2 理不尽
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扉を開けた瞬間、香ばしい肉の香りが鼻孔を刺激する。
店内は木目調で統一された落ち着く空間で、温かい照明で机が照らされている。ちょうどご飯時ということもあり、店内は人で溢れていた。
京都市内と大阪に数店舗あるハンバーグ店、その名も『モーモーおじさん』。一度聞いたら忘れられない名前だ。
「二名で」
先輩は慣れた手際で応対に来た店員に笑顔で合図し、空いている席まで私を誘導してくれた。
「ここさ、実は俺が学生時代バイトしていたところなんだよ。変な名前でしょ?」
「へー……ここでよかったんですか?」
私は店員さんの恰好が気になってしまう。カウボーイというか牧場のおじさんというか―――失礼かもしれないが、この格好で先輩が働いていたのかと思うと少し笑いそうになってしまった。
「もちろん。
〈想術師協会〉の庁舎街は、古都京都の山中に誰も視認できない形でひっそりと広がっている。何重にも張り巡らされた結界で守られており、強力な人避けの術が施されているため、一般人がたどり着くことは決してない場所だった。
私たちは席に着くなり、メニュー表を広げる。
すごく恥ずかしいけど、よだれが出てきた。先輩には見られないようにしなきゃ。
手早くおすすめのハンバーグセットを注文すると、話題は私のことになる。
「杜若さんってさ、直で〈総務局〉勤務になったの?」
「あ、はい。私その……〈
「昔から、変なものが見えたりしたの?」
「はいそれは。普通の人が歩いている道に、気持ち悪いシミがあったり、変な声を出しながら蠢く人影を見たり、犬みたいなバケモノを見たこともあります。でも、それは他の人たちには見えなくて、私だけが見えたから、おかしいのは私なんだって」
「わかるよ。俺もそんな感じだったし、この業界に入った人で、代々世襲で
「そういうもの、何ですかね」
私たちの前に、鉄板に乗った大きなハンバーグが置かれた。思わず顔が綻んで、唾を飲み込んでしまう。
鉄板が熱いうちに、付属のデミグラスソースをかけて、ナイフとフォークでハンバーグを分ける。中から肉汁が溢れてきて、たまらず大口で頬張ってしまう。
「俺はね、見えるだけの体質の人はある意味被害者だと思ってる。だって、
「そう……ですね」
この世界には、人間の想像から生まれたバケモノ、
でも、世の中ほとんどの人が見えない存在と戦うって言っても、誰も信じてくれないし、皆疑う。だからこそ国は、〈想術師協会〉という組織をつくり、私たちのような傀異が見える者を管理監督、統制して効率的に傀異と戦うというわけだ。
私は高校を卒業して大学に行くことが決まっていた。それなりに勉強して、それなりの中堅大学に受かっていて。両親も喜んでくれたし、私自身、楽しい大学生活を送る気でいた。でも、スカウトされたせいですべてが狂ってしまった。
「〈総務局〉には、杜若さんみたいに見えるだけの人がたくさんいる。少し聞きたいんだけど、杜若さんはどうして想術師協会で働こうと思ったの?」
「えっ……それは、強制的に、です。私に選択の余地はありませんでした」
「……もしかすると君を傷つけることになるかもしれないけど、それってすごく珍しいことなんだ」
「そ、そうなんですか? 私てっきり、皆さん強制なのかと……」
化野先輩は肘杖をついてその上に顎を乗せると、目を細めて窓の外を見つめる。
「理不尽だよ。普通は監視はされど、強制的に想術師協会で働かせる、なんてことはない」
「そう、なんですね……何でそうなったのかは、もうどうでもいいです。だからですかね……私、今の仕事にも今後の生き方にも、自信がないんです」
傀異が見える者は、より傀異を引き寄せ、その恐怖やマイナスの想像が、傀朧を多く生み出してしまうのだという。だから、〈傀朧管理局〉のスカウトたちは、私に選択を迫った。
――――――想術師になり、想術師協会で仕事をするか。それとも、一生我々の元で軟禁生活を送るか、と。
これは理不尽なことだったのだ。今更なぜなのか、ということは聞く気にもなれなかった。
「ごめん。せっかくのご飯が不味くなってしまうね」
「いえ大丈夫です。これ、めっちゃ美味しいですね!」
「うん……杜若さんの食べっぷり、ほんといいね」
気づけばハンバーグ定食をペロリと平らげていた私は、満足感の余韻に浸る。
「安心した。飯食ってる時の君、ほんと幸せそうだったから」
「なんかすいません。心配してもらったのに……」
先輩はふう、と一息つくと柔和な笑みのまま告げる。
「今君は悩んでいる。今のままでいいのか、今の仕事が向いていないんじゃないか。生きて行けるのかって。でもそれは、絶望から来る不安じゃなくて、未来に向かって進もうとする
「意志……?」
「そう。だからこそ、悩み、足掻いて進もうとしているんだ。それは、とてもいいことだと思うけどね」
私は、先輩の言った言葉の意味があまりわからなかった。
未来に進もうとしている? 日々自分の価値がわからなくなって、悩んでいる私が?
実感はない。けれど、先輩の表情を見ていると、なぜか不安が晴れるような気がする。
「理不尽についてもう言及はしない。だから一つ聞かせて。君は、どんな生き方がしたい? どんな信念を持ちたい?」
「生き方……信念……」
私が思い描いていた未来は、想術師になったことで叶わなくなった。
高校の友だちは皆大学生活を満喫したりしていて、正直すごく羨ましい。
けれど、先輩の言うとおり、生き方や信念は変わっていないはずだ。だったら、一瞬で思いついたものが一つある。自分のモットーというか、絶対に譲れない価値観が一つ。
「
「いい答えだ。でも贖罪は言いすぎじゃない?」
私たちはお互いに笑いあって、その後は他愛もない話をしばらくして、店を出た。
正直に生きる。それは胸に吹く風のように爽やかな私の答えだった。それを口にした時、なぜか私の抱えていた悩みが消えたような気がしたからだ。
私は元来、能天気な性格だからあまり引きずらないほうではある。でもこんなにすっきりするのは、多分先輩のおかげなんだろう。
こんな状況でも、仕事が固定されてても、私は自分にしかできないことを探して行こうと思った。小さくても少しずつでも。
次の日。出勤したら、もういつもの日常に戻っていた。
「杜若さん。ちょっといい?」
「は、はい!」
朝一番で、課長に呼ばれた。
緊張でドキドキしてしまう。朝からまた説教か。ああ、あの胸に吹いた爽やかな風は何だったんだろう。くそう。
私は心の中で絶叫し、課長の前に行く。でも、課長は説教を始めることなく、会議室の電気を付けて中に入るよう促した。
余計に緊張が増す。とうとう取り返しのつかないミスをしてしまって、私をクビにするのだろうか。クビになったらどこへ行く? もしかして、施設送りなのだろうか。そんなマイナスな想像ばかり募る。
私は椅子に促され、ガチガチのまま座った。
「杜若さん。明日から異動ね」
「ああ、異動……異動? えっ!? 異動!?」
課長は頭を抱え、私を疑り深い目で見つめる。
「君、何したのほんと……」
課長は辞令を私の前に差し出す。
そこに書かれていたのは――――――。
「読み上げるよ。
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