 よくドラマとかで見る、アレだ。

 窓際部署に異動して、何かが始まる系の恋愛ドラマみたいなやつ―――。

 ちょっと自分でも困惑しすぎておかしくなったのかなと思う。


 昨日の夜は眠れなかった。

 異動。今は四月でもなければ、異動したいと願ったわけでもない。

 その上、想術師を管理監督するため、ルールを整備したり、取り締まったりする部局〈法政局〉に異動するなんて。秘密事項が多く、何をしているのか不透明で、聞くのは悪評ばかり。噂だけなら私の耳にも入っている。

 でも想術師協会の中でエリート中のエリートしか行けないとされる、いわゆる出世コースの王道とも聞く。

 そんな場所に、どうして私が異動するのか。私は想術が一切使えない。ただ見えるだけのポンコツなのに。


 目の前に大きなお寺が見えてくる。

 あの建物は、想術師協会のトップである会長や、その他お偉い人しか入れない場所と聞く。もちろん、底辺の私が一生かけても入れるような場所ではない。

 想術師協会はこのお寺のような〈陰陽堂〉と呼ばれる建物を中心に庁舎が立てられており、法政局は〈陰陽堂〉から最も近い位置に庁舎があるのだという。

 だが――――――その庁舎とは明らかに反対方向に向かっている。


 それにしても重いな。いらないものは捨てたつもりだったんだけど。箱の間から顔を覗かせていたのはもう必要のない事務のマニュアルだった。私は自分がものを捨てられない性質だということを再認識してまたため息を吐く。


 ようやくたどり着いた場所――――――庁舎というよりはむしろ最新式のアパートという言葉がふさわしく、私は不安になる。本当にここなのだろうか。


「ご、ごめんください……」


 恐る恐る扉をノックしてみる。しかし、返事はない。もう一度外に出て、建物を観察するが、看板もなければ人の気配もない。


「間違えた……?」


 途方に暮れた私は、ダンボール箱を抱えたまま立ち尽くすしかなかった。

 そんな時、背後から視線を感じ、恐る恐る振り返る。


「ひっ」


 思わず声を出してしまった。振り返ると、体格の良い若い男の人が、紙袋を両手に抱えて姿勢よく直立不動していた。

 グレーのパーカーにスウェットズボン、黒髪短髪のお兄さん。顔つきは童顔で凛々しい印象だけど、私を見る鋭い目がどう見ても堅気の目ではない。


「あはは……すみません……」


 私は苦しすぎる愛想笑いを浮かべて回れ右する。

 そしてそのまま足に力を入れて一気に立ち去る――――――。


「おい。待たれよ」

「きゃー!!」


 男の人は一瞬で私の傍まで追いついて、逃げる私の隣にぴたりとつける。

 いや、姿勢がいいな! 思わず見惚れてしまいそう――――――。

 いや、違う違う。私はこの上なく危険な状況にあるのだ。下らないことを考えている暇はない。とりあえず逃げて近くの交番に――――――交番なんてないんだった。どうしよう。


「貴殿、杜若愛生殿ではないか?」

「えっ……あ、はい」


 声色はそこまで怖い印象はなくて、口調がやけに古風だけど―――悪意も敵意もないようだ。

 一旦逃げるのをやめて立ち止まり、男の人から距離を取って身構える。


「驚かせて失礼した。貴殿のことは聞いている。今日から配属される新しい教協師メンターだと」

「は、はあ……」


 男の人は生真面目に私に頭を下げる。悪い人ではない、のか。


「自分は〈想術犯罪対策課〉の納戸燈護なんどとうごという。よろしく頼む」


 名乗った男の人は、顔色一つ変えずに私の目をまっすぐ見る。

 目が合わせられない。やっぱりちょっと怖い。


「あの……アパートみたいな場所が、〈想術犯罪対策課〉のオフィスで合ってますか?」

「む。そうか、中に誰もいなかったか。それならばわかりにくかっただろう」


 納戸さんはスタスタとアパートに向かって進む。置いてけぼりにならないように頑張ってついていくと、扉の前で黒いスマホをかざした。


「ここは、オフィス兼宿舎になっている。ここには課長と教協師メンター以外の課員……弔葬師ちょうそうしが住んでいる。内からも外からも硬く閉ざされている鉄の箱だ」

弔葬師ちょうそうし……?」


 認証が通ったらしく、扉のロックが解除される。

 納戸さんは私の持つダンボールをさりげなく持ってくれて、中に誘導してくれた。

 とても綺麗でシンプルな内装だった。玄関から廊下が伸びていて、私は納戸さんの後について奥に進む。いくつか部屋の扉を通り過ぎた先には、生活感のある広い空間が広がっている。ダイニングキッチンが併設されたリビングのようなつくりだが、ホワイトボードやデスクが置いてあり、無理やり仕事場に改造されているような印象を受ける。


