8、雌伏、そして復活
さて、全員「山岳蒸気都市と終末運送業」は読破したかな?
では、次に進めるとしよう。
こうして実に丸々3年ほど、私はミステリから遠ざかることになった。
その間やっていたことは、「山岳蒸気都市」の執筆と、そしてもう一つの趣味であるクトゥルフ神話TRPGのシナリオ制作である。
ご存じない方のために説明すると、私はこのクトゥルフ神話TRPGというのがかなり好きで、自分でよくシナリオを書いては友人らとセッションしていたのである。
それにすっかりハマってしまった私は、この頃実に10本近くのシナリオを生み出していた。 文字数にすればおおよそ30万字くらいになるだろうか。
なぜその情熱を執筆活動に充てなかったのか、などと言ってはならない。
それを言うと麻根のSAN値がゴリゴリと削れていくから。
そうやってシナリオ制作とSFの投稿に時間を費やしていた私は、いわば雌伏の時を過ごしていたということになるだろう。
ふふふ、かっこいいな、雌伏の時。
もっと言えば至福の時でもあったわけで、ついでに時間帯としては夜だから当然私服の時でもあったわけだな。
何を書いてるんだろうな、まったく。
そんな別方面の情熱を燃やしていた私が、どうしてまたミステリの世界に戻ってきたのか。
それにはちょっとした事件が関係している。
友人Rがやってくれやがったのだ。
この友人Rという男、元はといえば大学時代にミステリ談義で酒を酌み交わした中であり、「ヤモリ」を無理矢理に読ませた相手であり、そして何より一緒にクトゥルフ神話TRPGを遊ぶ仲でもあった。
そんなあるとき、このRが、フェイスブックだったかなんだかで、こんな報告をした。
「お料理ブログをweb投稿し始めたら、1000件を超えるイイネが貰えました!」
それを見て私は愕然とした。
あれだけ頑張って毎日更新していた「山岳蒸気都市」は、ようやく少し伸びたかな、というところだ。
それも毎日のようにセコセコと自主企画に投げ、読み合いのために他人の作品を褒め、それでようやく手に届くような評価数。
それをこいつはあっという間に手に入れたのである。
……悔しい。
悔しいというか羨ましい。
たとえそれが小説という舞台での勝負でなくても、投稿サイトでそれだけの評価を手に入れられるRにただただ嫉妬した。
で、私は考えた。
こうなったら、もう一回公募に挑戦だ!
浅はかである。
浅はかではあるが、このきっかけがなければ、今でも私は身内に向けたTRPGのシナリオを量産し、時々どこかにアップしてはささやかな自尊心を満足させるだけの生活だったに違いない。
そういう意味ではこの浅はかな判断こそが、その後の状況を一変させたともいえるだろう。
そんなわけで再び公募に挑戦すると決めた麻根だったが、この期間創作界隈のあれこれに否応なく触れていたことで、公募に関する知識はだいぶ豊かになっていた。
というか、なんなら頭でっかちの耳年増、典型的な丘サーファー、という具合である。
しかしようやくその知識が役に立つ時が来た。
しかし公募に出すには、そのための作品が必要である。
手元にあるのは、数年前に書いたままお蔵入りしていた「赤の女王」だけだ。
これではいかんせん心許ない。
やはり新作を書く必要があるだろう。
幸いなことに、いくつかネタのストックはあった。
そして少し悩んだ末、そんな中でも特に面白く仕上がりそうなネタ、「深海での密室殺人事件」を書くことにした。
数年ぶりに毎晩パソコンに向かう日々。
時に面倒にもなりかけたが、やはり習慣というのはできてくるもので、気づけばまた3ヶ月ほどで、「深淵、密室、眠る神」という作品を書き上げたのである。
ちなみにこれはクトゥルフ神話をフィーチャーした作品であり、深海に浮かぶ居住実験施設で殺人が起こるものの、現場には誰もいなかった、というものである。
島田荘司氏の「ネジ式ザゼツキー」に着想を得て、クトゥルフテイストの作中作を折り込んだ、コズミックホラー系本格ミステリとなっている。
もしかするとどこかで世の中に出せるかもしれない。
……出版社がいいよって言ってくれれば。
そうこうして書き上がった作品と、さらにお蔵入りしていた「赤の女王」。
とりあえずこの2作を、年度当初くらいに締め切りのミステリ文学賞に出そう。
そう決めて文学賞の一覧を眺める。
やはりこのミスにリベンジだろうか。
しかしこの競争倍率はあまりにも高い。それよりもっと倍率が低くて、本格系が好まれそうなやつがいい。
日ミスはどうだろうか。これなら悪くないかもしれない。
ただ過去の受賞作の感じからすると、あまり本格寄りではなく、どっちかというと社会派なんかが好まれそうな……。
そんな時、私の目にある賞のタイトルがとまった。
「ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」。
応募数は多いときで100程度、しかし受賞作は出版確約。
そして選考委員が……え、島田荘司!?
それを見た瞬間、私はこれに応募すると決意を固めていた。
私と福ミスとの、青春ドラマもかくやという出会いの瞬間であった。
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