第18話 帝都へ
「ちょ、待って。何だかクラクラする……」
へたり込みそうな晴真を両側から支え、慧と喜之助は顔を見合わせた。汽車で酔うなんてことあるのか。
「最初に乗った時、どうだったかなァ……」
「俺は忘れた」
「うん。慣れって怖いよ」
新橋駅のホームで青い顔の人などあまり見かけない。よほどの
慧はむしろ珍しいものを見たとこっそりおもしろがっているようで、それは可哀想だろうと喜之助は苦笑いだ。
「よしよし、待合で座ろうな」
「ごめんなさい……」
今日は三人揃って帝都へ出張だった。本部に呼び出されたのだ。
それで横濵から新橋まで汽車に乗ったのだが、晴真は蒸気機関車が初めてだという。駅から遠くない所で育ったのに、乗る用事もなければそんなものなのか。
ワクワクして乗車した晴真だったが、見事に乗り物酔いし、降りる頃には倒れそうになっていた。
「……爺さまとの約束には、まだ間がある」
「だな。ゆっくりでいいぞ晴真くん」
長椅子の前でカチッと立つ軍人二人。気づかわれるヘタレ神職は他人からどう見えているだろう。
まさか同僚だとは思ってもらえないよね、と晴真は悲しくなった。
本部への呼び出しといっても、それは芳川中佐からのものだ。つまり、慧の爺さま。
特殊方技部の連隊長直々に呼ばれれば普通は身構えるものだが、もちろん慧は何とも思っていない。喜之助も、自分はオマケなのでわりと気楽だ。今回の主役は、ここで乗り物酔いに倒れている晴真だった。
「晴真、緊張してるか?」
尋ねられて、こく、と晴真はうなずいた。
芳川中佐は上司としては一番上。それに慧の育ての親だ。慧の家族に会うだけで不安になる理由はわからない。喜之助が笑って励ましてくれた。
「だから酔ったのかも。へーきへーき。新入りが連隊長に目通りしてないってのは変だろ。ちゃんと続けられそうだから時間を取ってくれただけさ」
「爺さま忙しいからな」
本当は横濵まで視察に来たいと言っていたらしい。そうは思っても調整がつかず、仕方なし晴真を呼ぶ方向になった。なら全員で、というのが本日の趣旨だ。
とはいえ慧は、少し心配していた。
爺さまは育てた慧が孤立しがちなのを憂いている。そこで同じ半妖の立場にあり、慧と親しんでいると報告の上がった晴真に興味津々らしいのだった。
「――そうかそうか、君が篠田晴真くん! どんな人物かと思っていたが、なかなか頑張ってくれているようでよかった」
「あ、ええと。恐れ入ります……」
慧が思った通り、回復した晴真を連れて本部の連隊長執務室に行ってみれば芳川中佐はニコニコ顔だった。これではただの
少し不機嫌に目をそらす慧は、親の過保護を嫌がる子どもの気分だ。そんなもの屁とも思わずに芳川中佐は晴真を上から下まで検分した。
「最初の情報では巫女さんだとなっていたからね。何だったら慧の嫁に来てもらってもと思っていたんだが」
「はあ? 何言ってるんだ爺さま」
「いや、慧とわかりあえる相手などなかなかいなかろう?」
割り込んだ慧に、芳川中佐は真面目に言い返した。そこは否定できない。ブスッと黙る養い子を温かい目で眺め、芳川中佐は笑った。
「実は男だと聞いてがっかりしたよ。しかし綺麗な顔立ちだ。冗談にも巫女と呼ばれるだけのことはある」
「いえ、そんな」
「母上は狐だといったか。狐は美女に化けるものだし、そちらに似たかな?」
サラリとそんな際どいことを言って悪びれない。出生に屈託のある慧にはできない芸当だった。
だが「この古狸め」という悪口は、方技部においては絶妙に微妙――職務に含まれる討伐対象だ。そんな古狸の芳川中佐は晴真が気に入ったらしい。
「友人としてでいい。慧とはぜひ長く付き合ってやってくれ」
「僕こそ、よろしくお願いします」
ペコリと晴真は頭を下げた。軍の執務室に一人だけ神職姿でなんとも奇妙だった。
「爺さま。連隊長の名で呼び出しておいて、そんな話だけなのか」
「悪いか?」
「……悪いよ」
慧は連れの二人を見てため息をついた。
汽車に酔い、緊張しながら来させたのに、養父の我がままだけで終わるのか。喜之助だってそこに控えているだけだ。すると爺さまはフム、とうなずいた。
「じゃあ横濵方面支部の話でもするか」
「進展が?」
ああ、と軽くうなずかれ、後ろで喜之助まで肩を落としていた。なら早く教えてほしかったなァと内心で愚痴っている。
「家の
「いえ、祖父が」
「うむ。そちらに人をやって打ち合わせよう――そうだ、父上は母上を追って出たと報告されたんだった」
いろいろな案件を聞かされるのでな、と芳川中佐は口をへの字に曲げてみせる。そしてふと真面目な顔をした。
「母上が出奔したというのは、いつだね?」
「あの――十年前、です」
「ほう。ならばしっかり覚えてもいるし、辛かったろう――差し支えなければ母上の名や特徴を聞いてもいいかな」
「え。そんな、どうして」
「いや、妖狐というだけで通報されることもある。うちの者が問答無用で祓ってしまいかねんぞ」
う、と晴真は言葉に詰まった。それは長らく心配していたことだから。
母は。父は。どこかに隠れ、仲良く暮らしていてくれればいい。だが何も連絡がないということは、もう――。
「またおまえは、すぐ泣く」
「あ」
ぽろ、とこぼれた涙に慧が呆れた声を出し、晴真は慌ててゴシゴシ目をこすった。
「おやおや」
「すみません。どうしてるかなって思ったら」
芳川中佐に目を丸くされ、恥ずかしさに晴真は赤面した。もう何かと泣く歳じゃないと思うのに、涙腺は強くなってくれない。
芳川中佐はうなずきながら養い子に言った。
「――慧」
「なんだよ」
「優しい子だな。仲良くしなさい」
だから子ども扱いしないでくれ。うんざりする慧に、芳川中佐はハッハッと笑った。
「――爺さまが、すまなかった」
執務室を出てすぐ、慧は仏頂面で謝った。喜之助も苦笑してしまう。
「自由なお人だよなァ」
「僕、恥ずかしい……」
泣いたり乗り物酔いを報告されたり、いいところがなかった晴真はしょんぼりだ。だが、子どもだった昔の慧の姿をかいま見た気がして嬉しくもある。
「慧、可愛がられてるんだね」
「……まあ。俺は珍しい存在だから」
「そんなこと言ったら悪いよ」
「事実だろうが」
大事にされてきたとは思っている。血のつながる子や孫もいるのに、とても目を掛けてくれた。だがそれは慧の能力を買ってくれている部分が大きいはず。慧は甘えすぎないよう自戒してきた。
それにあの人には冷徹な部分もしっかりあるのだ。でなければあの地位にいることはできないだろう。
慧がもし人に害を為せば、瘴魔と認定し公平に討伐を命じるはず――内心で泣いてくれたとしても。そう教えてみたら晴真はうつむいてしまった。
「……そっか。だからかな。ニコニコしててもちょっと怖い人だとは思った。偉くなるって、大変なんだね」
怖い、か。慧は意外だった。晴真ならあっさりうわべに騙されるかと思ったのに。
ああして穏やかに話しながら、爺さまは晴真のことも冷静に値踏みしていたに違いない。
だから古狸なんだ、と慧はこっそり毒づいた。
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