1、金がねえ!

 それは2018年初頭。

 私が32歳の誕生日を目前に控えた、2月中旬のことだった。


 私と妻は乳飲み子を抱え、途方に暮れていた。


 ……ちょっと壮大にし過ぎた。いくら初っ端だからってあんまりやり過ぎはよくないな。

 要するに、我々夫婦は少々金に困っていたのである。


 目の前のスマホなりパソコンなりといった文明の利器でGoogle先生という神のような存在に尋ねてみてくれれば分かるが、私の本業は公務員である。

 そして世の中の一部からは散々叩かれているところではあるが、公務員というのはどうにも給料が高くない。そりゃまあ民間の平均値をとっているんだから安くて困るというものでもないのだろうが、少なくとも私の稼ぎだけで暮らしていけるほどではない。


 しかしそこにきて、私の妻は少々事情があって就業が難しいのである。まあどちらにしても当時2歳の子供を抱えては仕事は難しかったろうが、ともかく私の稼ぎで食っていくしかない状況だった。


 節約に節約を重ね、爪に火を点すようにして……ああほらまたやり過ぎだ、だけどともかく暮らしぶりは楽とは言えなかったのは確かであった。

 

 で、私は考えた。

 公務員にも副業ができれば、自分の頑張りでもう少し楽ができるのに。


 公務員はどうして副業ができないのかな……いやまあ許可をとればできるんだけど、許可が出る副業ってアルバイトみたいなことじゃなくて、例えば農業とか自営業的なやつで、あとは文筆業とか……、文筆業? 

 (この間2秒)……そうだ、作家になろう。


 いや、ふざけているようだが実際のところそうなのだ。作家ならば副業として認められる可能性は非常に高い。

 しかも大当たりでもすれば、そのまま公務員を辞めてしまっても問題ないほどの夢がある。

 そして何より、私は文章を書くのは昔から得意だった。

 思えばあの懐かしきmixi全盛の時代、どうでもいいような駄文を散々書き殴っては、中高そして大学の同級生に恥ずかしげもなく公開していたものである。

 まあ今書いているこの文章と比べてどうかと言われれば、さして変わらないのだが。


 ともかく、そんな不純な動機で作家を志すことにした私は、早くも夢の印税生活を頭に思い浮かべながら、にやにや笑いを浮かべつつ、通勤中の車の中で何を書くべきか考えを巡らせた。


 当時の私は、学生時代にドハマりしていたロードオブザリングやホビットの映画の影響で、ファンタジーが好きであった。

 しかしファンタジー小説は少々ハードルが高い。これは、というストーリーが思い浮かばないのだ。

 私の好きなドワーフやエルフが出てくるファンタジーは、既に先人にやり尽くされている、と感じていたのもある。これでデビューするのは正直難しかろう。


 そこで思いついたのがミステリだった。

 その頃私は、島田荘司や森博嗣といった本格ミステリにどっぷり浸かっていた。思えば学生時代には親友らと夜を徹してミステリ談義に花を咲かせていたものである。

 

 ミステリならば書けるかもしれない。そう思った私は、早速内容を考え始めた。

 やはりミステリを書くからにはトリックが必要である。どんなトリックならば面白いだろうか。物理トリックか。アリバイか。はたまた入れ替わりか。やはりミステリを選んだからには読者を驚かせねばならない。

 

 色々と考えた末、あろうことか私が選んだのは、叙述トリックであった。

 もう一度言う。初めて書く小説に、私が選んだのは、叙述トリックであった。


 どう考えても無謀である。

 これまでミステリどころか、人生で短編の一本すら書き上げたことのない人間が、だ。

 これから長編の、叙述トリックものを書くという。


 我ながらバカじゃないのかと思う。


 しかし私は自分のアイデアに舞い上がっていた。

 これならいける。最高のアイデアだ。傑作になる。


 そう信じた私は、それからというもの毎晩パソコンに向かい、キーボードを打ち込むことになった。

 考えてみてほしい。それまでコツコツやるということを毛嫌いし、夏休みの宿題は最後3日で終わらせるような人間が、3か月毎晩文章を書いたのである。

 まさしく一念発起というほかなかった。


 一応、ここでもしかしたら読んでくれているかもしれない公募勢なりweb小説勢に向けて書いておくと、私はやる気が無くても1文字でもいいから、ともかくパソコンの前に座ることが何より大切だというのを学んだ。

 よく言われるように、やる気というのは「とにかく作業を始めることで湧いてくる」ものらしい。

 だから何でもいいから書き始めてしまうと、意外とそのまま続けていられるというのが真実であるようだ。頼むからそれ小学校くらいの時に教えてほしかった。


 ということなので、ついつい言い訳しながら公募用原稿そっちのけでスマホを弄ってるあなたや、気付いたら最終更新からひと月も経ってしまって読者に忘れられそうなあなた、1文字でいいから今すぐ書くんだ。

 こんな駄文を読んでる暇はないぞ。

 わかったか、こんなバカなことを書いてる麻根、お前に言ってるんだよ。さっさとプロットの直しに取り掛かれこの野郎。


 とまあ、そんなこんなで気付けば3か月、4月の終わり頃には、私の手元に25万字という長さのミステリらしき文字列、「孤高のヤモリ」が出来上がっていたのであった。

 我ながら初挑戦で25万字はよくやったと思う。少なくともこれによって「自分にもできる!」という自信が付いたのは間違いない。


 しかし出来上がったところで、次なる大きな壁が立ちはだかるのであった。

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