19、緊張の市長室
色々と騒がしい日々が落ち着いた頃、赤の女王の殺人の原稿は、表記揺れチェックの段階に入っていた。
これは編集部の方で、ある程度機械的に、表記の統一がされていない部分について洗い出し、それを整える作業である。
講談社からは、A4で十数枚の大量のリストが送られてきていた。
こんなに表記揺れがあったのか……。
それを見て私は少々辟易していた。
「いう」と「言う」、「上る」と「登る」、「筈」はひらがなか漢字か、「勿論」はどうするか……そんなリストが、100以上もずらりと並んでいる。
これをそれぞれについて、どちらに統一するか、あるいは使い分けるか、という指示を出すのである。
ここからわかることは、公募に出す時に誤字脱字は当然チェックするだろうが、多少の間違いは問題ない、ということである。
流石に多すぎると減点対象にもなるだろうが、読んでいて違和感がない程度なら、どうやら審査には影響ないらしい。
そうじゃなきゃ、受賞作こんなに大量にチェックが入らないだろう。
ゆえに、公募勢の皆さんは、おそらく誤字脱字に神経を注ぐよりも、作品の内容そのものに注力すべきだ、というのが私が身をもって経験した答えである。
ていうか、他の作家さんはこんなに指摘されないのかもしれない。
ちょっと恥ずかしくなってきた。
そんなわけで、私は家に帰ると夜な夜なそんな作業に精を出していたわけだが、それと平行して、お世話になった人たちに受賞の報告をしていた。
主には親戚や友人であるが、もう一人忘れてはならない人がいる。
以前にこのエッセイでも触れた、E先生だ。
E先生には無理を言って習作にアドバイスをいただいたこともあり、やはりここは報告をしておくべきだろう、ということでメールを送っていたのである。
そうしたところ、数日経って返信があった。
内容はお祝いのメッセージと併せて、「自分は市長とも懇意なのだが、よければ市長も交えて3人で会食でもどうか」というものであった。
私はちょっとだけ悩んだ。
ありがたい申し出ではあるのだが、こんな緊張する会食もそうそうない。大先輩の作家と自分の職場のトップとの三者会談である。
が、そこはせっかくのご提案であるから、イエスというしかあるまい。
セッティングはE先生がしてくれるという。ありがたくお願いすることにした。
するとその翌日のことだった。
いつものように仕事をしていると、内線電話が鳴った。
「あ、政策部長の●●です。ちょっと市長が君を呼んでるんだけど、今時間ある?」
……やべえ、市長直々の呼び出しだ。
私は何を言われるのかと超不安になりながら市長室を訪れることになった。
副業に対するお説教とかだったらどうしようか。
書くのを辞めろとか言われないだろうか。
緊張しながら市長室に入る。
すると市長は「おう、まあ座って座って」と私に椅子をすすめ、にこやかに言い放った。
「いやあ、ミステリの賞だって? 俺もさ、ミステリ好きなんだよ」
で、そっから丸々30分の濃厚ミステリトークであった。
聞けば、市長は学生時代から新興宗教に関する文学を研究テーマにしており、島田荘司先生の「星籠の海」もその関係で読んでいるという。
ちなみにミステリで言えば京極夏彦のファンで、単行本と文庫それぞれ購入している、とのことであった。
私が島田荘司の魅力を語れば、市長は松本清張を語り、横溝正史はやはり素晴らしい、というところで意見はまとまった。
ちなみに同席していた政策部長(特にミステリファンでもない)は、市長と私の若干コアなミステリ談義に、相槌を打つだけであった。
なお、市長はよく仕事始め式などの訓示の中で、「職員は仕事だけじゃなく、プライベートでももう一つ、自分の軸を持ちなさい」という話をよくしていた。
そのことにも少し触れ、「まさにもう一つの軸だな。しっかり生き残れるように執筆しなさいよ」と激励をいただいたものである。
やったぜ、社長のお墨付きだ。
で、そんな中で、「Eさんから会食の話聞いたから、ちょっと予定調整して行こうじゃないか」ということになり、年末のある日の夜に決まった。
どうやら市長とE先生は同じ高校の出身であり、その関係で繋がりがあったらしい。
こうして11月、12月と時間は飛ぶように過ぎていった。
原稿は年末にかけて、いよいよ校正作業というところに入っていく。
その間には地元新聞社が何社か記事にしていただいたりして、あちこちから「なんか本出すんだって?」とお声がけいただくことも多くなった。
というわけで今日はこの辺で。
次回は、多分公募勢の皆さんの聞きたいであろう、校正のお話をしようと思う。
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