3、祖母の思い出
「身内にプロがいるのかよ」
「そんなんアリか」
……などと不満の声が聞こえてきそうであるが、事実いるんだから仕方がない。
身内にいるプロ。それは私の父方の祖母であった。
この人、元々は幼稚園の教諭をしていたらしいのだが、退職後に児童文学を書くようになり、それが何か賞をとったそうで、以来プロの作家として第二の人生を過ごしていたというスーパーおばあちゃんなのである。
とはいえ、年齢もあってそれほど大活躍していたわけではない。
単著は数冊ほど、他に地元文芸誌や児童文学の共著として何冊か出しているというくらいではある。
だが少なくとも私にとっては自慢の祖母であった。
地元の児童文学作家ということもあったのか、小学校の図書館には祖母の本が蔵書されており、私は小学生時代、そのことが何よりの自慢だった。
自分のばーちゃんの書いた本が、自分の学校の図書館にある。世界の狭い小学生にとってこれほど誇りになることもなかなかないだろう。
この祖母に、私の書いた小説を読んでもらおう。
そしてあわよくば、誰か知り合いの編集者を紹介してもらおう。
それが私の思いついた、(少々セコい)必殺技だったのだ。
早速私は祖母に連絡を取った。
連絡を取った、とはいえ、同じ市内に在住だったから、それほど手間がかかった訳でもない。仕事の帰りにちょっと寄り道をして、原稿を持って行った程度のことである。
私の話を聞いた祖母は、大層喜んでくれた。
「あらやだ、重次ちゃん(仮にペンネームで書いているが、当然本名で呼ばれている。ていうか重次ちゃんて。響きが酷すぎる。)が小説書いたの! へえ、こんなにたんと? こら凄いわあ。そしたら早速読ませてもらうでね。いやあ、流石だわあ」
まったく、祖母という存在は孫がいくつになっても子供だと思っているフシがある。遊びに行けば次から次へといくらでもおやつが出てくるし、帰り際には何の脈絡もなく小遣いをくれる。世の中のおばあちゃんの多くがきっとそうであるのだろう。
ばあちゃん、俺もう自分で稼いでるから。小遣いはありがたいけど遠慮しとくよ。
ともあれ、もう30をとうに超えたオジサンの私に、祖母は相変わらずのにこにこ顔で応じてくれた。
そうして原稿を受け取り、それから少し申し訳なさそうに付け加えた。
「私の本を担当してくれた編集さんはもう会社を辞めちゃってねえ。ほいだで、ちょっと紹介できるような人もいないんだけども……」
なんてことだ。目論見のひとつが早くも崩れた。
……いや、それを色々言うのはよそう。何しろ祖母が児童文学作家として活動していたのは、当時からもう10年以上前のことだ。当然そういうこともあり得るだろう。
何しろ祖母ももう齢90近くになり――。
90歳?
私はそこでようやく祖母の年齢に思い至った。
考えてみれば、この人は未だに元気にしているからすっかり忘れていたが、もう90まで僅かという高齢なのだ。
祖母という存在はいつまでたっても孫を子供だと思って、等と書いたが、それはこっちも同じであった。
私にとっても祖母はいつまでも元気なばあちゃんで、児童文学作家として活躍している存在だったのだ。だが現実には、祖母も当然ながら歳をとっている。
私と同じだけ年齢を重ねて、かつてより幾分小さくなってしまった祖母。その高齢な祖母に20万字を超える活字を読ませるというのは、あまりにも酷な注文だったのではないか。
よしんば読むことができても、「凄いねえ」以外の感想を求めることは難しいのではないか。
祖母の家から帰る車の中で、水たまりよりも浅い目論見が完全に崩れ去ったのを自覚しながら、私は一人唸っていたものである。
その翌日。
私の自宅の電話が鳴った。
今時、固定電話が鳴ることなど滅多にない。必要な連絡は全て携帯にかかってくる。
誰だろう、と訝しみながら電話に出ると、それは祖母であった。
「重次ちゃん、読んだよお。昨日全部読んだ。いやああなた凄いわあ。面白かった」
私は耳を疑った。
一晩で全部読んだ? あの長文を?
私でも二晩くらいはかかりそうな量を、90歳近い祖母が一晩で読んだというのか?
しかし驚きはそれだけではなかった。
「面白かったんだけど、全体的にね。このサヤカという人物の心の動きの描写がもう少しあった方がいいと思うの。少し登場人物の気持ちの変化がわかりづらいかなあと思って」
ガチなアドバイスである。
この祖母、やはり只者ではない。
そして恐縮しきりの私に対して、祖母は、こう付け加えてくれた。
「あなたは間違いなく文才がある。初めてでこれだけ書けるんだから。その文才の芽をね、しっかり大切に育てて、いつかちゃんと咲かせてね。楽しみにしているから」
余談だが、私が先日ついにデビューを勝ち取ったその時、祖母は既にこの世を去っていた。
「孤高のヤモリ」を読んでもらってから4年後のことだった。
受賞発表の記者会見で、私は真っ先に祖母の話をした。あの時にかけてもらった言葉が、多分今も作家活動を続ける私を支えている。
刊行となった「赤の女王の殺人」を手に、墓前に報告に行った日、どこかで祖母の声が聞こえたような気がした。
「ほらね、あなたならできると思ってたよ」
……いかん、書いてたら泣きそうになってきた。
まあとにかくそういうわけで、直接的に編集者を紹介してもらうことはできなかったものの、プロ作家に激励を貰った私は、ついに公募へと挑戦することを決めたのである。
2018年5月のことであった。
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