第10話

 ☆

 アハト族とは、海底王国アハトラで生まれ育った特殊体質の人間のことを指す。 彼ら彼女らは魚の背鰭のような耳を持ち、首筋には水中で呼吸するための空気孔がついている。


 このおかげで水中でも呼吸ができる上に泳ぎが得意で、主に水や風の呪歌セイズを得意としているらしい。


 人族とアハト族は体の作りや見た目にこそ少しの違いはあるが、同じ心を持った知的生命体だ。 だと言うのに、神話の時代から語り継がれる言い伝えのせいで、アハト族は人々からの迫害を受けているらしい。


 言い伝えによると、人族は陽の国カレヴァに住んでいた。 俺が今いるここもカレヴァの大地という話だ。


 そんなカレヴァの大地から三人の賢人が現れ、魔女たちが住むという影の国ポホーラに多大な幸福と富の象徴、サンマスを取りに行ったらしい。


 このサンマスというものをもっている者には多大な幸福と富が約束されるため、三人の賢人はカレヴァの大地に繁栄と幸福をもたらすためにこれを奪いに行ったのだとか。


 奪うというと語弊があるかもしれない、実際問題サンマスを作ったのはカレヴァで生まれた三人の賢人のうち一人、イルマーリンという賢人の作品らしく、ポホーラの主人であるローヒとの交渉に用いた物だったと伝えられている。


 三人の賢人たちはサンマスの奪還には成功したが、ポホーラの主人であるローヒの激しい抵抗に遭い、サンマスはカレヴァの大地に持ち帰る前に粉々に砕け、海の底に沈んだらしい。


 結果的に陽の国カレヴァと影の国ポホーラは長い間飢饉に襲われ、二つの大地は枯れ果ててしまった。 その一方海底王国アハトラは砕け散ったサンマスをかき集めて富と幸福に包まれたらしい。


 その逸話が原因かどうかは知らないが、ひと昔前まではこの世界では食糧のほとんどは海底王国アハトラでしか満足に育たず、アハトラに住む住人たちは不自由のない生活を進めていたのだとか。


 そこでカレヴァとポホーラは同盟を結び、海底王国アハトラを攻め立てた。 長い戦争の末にアハトラは敗れ、カレヴァとポホーラに占領された。


 アハトラの民たちは奴隷にされ、富や幸福を奪った罪人の末裔として人々からの迫害を受け、アハトラの民たちが担ってきた富と幸福は全て奪われた。



☆ 

「今となってはその奴隷制度は禁止され、アハト族は海に帰ることができました。 けれどたまにいるんです、陸の上に憧れを抱いて無謀にも陸に上がってしまうアハト族が」


「つまりユティたんは、陸上に憧れて海から出てきてしまったアハト族って言いたいのか?」


「はい、昔話だというのに人々の迫害はいまだに残っています、あの子は何も悪いことしてないし、一生懸命冒険者になろうと毎日努力してるんです。 あの子の努力も知らず、頭ごなしにアハト族を差別する奴らからの嫌がらせにも屈せずに……」


