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扉を開けた瞬間、香ばしい肉の香りが鼻孔を刺激する。
店内は木目調で統一された落ち着く空間で、温かい光に照らされている。ちょうどご飯時ということもあり、店内は人で溢れていた。
京都市内と大阪に数店舗あるハンバーグ店、その名も『モーモーおじさん』。一度聞いたら忘れられない名前だ。
「二名で」
先輩は慣れた手際で応対に来た店員に笑顔で合図し、空いている席まで私を誘導してくれた。
「ここさ、実は俺が学生時代バイトしていたところなんだよ。変な名前でしょ?」
「へー……ここでよかったんですか?」
「もちろん。杜若さんが肉食べたいって言うから。〈総務局〉から結界を抜けてすぐだし、ちょうどいいかなって」
私は店員さんの恰好が気になってしまう。カウボーイというか牧場のおじさんというか―――とにかく、この格好で先輩が働いていたのかと思うと少し笑いそうになってしまった。
〈想術師協会〉の庁舎街は、古都京都の山中に誰も視認できない形でひっそりと広がっている。何重にも張り巡らされた結界で守られており、強力な人避けの術が施されているため、一般人がたどり着くことは決してない場所だった。
私たちは席に着くなり、メニュー表を広げる。
すごく恥ずかしいけど、よだれが出てきた。先輩には見られないようにしなきゃ。
手早くおすすめのハンバーグセットを注文し、先ほどの話に戻る。
「杜若さんってさ、直で〈総務局〉勤務になったの?」
「あ、はい。私その……高校三年の時に街中で声かけられて。〈
「昔から、変なものが見えたりしたの?」
「はいそれは。普通の人が歩いている道に、気持ち悪いシミがあったり、変な声を出しながら蠢く人影を見たり、犬みたいなバケモノを見たこともあります。でも、それは他の人たちには見えなくて、私だけが見えたから、おかしいのは私なんだって。一回、友だちとか、家族に言ったことがあるんですけど、全然相手にしてもらえなくて」
「わかるよ。俺もそんな感じだったし、この業界に入った人で、代々世襲で
「私、子どもの時バケモノと目があったことがあって……その時バケモノが私の方に寄って来たのがトラウマになって、それ以来自分を守るために嘘を吐くことにしたんです。絶対に見えないって、自己暗示みたいなのをかけて」
「なるほどね。それも大変だったろうに」
私たちの前に、鉄板に乗った大きなハンバーグが置かれた。思わず顔が綻んで、唾を飲み込んでしまう。
鉄板が熱いうちに、付属のデミグラスソースをかけて、フォークでハンバーグを分ける。中から肉汁が溢れてきて、たまらず大口で頬張ってしまう。
「俺はね、見えるだけの体質の人はある意味被害者だと思ってる。だって、
「そう……ですね」
この世界には、人間の想像から生まれたバケモノ、
でも、世の中ほとんどの人が見えない存在と戦うって言っても、誰も信じてくれないし、皆疑う。だからこそ国は、〈想術師協会〉という組織をつくり、私たちのような傀異が見える者を管理監督、統制して効率的に傀異と戦うというわけだ。
私は高校を卒業して大学に行くことが決まっていた。それなりに勉強して、それなりの中堅大学に受かっていて。両親も喜んでくれたし、私自身、楽しい大学生活を送る気でいた。でも、スカウトされたせいですべてが狂ってしまった。
「〈総務局〉には、杜若さんみたいに見えるだけの人がたくさんいる。彼らはただ傀異が見えるだけで未来を絶たれ、想術師にならざるを得なかったんだ。やっぱり、言い方悪いけど理不尽だなって」
「そうですね。私も、選択の余地はなかった。だからですかね、今の仕事にも、今後の生き方にも、自信がないんです」
傀異が見える者は、より傀異を引き寄せ、その恐怖やマイナスの想像が、傀朧を多く生み出してしまうのだという。だから、〈傀朧管理局〉のスカウトたちは、私のようなただ見えるだけの人間に選択を迫る。
――――――想術師になり、想術師協会で仕事をするか。それとも、一生施設で軟禁された生活を送るのか、と。
「ごめん。せっかくのご飯が不味くなってしまうね」
「いえ! 大丈夫です! めっちゃ美味しいです!」
「うん……杜若さんの食べっぷり、ほんといいね」
気づけばハンバーグ定食をペロリと平らげていた私は、満足感の余韻に浸る。
「安心した。飯食ってる時の君、ほんと幸せそうだったから」
「なんかすいません。心配してもらったのに……」
「ううん。逆だよ。本当に安心したんだ」
先輩は柔和な笑みで私をじっと見つめる。
「今君は悩んでいるよね。今のままでいいのか、今の仕事が向いていないんじゃないか。生きて行けるのかって。でもそれは、絶望から来る不安じゃなくて、未来に向かって進もうとする
「意志……?」
「そう。だからこそ、悩み、足掻いて進もうとしているんだ。それは、とてもいいことだと思うけどね」
私は、先輩の言った言葉の意味があまりわからなかった。
未来に進もうとしている?
日々自分の価値がわからなくなって、悩んでいる私が?
実感はない。けれど、先輩の表情を見ていると、なぜか不安が晴れるような気がして。
「一つ聞かせて。君は、どんな生き方がしたい? どんな信念を持っている?」
「生き方……信念……」
私が思い描いていた未来は、想術師になったことで叶わなかった。
高校の友だちは皆大学生活を満喫したりしていて、羨ましいと思っている。
けれど、先輩の言うとおり、生き方や信念は変わっていないはずだ。
だったら、一瞬で思いついたものが一つある。
自分のモットーというか、絶対に譲れない価値観が一つ。
「
「いい答えだ。でも贖罪は言いすぎじゃない?」
私たちはお互いに笑いあって、その後は他愛もない話をしばらくして、店を出た。
正直に生きる。それは胸に吹く風のように爽やかだった。それを口にした時、なぜか私の抱えていた悩みが消えたような気がした。
私は元来、能天気な性格だからあまり引きずらないほうではあるけど。
でもこんなにすっきりするのは、多分先輩のおかげなんだろうと思う。
こんな状況でも、仕事が固定されてても、私は自分にしかできないことを探して行こうと思った。
次の日。出勤したら、もういつもの日常に戻っていた。
「杜若さん。ちょっといい?」
「は、はい!」
朝一番で、課長に呼ばれた。
緊張でドキドキしてしまう。朝からまた説教かなぁ。ああ、あの胸に吹いた爽やかな風は何だったんだろう。くそう。
私は心の中で「私のバカ、アホ!」と叫び、課長の前に行く。でも、課長は立ち上がり、会議室の電気を付けて中に促した。
余計に緊張が増す。とうとう取り返しのつかないミスをしてしまって、私をクビにするのだろうか。クビになったらどこへ行く? もしかして、施設送りなのだろうか。マイナスな想像ばかり募る。
椅子に促され、ガチガチのまま座る。
「杜若さん。明日から異動ね」
「ああ、異動……異動? えっ!? 異動!?」
課長は頭を抱え、私を疑り深い目で見つめる。
「君、何したのほんと……」
課長は辞令を私の前に差し出す。
そこに書かれていたのは――――――。
「読み上げるよ。
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