第19話 仕事に行くなら

 芳川中佐との面会を終え、三人は本部を出ようとした。だが廊下でもう一人の上司につかまる。山代少尉だった。


「来たな、おまえら」

「……来てますが」


 なんとなく嫌な予感がして、喜之助の顔が引きつった。その読みは正しい。山代は平然と言い放った。


「ここで会ったが百年目。こっちで一つ仕事していけ」

「何でですかっ」

「うるさい。目に見える実績があれば、他の連中に何か言われずに済むだろうが」


 それには返す言葉がなかった。

 元々慧は遠巻きにされている。そのうえ晴真というよくわからない存在が加わった。同じく半妖――妖狐の血を引いているという触れ込みだ。

 しかもこの神職姿。軍服が似合わないし、カッチリして重くて疲れるという理由だが、本部内では目立って仕方ない。行き会う者からチラチラとされているのは本人にもわかった。

 そんな二人とは上に言われて組んだだけの喜之助が、仕事の指示に「うええ」とうめくのは申し訳ない。慧は自分と晴真だけでやってもいいなと考えた。


「何か出たんですか」

「ああ、怨霊だな。商家の門にひそんで、通る家人を昏倒させるとか」

「……それ、何か恨みを買ったからですよね。自業自得じゃないですか」

「だとしても、出ちまったもんは何とかするしかないだろう」


 怨念を生むのはいつも人の心だ。本人の執着、相手の憎悪。何事も度が過ぎれば歪みをもたらし魂を汚す。

 だが門の陰に隠れているぐらい、生きている者が犯人の可能性もあるのでは。そう思ったが、さすがに山代が否定した。


「げらげら笑いながら姿がもやのように消えたそうだ」

「……明るい怨霊さんですね」


 晴真の感想に山代は吹き出した。パシパシ肩を叩いても晴真は逃げない。もう慣れてくれたか、と山代は内心で少し喜んだ。


「確かに明るいかもしれん。こういう愉快犯は放っておくと関係のない者までおどかして遊び始めるぞ。さっさと対処してくれ」

「それ出張任務外ですよねえ……」

「いや喜之助、俺と晴真で行く。いろいろ言われるのは主に俺たちだ」


 ぼやく喜之助に提案すると、首を横に振られた。


「祓うのは任せてもいいけどな。この間の慧が清めた件が気になるから、俺も見に行くよ」


 言い方は傍観者のようだ。もういちど同じことが起こるのか見届けたいというのは本音だろうが、たぶん何かあった時の補佐としてという配慮があるのだろう。喜之助はそういう奴だからと慧はありがたく思った。


「じゃあ三人で行ってこい。あ」


 そこで山代は声を低めた。ちょいちょい、と全員に顔を寄せるよう手招く。


「あのな、この件に妖怪は呼ぶな。そんなもんが出たら余計に噂されるぞ」

「……了解しました」


 豆腐小僧だの水乞だのと報告が来て、山代は頭を抱えたのだ。

 そんな連中、下手をすれば祓いに行かなきゃならない。方技部内で知られたらますます晴真が浮いてしまうし、芳川中佐と相談の上そこは秘密にしておくことにしたのだった。横濱でやっている分にはバレないだろう。

 だが今回は妖怪の助力なしでもいい。それよりも、慧はまだあの紫の炎を使うことができるのか。そちらを試したかった。

 ちょうどいい機会になりそうだった。



 怨霊退治は夜になる。そうすると今日は横濵に帰れないので、方技部の宿舎に泊まることになった。いったんそちらに向かうことにし、喜之助は道すがら浮かれ気味だ。


「あ、そうか。小間物屋の……誰だっけ」

「絹子ちゃんだよ」


 慧は相変わらずだった。だが興味を持たれるよりよほどいい。問題の小間物屋の前に差し掛かって喜之助はチラリと店をのぞいた。店先に張られた日除けの布の陰にその絹子はいて、ちゃきちゃきと品物を整理している。喜之助はひょいと顔を突っ込んだ。


「よう、元気かい」

「あら吾妻あがつまさま。ごぶさたですね、どちらか行かれてたんですか」

「ああ、ちょっとな」


 そこは軍部所属ということになっているので具体的には話さない。絹子は日除けの外を気にし、そこに慧がいるのを見つけて会釈した。晴真の方はまた人見知りして後ろを向いてしまう。

 これが絹子かと思っても慧にはろくに記憶がなくて、むっつりと黙っていた。


「まあ、お連れさまはいつも無口でいらっしゃる」

「あいつのことは気にしないでくれ。不愛想ですまん」


 喜之助は楊枝だけを買うと、「ではまた」と店を出た。そこで深いため息をつく。やはり絹子は慧のことを気にかけているようだ。歩き出しながら晴真が尋ねた。


「……今の人、喜之助さんの?」

「あはは、いやあ。見てるだけの片恋よ。かわいいコだろ?」

「ええと、顔は見てません」


 おどおど言われて喜之助はがっかりした。こいつらは恋愛話のしがいがない。その落胆ぶりに晴真は慌てて言い訳をした。


「だっていきなり外をのぞくから。つい隠れちゃいました」

「……慧がいるか確かめたんだろうなァ」

「そうなんですか?」

「俺はなんとも思ってないぞ」


 念のため、慧は主張する。喜之助は得難い相棒だと思っているのでギクシャクしたくはなかった。ふうん、と晴真は首をひねる。


「慧はまったくそんなんじゃないのに、あきらめられないものなんですね……」

「わかんないけどさ。そうだなァ、無理だ脈がないってはっきりしたらさすがに思い切るかもな」


 そういうのは女とか男とか関係なく、恋の不思議だ。晴真にはわからないし、慧にもわからない。喜之助だってたいした恋はしていないので偉そうなことは言えないのだが、ふと思いついた。


「なあ、慧が女連れで歩いてみせたらどうよ」

「は? 俺が?」

「仲良さそうにしてさ。そんなの見れば、もう相手がいるもんだと思うんじゃ」

「……そんな相手はいない」

「フリでいいんだよ。なんなら女じゃなくてもいい。適役がここにいるだろ」


 喜之助がニヤリと指差したのは、もちろん晴真だった。



 晴真に女物を着せれば間違いなく絹子をだませる。そんな主張に納得してしまった慧だが、今日はそんなことしている暇はない。仕事に出る夜までに、剣と炎がどうなったか確かめておきたいのだ。

 宿舎の部屋の中で、慧は自分の剣を抜いた。外に道場はあるが、そちらには人がいる。この異能はあまり人目にさらしたくなかった。


「……建物燃やすなよ」

「わかってる。この炎では燃えない」


 喜之助の言うのは冗談だ。これまでに物を斬ったことは多々あるが、それで火が広がったことは一度もない。そういう類の炎ではないのだろう。

 慧は剣を両手で握り、深呼吸した。

 怪異もいないのに力を呼び覚ますのはそれなりの集中がいる。ふうう、と息をし自分の内面と向き合った。


「……あ」


 晴真が小さな声をもらす。ちろ、と剣が小さな炎をまとったのだ。その色は、あかかった。


「やはりか」


 慧がスと剣を下ろす。炎も消えた。ため息の晴真の横で、ふむ、と喜之助は腕組みした。


「やはり、なのか」

「ああ」


 そうではないかと感じていたのだ。晴真の力はあの時に借りただけ。受け継いだわけではない。その後、自分の中に晴真を感じることなどなかったから。

 ということは、試してみるしかない。

 炎を紫に染めた、晴真の仕草を再現するのだ。


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