第8話

 ☆

 翌朝、宿を出た俺たちは街を出て昨日の林に向かう。 林の中に毎回入るのは他の一般人に見られないためだ。


 そこで呪歌セイズの使い方を学ぶことになった。


「呪歌とは精霊や大神ウォッコ様を楽しませ、元素の力を操るための歌なのです。 私は水や風を操るのが得意なので、これから呪歌でこの場にいる精霊たちを楽しませて見せます!」


 ユティたんは喉の調子を整えるように咳払いを数回挟み、胸に手を当てて優しく目をつむる。 そして大きく息を吸った。


 おそらくあれはユティたんのルーティーンなのだろう。 ちなみに、ピピリッタ氏は俺の胸ポケットに忍ばせてある。


 『なあピピリッタ氏』


 『ん? 何かしら?』


 『ユティたんはあんなこと言ってたが、ここに本当に精霊とか大神ウォッコ様いるの?』


 『いやいや、何本気にしてんのよいるわけないでしょ?』


 『だよね』


 なんて脳内会話をしている内に、ユティたんは鈴が鳴るような美しい声音で歌を歌っていた。 ユティたんの目の前にはぷかぷかとボーリング玉サイズの水の塊が浮いており、得意げな顔で俺の方に視線を向けてきている。


「どうですか! こんな感じで、四節から八節、最大の呪歌だと十六節の呪歌を歌えば、その場にある物質を自由自在に操ることができます!」


「ほほう、つまり無から有は生み出せない訳だな」


「そうですね、特に呪歌で歌われるのは風や水、大地の歌が多いです!」


 俺は顎をさすりながら一つの仮説を立てた。


 おそらくこの世界での魔法に当たるのが呪歌なのは間違いない。 それも呪歌は便利な魔法というより魔術に近いだろう。


 保有している魔力を元素に変換するわけではなく、すでに存在している物質の形を操作もしくは変形させることしかできない。


 つまり風や水、大地の歌を得意とする呪歌師セイズシンガーが多いのは大気中に空気や水分、もしくは大自然の中に大量の土があるからで、操作する際に常に触れているものの方がイメージしやすいから。


 海の中で生まれ育ったアハト族であるユティたんにとって、風や水とは縁が深いのだろう。 対して大地に関してはあまり親近感が湧かないため、扱うのが難しい。 そういうことなのだと仮定できる。


「大切なのは歌を歌う時、操りたい物質をイメージして、精霊さんたちはどんな歌を聞いたら喜んでくれるのか。 それを考えて、精霊さんたちを喜ばせたい気持ちを持って、心を込めて歌うのです!」


「あーめあーめふーれふーれ かーあさーんがー

 じゃーのめーでおーむかーえ うーれしーいな

 ぴーちぴーちちゃーぷちゃーぷ らんらんらん」


 俺渾身の、初呪歌。 水の呪歌を見せてもらったので試しにやってみた。


 そして、絶句した。


「んなっ!」


「えーっと」


 目玉が飛び出んばかりに目を見開き、林の上空を凝視する。 昼間なのに、真っ暗になっていた。


 『ティーケル氏。 これ、やっちゃったわね』


 『やっちゃったな』


 土砂降りの雨が降ってしまった。


 一瞬にして下着がびしょ濡れになるほどの豪雨。 俺は水をイメージしやすい歌ということで、コンプライアンスに引っ掛からなそうな歌を選択した。


 ぼんやり脳裏に浮かんだのは俺がこの世界にくる原因となった雷雨だ。 そのせいか、当時の雷雨を再現するかの如く、突然目の前に集まった真っ黒な雲からバケツをひっくり返したような豪雨と共に、時折ピカリと光る雷が目に映る。


「あ、あわわ、あわわわわわわ! なんですかこれ! なんなんですかこれ!」


「なんだろうね? 精霊さんたちノリノリなんだね」


「そ、そんな! 頭韻も踏んでいなければ、水に関する語句は雨のみにも関わらず、ここまで大規模な水を操作するだなんて! あなた一体何者なんですか!」


「えーっと、通りすがりの爽やかなお兄さんです」


「嘘です! こんな大規模呪歌、アハトラの国家呪歌師セイズシンガーでもできませんよ! 最初からおかしいと思っていたんです、記憶喪失だとか言っていたり身分証がないとか言っていたり、不思議な言葉ばかり使っているし、髪の色だって真っ黒ですし!」


