14、運命の日

 さて、フィーバー状態を通り越してなんかもうイカレてしまいつつあった麻根だったが、数日経つとその熱も引いていき、後はお馴染みのそわそわタイムに突入した。


 いや、確かに「いけるかも」とは言った。

 言ったが、それは逆に「ここまで期待しといて、ダメだったらどうしよう」の裏返しでもあるのだ。


 ここまで来ると予防線など何の意味もなさない。

 一日のうちにまるで躁鬱のように、不安と期待が交互に襲ってくるのである。


 仕事中もため息をつきまくり、かと思えばハイテンションで喋り、さぞかし職場の人間は鬱陶しかったことだろう。

 ちなみにちょうどこの頃、私の職場では毎年恒例の「ストレスチェック」なるものがあったが、そんな状態の私のチェック結果はちょっとした異常値をたたき出し、「しんどかったらいつでもおいでね」という主旨のお便りと共にカウンセリングルームを案内されたことをここに記しておく。


 その頃になって、私はようやく自身の犯した大失態に気付きつつあった。


 最終結果の連絡、いつって言ってたっけ……。


 思い出そうとしてもどうしても出てこない。9月28日だった気もするし、10月8日だった気もする。確か8がついたと思う。

 いやまて、8じゃなかったか。3だったかな。ああでも10月とは言ってた気がするんだよな。ってことは……あ、待てよ待てよ、具体的な日付じゃなくて、10月上旬だったか?


 こうなると毎日が地獄である。

「受賞してればもう連絡が来てる筈であり、来なかったということは落選だということなのに、哀れな麻根は既に過ぎ去った希望に縋って虚ろな目で緊張し続けている」とかいう滑稽な状況にあるのじゃないかと何度疑ったことか。

 9月が終わると、もはや「連絡は9月だったに違いない、今頃はもう一人の候補者がガッツポーズしてるんだうわわわ」とか、「いやいや10月上旬だったはず、俺の記憶によればまだ来ないはず」という具合である。


 間違いなくこの時期の私の血圧は過去一番に高かっただろう。


 実は、過去の福ミス受賞者である酒本歩さんが、ご自身の受賞時のことをやはりブログで記事にしておられた。

 その存在自体は以前から知ってはいたが、ことこうなるともはや先達こそが最後のよすがである。

 私は藁にも縋る思いで、日付に関することが載っていないかとそのブログに隅々まで目を通した。

 しかし肝心の最終結果の連絡があった日付は、残念ながら10月上旬、としか書いていなかった。


 ちなみにその酒本さんのブログで、「事務局の電話番号を『こうもり』と登録しておいた」という一文を見て、私も勝手にあやかろうとして同じように「こうもり」で電話帳に登録してみたりもした。

 何の意味があるんだ、麻根。


 そんな日が過ぎ、過呼吸のまま迎えた10月10日。


 一般的に、10月の上旬、といえばこの日が最後だ。

 つまり今日電話が来なければ、事実上可能性が限りなく薄くなることを意味する。


 しかし私のスマホはうんともすんとも言わなかった。

 仕事中もしょっちゅう画面をチラ見しては、着信のないのを知ってため息をつく。

 昼になり、2時、3時、4時と時刻が過ぎても、相変わらず電話は鳴らない。


 一度ならず、自分の電話が壊れてるんじゃないかと疑いさえした。


 それでも着信はないまま、やがて終業時刻を迎え、私は絶望の中で帰路についたのだった。

 ダメだったのか。

 ダメだったのだろうな。


 重い足取りで車に乗り込み、エンジンをかける。

 福ミスの場合、事務局もまた公務員だ。私と同じように、5時半にもなればもうその日の業務は終了だろう。


 私は妻になんといって詫びようかと、それだけを考えながら車を発進させた。


 そのときだった。

 ズボンの右ポケットでスマホが鳴った。

 電話の着信の音である。


 慌てて車を止め、震えながらスマホの画面を見る。

 

 そこには「こうもり」の表示があった。


 瞬間、私は車の中で叫んでいた。


「こちら福ミス事務局のSです。第16回ばらのまち福山ミステリー大賞は、厳正な審査をおこない、麻根さんの「赤の女王の殺人」を新人賞に決定いたしました。おめでとうございます」


 待ちわびた知らせだった。


 なお、このとき既に頭の中が真っ白だった麻根の返事は、「あ、あの、新人賞って、何番目ですか……?」だった。

「えっと、ですので一番です。大賞です。おめでとうございます」

 事務局のS氏は多少困惑した様子で告げた。


 それからの電話のやりとりは全く覚えていない。

 というか、覚えていないであろうことがわかっていたので、「これからお話しされる内容、全部メールでください……」とあらかじめお願いしたことだけは覚えている。


 電話を切った後、私は泣いた。

 いやもうこれだけ恥部を曝け出しているので、ぶっちゃけて言ってしまうが、いい年のおっさんが一人、車の中で号泣した。


 喜びの涙を流したのは、本当に生まれて初めてだったと思う。

 ……というとかっこいいかもしれないが、まあ実態は緊張の糸が切れた冴えないアラフォー男が、路肩に止めた車の中で肩を震わせているのだから絵にはならない。


 ともあれ、こうして私は作家になることになった。


 人生が変わった一日だった。



 ……とまあ、ここまでで終わると収まりがいいのだろうが、このエッセイはここまでで半分である。

 案の定、最初に宣言した10話などとっくに超えている。

 しかし読んでいただいている方々も、多分興味があるのはここからだろう。


 次回より、「受賞後に起きたあれこれ」をつぶさにご紹介しようと思う。

 多分これまでよりもネタの密度が濃いと思われるのでお覚悟を。


 では本日は、これにて。

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