第9話

 ☆

「ちょっとティーケルさん! 昨日はどこに行っていたんですか!」


 開口一番どやされてしまった。 あわよくば昨日と違う受付嬢がいたらいいのにと思ったが……


 正確に弁明するのなら、他の受付嬢がいたからしれっとその人に声かけようとしていたのだ。 けれどたまたま通りかかったレアーナさんに捕まってしまった。


 こうして俺は、冒険者協会の中庭に連行されたわけだ。 今度は逃げられないようにとガッチリ腕を固められている。


 スタイルがいいレアーナさんが抱き枕を抱えるようにして俺の腕を固めているため、俺の腕には人肌の温もりと共にレアーナさんの柔らかい……


 『うっわ、マジキモすぎなんですけどこのド変態』


 『おい、俺は何も言っていないぞ』


 『あら? 忘れちゃったのかしら、あたしはあんたと魔術契約をしているから、考えてることがなんとなくわかるのよ?』


 ……意識しないようにすればするほどどんどん意識してしまうのが男である。 そのためティーケル氏は、考えるのをやめた。


 というわけでここまでの経緯いきさつやら身体能力検査にどのように挑むのかを説明しよう!


 サウナから出た後、ユティたんに「これから野暮用があるからまた今度な」っと言って、呪歌セイズを教わった授業料として大金を支払った。


「こんなにたくさんもらえません! しかも、私は何にも教えていないのです!」なんて言っていたが、口止め量も含んでると言って半ば強引に渡してきた。 おかげで軍資金は五割なくなってしまった。


 その後は別の林に移動して下準備と身体能力検査の練習。 さっきまでいた林は既に雨が止んでたが、泥だらけになってるだろうから少し離れた別の場所にした。


 今や俺の身体能力はその辺の人間と比べても遜色ないほどまで普通に仕上げることができている。


 なぜ、突然このびっくり身体能力を制御できるようになったか。 正確に言えば、制御しているように見せることができたのか、答えは簡単。


 自分の体を客観的に動かしているからである。


 言っている意味がわからないだろうか? 詳しく説明しよう。


 まずは呪歌という力はユティたんとピピリッタ氏の説明を擦り合わせたことで力の正体がなんとなくわかってきた。


 まずは一般常識、呪歌は歌を歌って精霊や大神ウォッコ様を楽しませることで、元素を操る力を得るというものだ。


 しかし実際に精霊として生きているピピリッタ氏いわく、脳内で呪歌の効果をしっかりイメージしていれば歌を歌う必要はない。 歌を歌うことで操りたい現象をイメージしやすくしているだけらしい。


 認識の違いはあるが、発生する効果に関しては条件が同じ。 無から有は生み出せない。


 つまり不思議なオーラを元素に変換することもできなければ、突然異空間を作り出して『アイテムボックス!』なんて芸当もできない。 もちろん時間も止められない。


 できることは既にこの場所にある物質を操作すること。 そう、自分の体も一種で言えば物質と仮定できる。 そして自分の体である以上どのように動かしたいか、それをイメージすることも容易いのだ。


 ピピリッタ氏の解説によると、俺が今行っているこの現象は一流の呪歌師セイズシンガーが戦闘時に無意識に行っている身体能力強化というらしい。 無意識に自分自身の体を呪歌によって操作して、普段よりも高い身体能力で動くことができるそうだ。


「あたしは何にも教えてないのに、自分自身で考えてこの能力を使うなんて! あなたやっぱり曲者くせものね!」なんて言いながら驚いていたピピリッタ氏にドヤ顔を向けてやるのはさぞ気持ちがよかった。 その数秒後は自らのおこないを悔やむほどやかましかったが……


 とは言っても、俺の場合はこの身体能力検査の時においては身体能力強化の逆を使っている。 言うなれば身体劣化だろう。


 おかげさまで先ほどから俺の検査結果は普通も普通。 普通オブ普通である。


 だと言うのに、試験官として俺の身体能力を見ているレアーナさんは、なぜか首を傾げている。


 何かやってしまっただろうか? 俺はピピリッタ氏に聞いた身体能力検査の平均値を少し下回るように体を動かしているのだが……


「ティーケルさん? あなた本気でやってます?」


「も、もちろんです! ぜー、はー、ぜー、はー」


 わざとらしく息切れして全力少年であることをアピール。 しかしレアーナさんは唸りながら記録用紙を穴が開くほど凝視していた。 そういう意味深な行動は心臓に悪いので控えていただきたい。


「ちょっとすみません、もう一度五十メートル走をやってくれます?」


「え? また走るんですか?」


「まあちょっと気になることがありまして……」


 言われた通りに走った。 二十代半ばの男性平均値は7.6秒。 俺の記録は7.8秒、常識的にも速すぎず遅すぎない値だと思う。


「おかしいですね」


「え? 何がです?」


「ティーケルさん。 本気で走ってくれたなら、今度あなたとデートしてあげます。 なのでもう一度チャンスをあげますので本気を出して下さい!」


 ずずいと急接近しながら、あざとい上目遣いでそんな恥ずかしいことを言ってきた。 こいつ、どんだけ自分に自信があるってんだ?


