2 


「ねえつくしくん。幸せって、何だと思う?」

「しあわせ?」

「私はね、これまでずっと、君のような患者クライアントを見てきた。想術師そうじゅつしは、心を病む人が多い。人知れず、傀異バケモノから多くの人を守っているんだ。君のように深く傷ついてしまった人や目の前で仲間を失ってしまった人がたくさんいるんだ。私は傀朧カイロウが使える。普通の医者よりもずっと病を癒すことができるし、魔法のように傷を治すことだってできる。でもね、心の傷・・・だけは、治してあげることができないんだ」


 彼は私のことを見つめているだけで、何も言わなかった。その視線が私の心に突き刺さる。


「人の幸せは、人それぞれ在り方が違う。私は人の幸せを考え続けてしまった結果、自分の幸せが見えなくなった」

「ん……わかんない」


 私は彼の頭をそっと撫でた。

 彼は一瞬体をびくつかせた後、すぐにリラックスして肩の力を抜く。


「おやすみ、盡くん」


 彼は、ゆっくりと目を閉じて、私の膝に崩れ落ちた。

 傀朧を使った精神干渉の術式―――この部屋に張り巡らせた想術そうじゅつが効いたのだ。

 想術そうじゅつを使い、証拠を残さず人を殺すことは簡単なことだ。

 私はそのやり方で、何人もの報われない人たちを死に誘導してきた。

 私はとうの昔に、医者である前に人間失格だ。


「君は、きっと天国にいくことができる」


 私は治す・・ことに執心した結果、自分の無力さに絶望し、壊れてしまった。

 膝の上で寝息を立てる彼の表情は、とても穏やかだった。


 私はポケットから小さな注射針を取り出し、彼の首筋に近づける。


 ――――――自殺の暗示。

 体内に一切の痕跡を残さず、自分の意志で死を望むようになる薬だ。私が開発した。

この薬が効けば、彼は自然と自ら命を絶つように行動する。


 私は改めて自分に言い聞かせる。この先彼の生きていく世界は地獄なのだと。苦痛を伴った生に、価値などないのだと。そう自分に言い聞かせる。いつも私が患者クライアントにやるように。


「ごめん、ね……」


 涙が、彼の頬に落ちる――――――。


「ねえ先生」

「……は?」


 突如カッと目を見開いた神狩盡は、純粋無垢な瞳を刃のように突き立て、私を見る。


「人を〈好き〉になるって、どういうことか教えてよ」

「そんな……た、確かに暗示は効いたはず……」


 驚いて椅子から転げ落ちた私を、彼の視線は逃がさない。

 ポケットから真っ黒なスマホ―――画面のない漆黒の箱だ。それを取り出して、私に向ける。ちょうど、スマホのカメラで私を撮影するように。


 ――――――ぞくり。

 漆黒の箱から、悍ましい視線を感じる。何なんだ。何が、私を覗いている? 何がこんなに恐ろしい?


神断Judgement十二決議Resolution―――傀紋色位イマジナリーブランドオレンジと断定。対象を速やかに抹殺してください』


 黒い箱が、一転する――――――。

 真っ白な光を放ち、神狩盡を包み込んでいく。

 見たこともない高密度の傀朧。それが幾重にも折り重なった羽となり、彼の背に出現する。それらは一枚一枚が意志を持っているかのように脈動した。


「答えてよ。人を好きになるって、どういうことなの?」


 ――――――それはまるで、天使のよう。

 光の輪が頭上に現れ、手に持っていた黒い箱は、いつの間にか黄金に輝く剣へと変わっていた。


 見惚れる。吸い込まれそうだ。

 この光を、この神々しさを私はずっと求めていた。


「……その人の、最も願っていることを、してあげたいと思う気持ちだよ」


 私は無意識に、彼の質問に答えていた。

 自分でも驚くほど素直に、心の底から。


「……そう。じゃあ先生はぼくのこと、好きじゃなかったんだね」

「!!!」


 彼が告げたのは、真理だった。反論の余地などありはしない。

 私は人のためではなく、自分のため・・・・・に罪を重ねていたのだ。本当はわかっていたのだ。でも、それでも私は――――――。


「君を……みんなを救いたかったんだ。たとえ人間ではなくなっても。悪魔になったとしても……!」

「ぼく、先生のこといい人だって……本当は話したくないこともたくさんあったけど、でも話してもいいって思った。なのに」


 私を憐れむような、それでいて軽蔑するようなまなざしが向けられる。


「先生はぼくのこと、好きじゃなかった」

「やめろ……やめてくれ。私は……ッ!」


 黄金の剣が、彼の右手に吸収される。

 こんなに神々しく、濃厚な傀朧は見たことがない。

 どんな術を使っているのか定かではないが、これだけはわかる――――――。


「どこにも、行って欲しくなかった。だから、おかあさんの言った通り、ぼくはこわした」


 私に、天罰が下るのだと。


「〈好き〉だから、壊した。〈大好き〉だったから」


 神狩盡は、右手を私に向けてかざした。


 ああ。なんて神々しくて。理不尽で。そして――――――。


「私の求めていたもの……」


 ぐっ。

 彼が手のひらを握りしめた瞬間、見ていた光が暗転した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る