第17話 近づくライスカレー

 ザワワッ!

 蛇が樹上から降ってきた。長さ十尺3mほどもあろうか。大蛇というほどでもないが、普通の生きた蛇というには長いし太い。喜之助が面食らって叫ぶ。


「なんだよ! これも魔か!?」

「たぶんそうです!」


 シャァと三人を威嚇する蛇。晴真と蛇の間に喜之助が割り込んだ。


「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん!」


 再び光明真言こうみょうしんごんを唱える喜之助。蛇は嫌がるように鎌首を振り様子をうかがった。

 慧は無言で剣を抜く。それをチラリと見、晴真は蝦蟇がまから読んだことを伝えた。


「これは蝦蟇の仲間なんだよ。とても近くに寄り添っていたみたい」


 晴真にもおぼろげにしかわからない。

 前に訊かれたのは正しかったのだ。言葉を持たない蝦蟇の感じていたことは、あいまいな感情としてしか晴真に迫ってこなかった。


「友だちの蝦蟇がいなくなったから敵討ちに出てきたんだと思う」

「どうでもいい。向かってくるのならそれは瘴魔だ。斬る」


 冷たく言った慧の剣が、あかい炎をまとった。蛇は炎に怯えシュルと身を縮める。逃げられぬよう喜之助が後ろに回り呪符を構えた。

 晴真が初めて見る慧の緋炎。その揺らめきは痛々しい。


「駄目だよ、慧!」


 慌てて制止するのは蛇のためだろうか。それとも慧に瘴魔を斬らせたくないから。

 斬れば斬るほどに慧自身も傷だらけになっているような気がして、晴真は剣を握る腕にすがりついた。


「馬鹿、放せ!」

「放さない! 慧がかわいそう!」

「なんだと、何故俺が」


 力では敵わない晴真は、慧の腕に顔を埋めんばかりにして揉み合う。と。

 ふわり。

 緋炎が根元から色を変えた。


「――何!?」


 蒼を加え、紫がかる炎。

 見たことのないおのれの剣に、慧は目を疑った。晴真も何があったかわからずに腕をゆるめる。

 シィィッ!

 その隙をついて蛇が二人に襲いかかった。


「馬鹿野郎ッ!」


 向こうで喜之助が舌打ちする。

 ギィィャァッ!

 投げられた呪符が蛇に貼り付きシュウウと煙になった。のたうつ蛇。慧はハッとして紫炎の剣を蛇に向かって振り下ろした。


「嫌っ――!」


 晴真が遅れて悲鳴を上げる。だが慧の剣は蛇を両断した後だった。

 蛇は斬られて黒く崩れ――ることはなかった。白く輝き、ホロホロと形をなくしていく。


「え――」


 斬った慧も、見守る晴真も喜之助も目を見開いた。これまでにないことだ。

 白い光になる、蛇。三人はそれが見えなくなるのを神妙に見送った。


「――今の、は?」


 辺りが静まって数秒、慧はボソッとつぶやいた。

 どういうことだ。何が起こった。晴真が茫然としながら首を傾げる。


「……もしかして、慧が清めたの?」

「どうして俺が。俺は斬っただけだ」

「晴真くんの力と合わさったってことか?」


 喜之助の指摘で、全員がうーんとうなった。そんなことができるのか。


「……だが、そんな感じだった」

「だよなあ」

「そんな、僕は何も」


 うろたえる晴真だが、慧にはもしかしたらという心当たりがある。しがみついた晴真の唇が慧の手の甲に触れたのだ。

 その時にジンと何かを感じ、次の瞬間、不思議な力が指先まで走った。そして、炎が変わった。


「うん。絶対おまえだ」

「えええ!」


 確信ありげに言われ、晴真は困ってしまった。




 とにもかくにも任務を達成したのは間違いない。しかも晴真の初・瘴魔戦だった。無事に終えたのはめでたい。

 そして晴真の望み通り、魔を滅することなく清めて送ることができたのだ。その経緯に不明な点はあるのだが、結果は歓迎すべきもの。


 そんなわけで次の日の夕飯は豪華だった。なんとライスカレー。

 町の食堂では供されることも増えたカレーだが、まだまだ家庭では高級品だ。何しろカレー粉はイギリスC&B社の輸入品しか売っていないし、肉だって魚よりずっと高い。


「慧はライスカレーが好きだって言ったらさあ、晴真くん絶対作りたいって」

「喜之助さん!」


 ちゃぶ台を囲んだところで告げ口されて、晴真は赤面しお盆の後ろに隠れた。そんなこと言われても、慧も反応に困る。


「……まあ好きだけど」

「だろ。晴真くん食べたことないのに頑張って作ったんだぞ、感謝しろよ」

「食べたことない?」


 陸軍では馴染みのメニュー。だが貧乏稲荷の神職には高嶺の花だ。

 材料の買い出しから作り方を店で訊いてくるまで、喜之助が付き添って出来上がった料理だった。どうしてそんなに張り切ったかというと、慧との仲直りのため。

 謝り合い、共に戦って、そのうえ二人の異能も溶け合ったらしい。

 そんなことができたのだから、いいかげん普通に接したいと晴真は切に願っていた。でもそう考えることすら恥ずかしくて、晴真はモジモジしてしまう。


「あの……よかったら食べてみて」


 蚊の鳴くような声で言われて慧は神妙に手を合わせた。

 並んでいるのは丼に別々に盛られた飯とカレーだ。店で使うような食器までは用意できなかったが、食欲をそそる匂いがする。


「いただきます」


 ヒョイと少量を飯の上にかけ、口に運ぶ慧。晴真が心配そうに見守っていた。


「――うまい」

「ほんと?」

「ああ。これ初めて作ったのか? おまえすごいな」


 しばらくぶりに屈託なく視線を合わせた二人だが、すぐにフイと顔をそらした。

 慧は何やら照れくさそうだし晴真は褒められて嬉しそうだし、これはどう見ても痴話喧嘩の仲直り。俺の立場って、と喜之助は肩を落とす。


「――なんかもう、俺いない方がいい?」

「なんでですか!」


 晴真は慌ててくれるが、慧は怪訝な目でチラリとしただけでガツガツとライスカレーをかきこんでいた。気に入ったらしい。

 ちょっとしょんぼりと喜之助も食べ始めたが、確かに美味しい。

 俺も嫁さん欲しいなァとうっかり考えた喜之助は、いや晴真は慧の嫁じゃなかったよと自分の膝を叩いた。



 嫁になったわけではない晴真は、それでもカレーを気に入ってもらえてホッとしている。

 食べたり片付けたりするうちに慧とも変な空気にならず話せるようになってきた。これなら一緒に仕事をしていても大丈夫。

 寝間着に着替え、座敷の雨戸を閉めていると玄関の戸締まりをした慧がこちらに回ってくる。


「……こっちは済んだか」

「うん」


 にっこりした晴真を見て、慧も内心とても安堵していた。

 ずっと横濵方面支部で顔を突き合わせていく相手だ。妙な気兼ねはしていたくなかった。晴真は慧と並ぶ異能持ちだし、できるなら長く共に働きたい。


 ただひとり見つけた、同じ半妖の相棒。

 慧と晴真は、二人がそれぞれに抱えていた孤独をわかり合える、おそらく唯一の相手なのだから。


「さっさと寝ろよ」

「はあい。慧もね」


 そんな気持ちはおくびにも出さず慧は素っ気なく言う。晴真も何気なく応える。それが心地いい。


 慧は。晴真は。もうひとりではない。

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