第20話 緋と蒼と

 慧が構えたら、晴真は手を添えてみろ。そう指示して慧は再び集中した。あかい炎が現れる。


「――いくね」


 隣から、遠慮がちに晴真が手を重ねた。炎の色は変わらなかった。


「駄目か――」


 慧はまた剣を下ろした。晴真がキ、と唇をかむ。


「ごめん、僕が集中できてないのかも」

「いや、それはあるかもしれないが――」


 それ以上に、やはりあれが必要なのだ。唇が触れてきた、あれ。

 あの時にだって、手を押さえられただけでは変化がなかった。重要なのはきっと口づけの方だ。

 陰陽師だって紙に息を吹き式神とすることがある。神事を行うにあたり口もとを覆うしきたりの神社もある。人の口は、体と心の内側につながる大切な場所。

 先日の出来事を再現するには晴真の口、あるいは吐息が必要なのだ。


「次は、俺の手の甲に口づけてみてくれ」

「へ!?」


 慧はなるべく平然と言ったのだが、晴真の反応は激しかった。おたおたされて、慧まで恥ずかしくなる。これはあくまで呪術的なこと、他意はないと叫びたかった。さすがに喜之助は理解してくれたようで、確認してくる。


「ああ、あの時そういう感じだったのか?」

「――しがみつかれて、口がぶつかった」

「なーるほど。だいじょうぶ落ち着いてよ晴真くん。力を直接だけだ」


 と言いながら、それは照れるよと喜之助も内心あせっていた。はたからもどんな気持ちで見ていればいいのかわからない。

 というか、前回の状況を思い返し原因を探っていた慧がその結論に至った瞬間を想像するとおもしろすぎた。どんな顔をしたんだろう。

 人が悪くそんなことを考えたが、ここで喜之助が浮足立てば晴真は絶対にそんなことできなくなる。知らん顔しているしかないのだった。


「いいから、やってみるぞ」

「う、うん……」


 冷たく言われ、晴真は仕方なくうなずいた。

 これは仕事。慧が怪異を滅さずにすむために必要なこと。自分にそう言い聞かせて覚悟を決める。

 晴真の顔つきがキリとなったのを見て、慧は三たび集中した。炎はやはり緋い。

 チラと横を見ると、晴真と視線が合った。顔の高さに手を上げてやる。そっと晴真が慧の手を捧げ持ち、唇を触れた。

 ジン。

 しびれが広がる。

 何かが慧の指先まで走る。


「――おおっ」


 蒼白い炎が根元から刃先へと渦を巻き、全体が紫へと変わっていった。息を呑む美しさだ。


「――やった」

「――うん」


 目を丸くして、だが喜びに口もとをほころばす晴真を見、慧も小さく笑った。奇妙なほど嬉しくなる。


 これで斬れば、怨霊も清められるだろうか。できればそうしたいと慧が思うようになったのには理由があった。

 鮮明に人としての想いを残す怨霊は、おそらく多い。いちいち晴真がそれを受け取っていては心がもたないだろう。だが仕事を禁じて慧が怪異を滅していくのを晴真はよしとしない。

 それが、この紫の剣を使えれば。

 怨霊に直接触れることのない晴真は、おそらく無事なのだ。しかも晴真の力も必要なのは変わりないので、路頭に迷わせることにもならない。もう笹花稲荷を支部内に移すと決まっているので、方技部から追い出されたら家に戻ることもままならない晴真だった。


「よかったなあ。じゃあ今晩、さっそく試してみようぜ!」


 ただの立会人と化した喜之助もなんだかワクワクしていた。

 せっかく出会った半妖の二人。力を重ねて新しいことができるなんて、そんなものを間近で見る機会はそうそうないのだ。独り占めで見物できる喜之助は、前世で徳を積んだのかもしれない。



 そして夜、指示されて向かった商家の外で三人は待機していた。幽霊話で家に帰らず逃げ回っていた主人が帰宅するのだ。怨霊の恨みの元はそいつなのだろうし、きっと現れてくれるはず。