 確かにレアーナさんはまつ毛も長いしいい香りだし、髪もサラサラだしいい香りだし、スタイルも良くてモデルさんみたいだしいい香りだし、とにかくスズランのいい香りがするのだ。


 だがなぁ、そんなアホらしい誘惑にこの俺が騙されるとでも?


「ほーらやっぱり! なんで手を抜いていたんですか!」


 『あんたってほんと、救いようのないバカよね』


 五十メートル走三本目、記録……4.3秒。


「昨日私から逃げた時の速さを比べれば遅すぎると思ってたんです! なんでわざと力を抜いて測ったんですか! まさか、他の記録も力抜いていたなんてことは?」


 言われてハッとしてしまう。 確かに俺は昨日、切羽詰まってレアーナさんから全力ダッシュで逃げた。 そう、文字通り全力で。


 せっかく面倒な下準備までして身体能力検査に対策したと言うのに、このままでは全てがパーになってしまう!


「いやほんとに違うんです。 力抜いてたのは大事おおごとにされたくなかったからなんです。 だっておれ、こんな見た目でこんなに足が早かったら……女の子にたかられて外も歩けなくなってしまうじゃないですか?」


「足が早い男の子に恋をするのはお子様だけです。 自意識過剰は滑稽なので程々に」


「……とほほ」


 鋭すぎる一言に涙がこぼれてしまった。 その後もかなり問い詰められたが俺は五十メートル走以外は本気だったと偽り、なんとか質問攻めから逃れることができた。



☆ 

 中庭から受付に戻ると、盛大なため息をついたレアーナさんが遠い目で語りかけてくる。


「やっぱり、昨日ユティちゃんを救ったのはあなただったんですよね?」


「ナンノコトデスカ?」


「惚けても無駄ですよ? この足の速さならユティちゃんを抱えて逃げることも容易でしょうからね。 言うのが遅れてしまいましたが、昨日はユティちゃんを救ってくれてありがとうございます」


 なんとなくの推測だが、ユティたんとレアーナさんは仲良しさんなのだろう。 ユティたんは昨日の猪めヴィリシカに襲われたことを報告はしたが、俺のために詳細は黙っていてくれた。


 その証拠になにも説明していないのに、レアーナさんは猪めから逃げた前提で話を進めている。 つまり俺が瞬殺したと言う事実は知らないのだ。


 心の中でユティたんへの感謝を述べていると、レアーナさんが真剣な表情で視線を向けてきたため、俺は思わず固唾を呑んで硬直してしまう。


「あの子、アハト族なんですよ。 だから昨日もパーティーメンバーから裏切られたらしくて、たまたま遭遇したヴィリシカから逃げるための囮にされてたみたいなんです」


 だから昨日、ユティたんは一人で必死に逃げていたのか。 あの子はバカじゃない、一人ではあの魔物に勝てないことをわかっていたに違いない。


 にも関わらず一人で挑んだバカを演じていた。 いや、俺が勝手に勘違いしたからそれに便乗したのだろう。


 仲間に裏切られた、殺されかけただなんて愚痴は一言も発さずに。


 俺は無意識に、震える両手で怒りを握りつぶしていた。 そしてふと気がつく、先ほどの話に少し不可解な点があった。


「ん? その話、アハト族なのって関係あります?」


 俺の質問に対し、レアーナさんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、


「あの、あなたはどこまで記憶がなくなってるんですか?」


「え? 記憶? 一体何を……」


 『ちょちょちょちょちょ! ティーケル氏、設定忘れないでね!』


 突然響いた脳内会話にハッとしながら息を呑み、むせかえる。 キョトンとした顔で俺を凝視するレアーナさんの視線から逃げながら、


「自分の名前以外、ほとんど覚えてないんすよね、あははー」


「そ、そうなんですか……」


 レアーナさんが俺の顔を覗き込んでくるのだが、俺はお得意のポーカーフェイスをキメながら口笛を吹く。


「なんか、色々隠してるみたいですが、特別に詳しく聞くのは控えてあげます。 その代わりに一つ、お願いがあるんですが……」


「ええもちろん、デートのお誘いですよね? 俺はいつでもいいですよ?」


 先ほど不覚にもちょい本気で走ってしまった五十メートル走。 あれの対価にレアーナさんとのデート権を手に入れたという名誉を、俺は絶対に忘れない。


「は? なんで私があなたみたいなナルシストとデートに行かないといけないんです? どんな罰ゲームですか」

 

 ラーラーラー、ラッラーラー……言葉にできない。

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