 レアーナさんの視線がチラリと俺の背後に向かった。 俺も横目にレアーナさんの視線を追う。


 かなり体格の良い大男と小柄で陰気くさそうなロン毛男、魔法使いのようなローブを纏った女。 三人で一つのテーブルを囲っており、何やらコソコソと談笑しているようだ。


 俺は奴らの雰囲気を一眼見て確信する。 あれは学校や会社などでよく見かけた雰囲気に似ている。 陰口を言う奴らの雰囲気だ。


 胸糞悪い気分になってきたところで、冒険者協会の扉が開いた。 嫌な予感がして視線を送ると、扉の向こうから歩いてきたのは一人の小柄な少女。


 浅葱あさぎ色のハーフツイン、ぱっちり開いている瞳は髪の毛よりも少し濃い浅縹あさはなだ色。 言うまでもなくユティたんだった。


 なんだか浮かない顔つきで、寂しそうな表情でトコトコ協会内に入ってきた彼女の方へ、驚いた表情のまま歩み寄っていく三人組がいた。


「おいおい、生きてたのかよ鱗憑うろこつき!」


「今頃ヴィリシカのお腹の中で消化されていると思っていたのにねぇ」


「うわー冒険者協会が魚臭くなったじゃねえか!」


 先ほどレアーナさんが視線を送った三人の冒険者たちが、ユティたんを取り囲むように近寄っていった。 そのタイミングでレアーナさんが受付から飛び出していく。


「ちょっと! あなたたち! ユティちゃんに酷いことしないでくれる? この子もあなたたちと同じ冒険者なんだから!」


「おいおい、レアーナさんよー。 こんな鱗憑なんかにひいきしてると良いことないぜ?」


 大男は手のひらを返しながら駆け寄っていったレアーナさんに下卑た視線を送っている。


 『なあピピリッタ氏、鱗憑ってなんだ?』


 『差別用語よ。 海の中に住んでるアハト族は、魚と同類だっていう感じの言葉ね』


 『お魚様をバカにしてるのかあいつらは、知能の低さがモロ出しだな。 ドコサヘキサエン酸が足らん』


 『うまい皮肉じゃない』


 ピピリッタ氏が鼻で笑うような声を脳内に響かせてくる。


 遠目に様子を見ていたら、レアーナさんは戦いの心得もないと言うのに震えて縮こまってしまっているユティたんを庇い、三人の冒険者たちと口論を繰り広げている。


 『責任者呼んだ方がいいか?』


 『ああいう個人的な喧嘩だと、協会の責任者は仲裁に入ってくれないの』


 『でもあいつら、十中八九昨日ユティたんを置き去りにした奴らだろ?』


 『私もそうだと思うんだけどね、決定的な証拠がないと裁けないらしいのよ』


 出たよ、決定的な証拠がうんたらかんたら。 みみっちいったらありゃしない。


 証拠がなんだのと言うから完全犯罪を働こうとする小狡い連中が世の中を闊歩するんだ。 吐き気がする。


 とは言ったものの弱ったな。 アハト族って言うのは話を聞いた限りだと完全にトラブルメーカーだ。 効率重視で常闇の禍神を倒そうとしている俺が関わってしまえば、きっとトラブルに巻き込まれて寄り道を余儀なくされる。


 まあ、冒険者登録するのに一日以上かかった俺が効率云々の話をするのは滑稽だが、アハト族関係の問題はきっとそれ以上に面倒なイベント満載だ。


 関わったら最後、振り回されてしまうのが目に見えている。


 ユティたんはすごく優しい子で好感は持てる。 けれど、俺は彼女の命を一度救ってるし呪歌の授業料も払ってる。 助ける義理なんてない。


 レアーナさんはユティたんたちと口論する前に俺の目の前に冒険者証明証を置いていってくれていた。 これが身分証になるから、宿を借りる際俺一人でも問題なく借りられる。


 『え? ティーケル氏? ちょっとあんた! 助けないつもり?』


 『あいつを助けたら、常闇の禍神が倒せるのか?』


 『いや、それはその……でも、昨日仲良くなった女の子を放っておくつもり? あんなに可愛い子なのよ? きっとあなたに好意を持ってくれるはず!』


 『バカかピピリッタ氏? ここで助けに入ったらレアーナさんとユティたんの間で俺を巡る不毛な争いが繰り広げられてしまうだろう。 女同士の不毛な争いに巻き込まれると、こっちまで大変な目に遭うんだ』


 『よくもまあ、堂々とそんな恥ずかしいことが言えるわよね』


 ピピリッタ氏の呆れた声を聞きながら、俺は何食わぬ顔で冒険者協会の入口へ足を向ける。 激しい口論を繰り広げるレアーナさんたちの横を、さも当然といった表情で通り過ぎ、震えて縮こまっていたユティたんと一瞬目が合った。


「……あ、あの………」


 空気に溶けてしまいそうなか細い声が耳についた。 そして俺は、あからさまに目を逸らし、知らん顔でその場を後にした。


 脳内にはピピリッタ氏からメンタル大崩壊不可避な罵詈雑言を叩きつけられているが、知ったことじゃない。


 俺はこれ以上寄り道などしない。 効率重視でこれからの生活を送るのだ。


「そんな鱗憑のためにキレてんじゃねえよ!」


「撤回しなさい! そして今すぐユティちゃんに謝りなさい!」


「謝るだと? 俺たち人様から富と幸福を盗んだ鱗憑どもに、なんで俺らが謝んねえといけねんだよ!」


 「きゃあ!」


 「レッ、レアーナさん! 大丈夫ですかレアーナさん!」


 背後から大きな音が響いてきた。 大男に突き飛ばされたレアーナさんは尻餅をついたらしい、ユティたんの嗚咽混じりの心配する声が聞こえてくる。


 ここで助けに入ったら、俺は間違いなくあの優しいロリッ子美少女と、スタイル抜群な絶世の美女からものすごい好感度を獲得できるだろう。


 だから俺は、ピピリッタ氏の苦言など右から左に受け流す。


 そして、俺は冒険者協会の外に出て、夕焼け空に照らされた大通りに足を踏み出し、冒険者協会を出ていった……



 

「おい。 そこのやかましい三下ども、表出ろよ」



 

 そして、無意識のうちに口が動いてしまい、振り返っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る