「ユティたん、とりあえず雷ゴロゴロしてるから街まで全力で逃げようか?」


 興奮して目が血走ってるユティたんを小脇に抱え、風をイメージできそうな歌を歌って追い風全力ダッシュを極める。


 選択した歌はあれだ、妖精たちが夏を刺激する感じの曲。 妖精とは、生足魅惑の人魚姫を形容したワードだろう。 全身にガムテープは巻き付けてはいないが、案の定突風が吹いてくれた。 もちろん追い風になるようにイメージしている。


 俺の身体能力も相まってあっという間に街まで辿り着いた。 距離的には一キロくらい離れていただろうが、意外と本気で走れば十数秒で着くものだ。 また雷に打たれて御愁傷様だなんてオチになったら死んでも死に切れない後悔をするだろうからな。


 街の正門について振り返ると、俺たちがいた林の部分だけが黒雲に覆われており、まるでゲリラ豪雨を遠目から見ているような感覚に襲われた。


 濡れ鼠になってしまった俺たちは大量の水滴をしたたらせながら正門に入り込んだ。 幸いなことに街まで雨は降っていないようだった。


 ユティたんがワンピースのスカートを絞って水をドバドバと垂らしている横で、俺は予想外の規模だった雨雲を見ながら一つ思いついてしまった。


 『なあピピリッタ氏』


 『悠長に私へ声かけてていいの? ユティちゃんが風邪ひいちゃうじゃない』


 『それもそうだな。 とりあえず体を温められるところに連れていかないとな』


 ピピリッタ氏に良さげな場所を教えてもらい、ユティたんを連れてとある施設に向かう。 さすが案内人、こういう時は頼りになる。 目的の場所は幸いにも歩いて数分程度のところだった。


 そして俺は首を傾げる。


 『公衆浴場ならぬ、公衆サウナってなんだよ』


 『この世界、サウナはどこにでもあるわよ?』


 『え? なんだか変わった文明だね』


 『大使館とか国会議事堂の中にもあるくらいだからね』


 『え? まじ?』


 驚くべきことにこのサウナは男女混合らしく、受付でサウナ服を貸してくれるらしい。 もちろん更衣室は別々だ。


 檜の香りが鼻につく施設内でユティたんと一旦別れ、サウナ服に着替えて中に入る。 じんわり暖かい蒸気が体をまとわりつくように漂うサウナの中は、俺が知ってるサウナと違って熱々ではなく息苦しくもない。


 この温度なら何時間でも暇を潰せるだろう。 昼間だというのに、蒸気が漂う十二畳程度の室内には数人の男女がくつろいでいた。


 部屋の端っこにはポツリと空間が空いており、みんなが避けるようにして座っているその空間の中心にユティたんが座っていた。


 俺は少し離れた位置に腰を下ろし、サウナ服のポケット中に収納したピピリッタ氏に脳内会話を持ちかける。


 『でさ、ピピリッタ氏。 俺もしかしたらこの呪歌をうまく使ったら冒険者登録できるかもとか思ったんだけど』


 『言っとくけど身体能力検査の最中に呪歌使ったら失格にされるわよ?』


 『ふっふっふ。 俺も馬鹿じゃあない。 呪歌なら身体能力と違って加減ができそうだし、身体能力検査の前に呪歌を使えばなんの疑いもかけられないだろ?』


 『とは言ってもね、あんな変な歌でも歌った瞬間バレるからね? そこんとこわかってる?』


 『おいおい、昨日ピピリッタ氏は自分で言っていたじゃないか。 呪歌は深層心理を暗示するための気休めみたいなものなんだろ? つまりこの世界の住人は歌を歌っていない限り呪歌を使っているとは認識できない』


 俺の脳内メッセージを聞いたピピリッタ氏は、それはもう悪そうな含み笑いを俺の脳内に響かせながら、次のメッセージを送ってきた。


 『つまり、歌ってなければまずバレない。 そういうことね?』


 『話が早くて助かる。 それじゃあ俺はサウナを出たら、適当な言い訳を言ってユティたんと別行動を取ってくる』


 先ほど林の中で見たことは口外しないようキツく言っておこう。 でないと後々面倒なことになる。


 おそらくユティたんならわかってくれるだろう。 あの子には宿を借りるために少しの間世話になったから、乱暴な真似はしたくない。 強硬手段で黙らせるのは絶対なしだ。


 さて、ユティたんと別れたら少し忙しくなる。 街の外で下準備を済ませ、身体能力検査に向けた練習をしたら、冒険者登録にリベンジだ!

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