弔葬師《アンジェラス》の正義
くろ飛行機
人を好きになるって、なんですか〈invention〉
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部屋の時計が、十七時を告げる。
カタカタとキーボードを打つ音だけが、静かなカウンセリングルームに響いていた。
暖色の照明。リラックス効果のある香りを出す装置。居心地の良くなる室内装飾。そして、部屋の中央に置かれたふかふかのソファ――――――。
準備はとうに出来ている。後は、
私は次に予約が入っている
『
――――――この少年は非常に厄介だ。
私は仕事柄、初めてカウンセリングを行った時に、そのクライアントがどれほどの精神的ダメージを持っているかを判別できる。そして、ここに来る者の大抵は深刻な状態であることが多い。
暴れる者。話ができる状態でない者。異常な妄想に囚われている者――――――。
その理由は、
傀朧とは、多くの人間たちが信じない超常現象を引き起こす元となるものだ。それは人間の想像から生まれ、この世界に滞留し、やがて
想像の残滓である傀朧は時に、人間の精神に大きなダメージを与える。
もし人間が、魔法のような不思議な力を引き起こすことができたとしたら。
そしてその力に溺れ、過信し、大きな過ちを犯してしまったとしたら。
思うに、人は傀朧を使えば、神にでも悪魔にでもなれてしまう。
――――――コン。
弱弱しいノックが私の耳に入る。
最後に部屋の隅にある小さな装置のスイッチを入れ、席につく。
私の目の前に現れる者を救うことができるのもまた、神か悪魔なのだ。
「どうぞ」
これが、この
「こんにちは、
「……こんにちは」
もし、本物の神様がいるのだとしたら。
ああ、神さま。
どうか、この子に救いを――――――。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
オーバーサイズ気味の赤いトレーナーパーカーに半ズボンと、年相応の恰好をしている。ただ年相応でないのは彼の体格だ。十一歳の平均身長よりも背が低く、体重もその分軽い。色白で顔色も良いとは言えない。無表情で感情を表に出さず、いつも遠くをぼんやりと見つめているようだった。
「今日はどうやって来たの?」
「送ってもらった。
「七楽課長に? それはよかったね。彼女は外で待っているの?」
「うん」
こちらが喋りかけるとよく話してくれる。言葉通りまっすぐに。嘘は決して吐かなかった。
「今日はご飯、何食べた?」
「いちごパフェ。ここに来る前に食べたよ」
「好きだねいちご。今が旬だし、美味しいよね」
「うん。潰した時に、綺麗になるから好き」
「いつもいちごを潰して食べるの?」
「うん。潰さないと、美味しくない」
彼は赤いものが好きだった。今日も赤いパーカーを着て来ている。それだけでは普通のことだが、彼の場合深層心理に
「じゃあ今日も昔のこと話してくれる? もちろん、嫌なことや話したくないことは話さなくてもいい」
「大丈夫。先生になら話してもいいかなって思えるようになってきた」
「ありがとう。無理はしなくていいからね」
私は
「じゃあ今日は、三つ質問をするね。まずは、君がお母さんにしてもらって嬉しかったことを教えて欲しい。できるだけ具体的に、思い出せる範囲で」
「……おかあさんはいつもご飯を買ってきてくれたよ。豪華なコンビニのお弁当。揚げ物とか、ハンバーグ。あとは、よく一緒に出かけた。夜遅くに、キラキラしたところに行った。手をつないでくれた。とっても楽しかった」
「なるほど。それは良い思い出だね」
彼は捨て子だったらしい。
一歳にも満たない年齢で、
そして、女は狂ってしまったのだった。
「ぼく、おかあさんが笑ってくれたら嬉しかった。キラキラしたお店とか、友だちと会ってる時とか、化粧をしてる時とか。笑って欲しかったんだ。笑ってくれたら、ぼくも嬉しくなる。だから笑って欲しかった」
彼は壮絶な身体的虐待を受けていた。資料を読んだ限り、限りなく不快で悍ましい内容だった。自分の置かれた状況全てに憂さ晴らしをするためか、あらゆる暴力を尽くしたという。
殴る、蹴る、焼く、打つ、斬る――――――どれも吐き気を催す残虐性だった。
「そうなんだね。盡くんが、お母さんのためにしてあげた一番のことって、何かな?」
「……」
「話したくなかったらいいよ」
「いい子にしてた」
「いい子?」
「いい子にしてたら好き。いい子じゃなきゃ嫌い。だから、いい子にしてたよ」
「具体的にはどういうふうにしたらいい子なの?」
「……」
これ以上は聞くまい。
母親は彼で試していたのだろう。自らを承認し、自らを肯定し、自らを決して
母親の心の闇がわかっていたからこそ、彼は耐えたのだ。
自分しかいないと。そう言ってくれる母親のために。
「でもぼく、いい子じゃなかった」
「どうして?」
「そう言われた」
「いい子にしてたんだよね」
「うん。でもダメなんだって。〈好き〉じゃないって」
彼との会話の中で、よく〈好き〉という単語が出てくる。彼は〈好き〉という言葉を母親からよく言われていたらしく、感情を理解したいのだという。
「お母さんのこと〈好き〉?」
「うん。大好き。世界で一番好き。でも、わかんないんだ。本当に、
彼の表情が一気に曇る。そしてこの後、彼の中のトラウマが一気に弾けるのだ。
「……〈好き〉ってなんだろ」
彼の瞳が一気に曇る。私の決意は固かった。
今日、彼を呼んだのは他でもない。私は、彼を救うためにここに呼んだのだ。
これ以上どれだけ話をしても、彼の心を完全に治すことなどできはしない。
だから、私は。
「ねえ盡くん。眠くならない?」
「うん……ちょっと眠たい」
「君は最初のころから比べると、とてもリラックスして話してくれるようになった。それが私は嬉しくてね」
「嬉しい?」
「そう。だから試してみたい療法があってね」
私は立ち上がる。浅い呼吸を繰り返していることを決して知られないように、彼の隣に座る。
私は今から、彼を殺す。
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