「あ! おかえりなさい燈護さん……って」


 デスクの一つで、男の子が作業をしていた。白い半袖のシャツにサスペンダー、半ズボン姿で、小学生高学年くらいに見える。


「こんにちは! もしかして、今日から来る教協師メンターの人?」

「こんにちは……あの、さっきから教協師メンターって?」

「何も聞いていないのか?」

「はい。昨日異動が決まったもので……」


 納戸さんと男の子は、顔を見合わせて首を傾げた。息ぴったりで、なんだか兄弟みたいに見える。


「まあ、すぐわかるか」

「オレ、雄黄照太ゆうおうしょうた! よろしくねお姉さん!」

「杜若愛生です」


 少年はキラキラした瞳でニカッと笑った。見ているこっちまで元気になりそう。


「愛生さんって呼んでもいいですか?」

「うん。いいよ」


 照太くんは、テキパキとオフィス内を進み、一際広いデスクに私を案内した。

向かい合って並ぶ六つの席の、一番端。席全部を見ることができる、上座。

 私は違和感を覚え、照太くんに質問をする。


「ここが、私の席?」

「うん。ここだよ」

「上司の席、じゃないの?」


 私のいた〈総務局〉では、明らかに係長以上の人が座る席だ。


「課長の席はその後ろだよ。名札がある場所。愛生さんは、オレたちの直属の上司ってことになるし、ここだね」

「はい!?」


 照太くんは驚く私を尻目に、コーヒーを淹れてくれた。お盆で持ってきてくれて、その上にスティックシュガーとミルクが大量に置いてあって、ちょっと苦笑いしてしまった。


「貴殿、業務のことは何も聞いていないんだな」

「はい……私昨日まで事務職でしたし、本当に急で」

「なら、自分も照太も何も言うまい。業務は課長が説明してくれるだろう」


 納戸さんはデスクとは反対側にある広めのスペースで、筋トレを始める。


「課長さんはどちらに?」

「昨日また起きた、〈曲がる死体〉事件の被害者を調べに、他の課員と共に現場だ」

「〈曲がる死体〉事件?」


 待ってましたと言わんばかりのタイミングで、照太くんが資料を渡してくれた。


「半年前から何度も起きてる、女性を狙った連続殺人事件です。どの死体も、体が異常に曲げられているのが特徴だからそう呼んでます」


 私はパラパラと資料をめくる。死体の検分写真が出てきて、少し吐き気がしてしまった。

 まるで美術館にあるオブジェのように、歪な形で曲げられた死体。明らかに異常なのに、なぜか安らかな美しさみたいなものがあって。多分、死体の表情のせいだと思う。


「半年前、〈傀異対策局〉所属の二級想術師、立花祥子二十七歳が、廃ビルの中で遺体で見つかる。そして三か月前、今度は〈傀朧管理局〉所属の三級想術師で町の傀朧を管理する業務をしていた斎藤香織二十五歳が、想術師協会が管理する土地の中で。そして、とうとう一般人が犠牲になった」


 納戸さんは説明しながら息一つ乱すことなく、腕立て伏せを続ける。

 照太くんはキャスター付きのホワイトボードをカラカラ引っ張り、私に分かりやすい位置まで持ってきてくれた。


「桜井由美さん、二十四歳。広島県在住の飲食店店員です。最近まで想術師協会のおひざ元、京都市の大学に通っていたらしいんですけど、就職と共に地元に帰ったらしいです。それで、広島県内の山中で遺体で見つかる、と……」

「そんなニュース聞いたことないですけど」

「問題ない。捜査権はすぐに警察からうちに変わる上、情報統制もしっかりとされる。酷だが、世間一般では事故死として処理される。犯人は想術師という不思議な力を使う人間だ、なんてことが世に受け入れられはしないからな」


 私はぼんやりと、被害者の顔に既視感を覚える。多分、私の親戚に被害者三人の顔が似ているからかも、などと思っていた。そんなこと、捜査には関係ないのに。


「納戸さんは捜査に出られないんですか?」

「自分は今日非番だ。だから、日課のトレーニングに励んでいる」

「日課なんですね」

「日課だ。今日は水曜日だから、走り込みと筋力トレーニングを重点的に行う」


 照太くんはにこにこしながら、多分納戸さんが食べるであろうタンパク質もりもりサラダチキンをボウルにたくさん盛っていた。

 納戸さんはハードなトレーニングが終わると、タオルで汗を拭って、コップの水を一気飲みする。


 そんな時、リビングのドアが開いた。


「戻った」

「お帰りなさい! 課長・・


 黒いスーツ――――――凛々しい立ち姿、存在感。

 ショートカットで、端正な顔立ちの若い女性が口にタバコを咥えながら入って来た。

 私は、照太くんが課長と言ったので、反射的に立ち上がる。


「初めまして、杜若愛生さん。遅くなってすまなかった。事件のことは聞いてくれたかな?」

「は、はい」

「想術犯罪対策課長の七楽ならくだ。ようこそ、想術犯罪対策課へ」


 女性は凛々しい笑顔で、金属でできた右手を私に差し出した。



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