弔葬師《アンジェラス》の正義

くろ飛行機

人を好きになるって、なんですか〈invention〉


 部屋の時計が、十七時を告げる。

 カタカタとキーボードを打つ音だけが、静かなカウンセリングルームに響いていた。

 暖色の照明。リラックス効果のある香りを出す装置。居心地の良くなる室内装飾。そして、部屋の中央に置かれたふかふかのソファ――――――。

 準備はとうに出来ている。後は、患者クライアントを待つのみだった。


 私は次に予約が入っている患者クライアントのデータを、パソコン上で起動させる。


神狩盡かがりつくし、十一歳、当院への通院回数四回』


 患者クライアントの基本的な情報が画面に映し出され、私はふとため息をついた。


 ――――――この少年は非常に厄介だ。


 私は仕事柄、初めてカウンセリングを行った時に、そのクライアントがどれほどの精神的ダメージを持っているかを判別できる。そして、ここに来る者の大抵は深刻な状態であることが多い。


 暴れる者。話ができる状態でない者。異常な妄想に囚われている者――――――。

 通常・・のカウンセラーたちが皆そろって匙を投げるほどに、厄介極まりない状態の者たち。

 その理由は、傀朧カイロウと呼ばれる不思議な力が関与しているからである。

 傀朧とは、多くの人間たちが信じない超常現象を引き起こす元となるものだ。それは人間の想像から生まれ、この世界に滞留し、やがて傀異バケモノを生む。

 想像の残滓である傀朧は時に、人間の精神に大きなダメージを与える。


 もし人間が、魔法のような不思議な力を引き起こすことができたとしたら。

 そしてその力に溺れ、過信し、大きな過ちを犯してしまったとしたら。


 思うに、人は傀朧を使えば、神にでも悪魔にでもなれてしまう。


 ――――――コン。


 弱弱しいノックが私の耳に入る。

 最後に部屋の隅にある小さな装置のスイッチを入れ、席につく。

 私の目の前に現れる者を救うことができるのもまた、神か悪魔なのだ。


「どうぞ」


 これが、この患者クライアントの最終面談になる――――――。


「こんにちは、つくしくん」

「……こんにちは」


 もし、本物の神様がいるのだとしたら。

 ああ、神さま。


 どうか、この子に救いを――――――。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 神狩盡かがりつくしは、ふかふかのソファの真ん中に座った。

 オーバーサイズ気味の赤いトレーナーパーカーに半ズボンと、年相応の恰好をしている。ただ年相応でないのは彼の体格だ。十一歳の平均身長よりも背が低く、体重もその分軽い。色白で顔色も良いとは言えない。無表情で感情を表に出さず、いつも遠くをぼんやりと見つめているようだった。


「今日はどうやって来たの?」

「送ってもらった。七楽ならくに」

「七楽課長に? それはよかったね。彼女は外で待っているの?」

「うん」


 こちらが喋りかけるとよく話してくれる。言葉通りまっすぐに。嘘は決して吐かなかった。


「今日はご飯、何食べた?」

「いちごパフェ。ここに来る前に食べたよ」

「好きだねいちご。今が旬だし、美味しいよね」

「うん。潰した時に、綺麗になるから好き」

「いつもいちごを潰して食べるの?」

「うん。潰さないと、美味しくない」


 彼は赤いものが好きだった。今日も赤いパーカーを着て来ている。それだけでは普通のことだが、彼の場合深層心理に赤いもの・・・・がこびりついているせいで、赤ばかり見てしまうのだろう。それは、彼の話を聞いた時に何となくわかった。


「じゃあ今日も昔のこと話してくれる? もちろん、嫌なことや話したくないことは話さなくてもいい」

「大丈夫。先生になら話してもいいかなって思えるようになってきた」

「ありがとう。無理はしなくていいからね」


 私は神狩盡かがりつくしと少し離れた斜めの位置に座る。


「じゃあ今日は、三つ質問をするね。まずは、君がお母さんにしてもらって嬉しかったことを教えて欲しい。できるだけ具体的に、思い出せる範囲で」

「……おかあさんはいつもご飯を買ってきてくれたよ。豪華なコンビニのお弁当。揚げ物とか、ハンバーグ。あとは、よく一緒に出かけた。夜遅くに、キラキラしたところに行った。手をつないでくれた。とっても楽しかった」

「なるほど。それは良い思い出だね」


 彼は捨て子だったらしい。

 一歳にも満たない年齢で、想術師協会そうじゅつしきょうかい所管の児童養護施設の前に捨てられていたのだという。この養護施設は、特殊な事情を抱えた子どもたちが多く在籍している。彼は三歳の時、遠縁の親戚を名乗る女に引き取られた。その女は当時金をたくさん持っていたが、それらはすべて男から巻き上げた汚い金であり、男に捨てられた後は一文無しになってしまったらしい。

 そして、女は狂ってしまったのだった。


「ぼく、おかあさんが笑ってくれたら嬉しかった。キラキラしたお店とか、友だちと会ってる時とか、化粧をしてる時とか。笑って欲しかったんだ。笑ってくれたら、ぼくも嬉しくなる。だから笑って欲しかった」


 彼は壮絶な身体的虐待を受けていた。資料を読んだ限り、限りなく不快で悍ましい内容だった。自分の置かれた状況全てに憂さ晴らしをするためか、あらゆる暴力を尽くしたという。

 殴る、蹴る、焼く、打つ、斬る――――――どれも吐き気を催す残虐性だった。


「そうなんだね。盡くんが、お母さんのためにしてあげた一番のことって、何かな?」

「……」

「話したくなかったらいいよ」

「いい子にしてた」

「いい子?」

「いい子にしてたら好き。いい子じゃなきゃ嫌い。だから、いい子にしてたよ」

「具体的にはどういうふうにしたらいい子なの?」

「……」


 これ以上は聞くまい。

 母親は彼で試していたのだろう。自らを承認し、自らを肯定し、自らを決して捨てず・・・にいてくれる存在を。

 母親の心の闇がわかっていたからこそ、彼は耐えたのだ。

 自分しかいないと。そう言ってくれる母親のために。


「でもぼく、いい子じゃなかった」

「どうして?」

「そう言われた」

「いい子にしてたんだよね」

「うん。でもダメなんだって。〈好き〉じゃないって」


 彼との会話の中で、よく〈好き〉という単語が出てくる。彼は〈好き〉という言葉を母親からよく言われていたらしく、感情を理解したいのだという。


「お母さんのこと〈好き〉?」

「うん。大好き。世界で一番好き。でも、わかんないんだ。本当に、好き・・なのか。何が好きで、何が嫌いなのか。わかんない」


 彼の表情が一気に曇る。そしてこの後、彼の中のトラウマが一気に弾けるのだ。


「……〈好き〉ってなんだろ」


 彼の瞳が一気に曇る。私の決意は固かった。

 今日、彼を呼んだのは他でもない。私は、彼を救うためにここに呼んだのだ。

 これ以上どれだけ話をしても、彼の心を完全に治すことなどできはしない。

 だから、私は。


「ねえ盡くん。眠くならない?」

「うん……ちょっと眠たい」

「君は最初のころから比べると、とてもリラックスして話してくれるようになった。それが私は嬉しくてね」

「嬉しい?」

「そう。だから試してみたい療法があってね」


 私は立ち上がる。浅い呼吸を繰り返していることを決して知られないように、彼の隣に座る。

 私は今から、彼を殺す。


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