「そのご主人、とりあえず泡吹いて倒れるまで放っておくとか、するか?」

「――うっかり死なせてしまったらどうしましょう」


 喜之助のひどい提案に、晴真は首をかしげた。転んだだけでも打ち所が悪ければ人は死ぬ。それもそうか、と喜之助は思い直した。方技部の評判を落としかねない。


「しょーがねーなあ。助けてやるか」

「偉そうに言うな。おまえ今回は見てるんだろう」


 嫌な顔の慧に、喜之助はニヤと答えた。


「おまえらの初めての共同作業、見届けてやる」

「……初めてじゃない」

「こないだのは偶然だからな。しっかりやってくれよ」


 余裕の笑みの喜之助だったが、動きの速い怨霊だったら手助けしようとは思っていた。晴真は最初に口づけてしまったら後は、今回まったく役立たず。妖怪が禁じ手だと戦力ガタ落ちなのだ。

 なので足どめや防御など、喜之助がやれることはちゃんとする気だった。恩は売っておきたい。絹子ちゃんの前で晴真に女装して慧といちゃつかせる計画が控えているからだ。


「ほい来たぞ。ご主人てあれだろ」

「そうだな」


 ビクビクとおびえながら門に近づく男。強そうな従者を連れて、警戒しているのが丸わかりだった。こっちが出動するのも伝えてあるのに失礼な。そう思ったが、怨霊を怖がるなんて普通だ。三人とも感覚がだいぶズレている。

 静かにそちらに歩み寄りながら、慧は剣を抜いた。門が開く。


「ヒイィィーッ!」


 くぐって入った主人の情けない悲鳴が聞こえた。ちゃんと現れるとは律義な怨霊。慧は集中し、剣に緋い炎をまとわせた。


「慧」


 進み出た晴真が呼びかける。


「ああ」


 顔の前にスイと手をやり、晴真の力を受け取った。ふわりと紫炎。

 その間に喜之助は中の様子をうかがっておいた。腰を抜かして座ったまま後ずさる主人。その前でゆらゆらとする怨霊。

 ずいぶんクッキリとして着物もきちんとしているが、確かに怨霊だなと喜之助はうなずいた。これに触れたら晴真がまたかわいそうなことになるかもしれない。

 ザリ。

 紫炎の剣をかまえ、慧が門内の砂利を踏んだ。その音に怨霊が振り向く。向けられた切っ先に驚いたのか、その目が見開かれた。


「ヒイィィーッ!」


 先ほどの主人と良く似た悲鳴を上げ、怨霊が逃げ出す。あまり幽霊っぽくない、こけつまろびつという感じの走りに慧はあっさり追いついた。

 ひゅんッ!

 剣を振り下ろすと、怨霊は背中から袈裟がけに斬られ蒼白い光をまとった。

 ――ドサリ。


「あ」


 怨霊の横に、上から立派な松の枝が落ちてくる。またやってしまった。

 それはともかく、怨霊の方は白く白く光を増し――散りゆかず、シュウウと集まる。


「――え?」


 まばゆい塊となったそれは、矢のようにどこかに飛んで行ってしまった。

 喜之助も晴真も茫然と見送る。どういうことだろう。


「あ、あ、ありがとうございます! おかげでり殺されずに済みましたぁぁ!」

「う、うむ」


 腰を抜かしたまま手を合わせて礼を言われ、重々しくうなずいてみせた慧。だがいつもと違う怪異の顛末と斬り落としてしまった松に、実はいたく動揺していた。




「――そっか、あれって、生霊!?」

「ああ、なるほど」


 松などいいのです、命あっての物種ものだねですからという言質げんちを取って、帰り道。思いついた喜之助はそんな推測を口にした。だから元の体へと帰っていったのだろうと。


「え――じゃあ、あれを元の慧の剣のまま斬っていたら、体の方はどうなってたの」

「まあ、死ぬだろうな」

「そんな――!」


 晴真は絶句した。抜けた魂を滅してしまえば体も駄目になるのは当然だ。

 もしかしたらそんな風に殺してきた者も相当数いるのかもしれないと慧は思った。だが、こっちとしてはどうしようもない。やや言い訳じみたが断言した。


「生霊なんか飛ばす方が悪い」

「そりゃ、そりゃそうだけど……」

 

 晴真に悲しい顔をされて胸がチクリとした。黙ったら、晴真が顔を上げて言う。


「じゃあよかった。今日の人は助けられて」


 微笑んでくれる晴真に、慧は救われた気持ちだった。


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