第16話 蝦蟇
軍服に着替えた慧と喜之助、そして神職姿の晴真は川沿いをさかのぼり、蝦蟇がひそむ現場へと急いでいた。
陽のあるうちにケリをつけたい。明るくないと通用しない作戦を立てたからだ。
「駄目だったら逃げるんだよ。すぐにね」
「晴真の案、あれはただの伝承とか売り口上の類いだぞ。どうなんだか」
「――やってみなきゃわからないでしょ」
喜之助は半信半疑、慧に至ってはまったく信用してくれていない。晴真は少し悲しかった。
今回の晴真は、友だちの力を借りずに切り抜けることにした。戦いに呼ぶ許可をくれた妖怪のうちに、うまくハマる技がなかったのだ。それにいつも誰かに頼ってしまうのもよくない。
だが今回だって、失敗したら後は慧と喜之助に任せることになる。いったい晴真ひとりでできることなど何かあるのだろうか。
「……無理に清めなくてもいいのに」
ため息と共に慧がつぶやくのが聞こえ、晴真はグッと悲しみをこらえた。
慧が滅してしまえば早いのかもしれない。それはわかっていた。だが瘴魔だからこそ救いたい。晴真の母も、同じく魔と成った狐なのだから。
ここで蝦蟇を滅するのを許したら、どこかで母が討たれても何も言えないような気がする。だから晴真は蝦蟇に立ち向かい、清めの手を差し伸べたいのだ。
「――ごめんなさい。わがまま言って」
「慧のはね、晴真くんを心配して言ってるだけだからいいんだよ」
「誰がだ」
不機嫌な顔で慧は足を止めた。そろそろ通報のあった場所が近い。町役の家で話を聞きたかった。
「……それで、なるべく大きな鏡を借りるんだな?」
「あ、慧の今の顔だと怖がられるから俺が行く。外で待ってて」
慧の態度をからかって、喜之助はさっさと一番大きい家の門をくぐる。人あたりのよさは喜之助の武器だった。
「――」
二人だけで残され、慧は黙りこくってしまった。
晴真はどうやら普通に慧と接したいようだが、互いにまだぎこちない。慧としてもこんな状態は嫌だ。今からの仕事にも差し障りかねない。
喜之助が何かしら言ってくれたようだが、どう話したのかだった。経緯を知らない喜之助をはさんでいては埒があかない。
「晴真――」
「う、うん?」
意を決して声を掛けたものの、慧は言葉に詰まった。
あの時の慧は、諸肌脱ぎで晴真を抱き寄せたのだ。やられた方にしてみれば、とても気持ち悪かったに違いない。あれから自己嫌悪にまみれて晴真を避けてしまっていた。
だが、ここはしっかり謝罪しなければ。
「悪かった」
「ごめんなさい」
二人同時に謝っていた。きょとんと顔を見合わせる。がっつり視線を合わせたのも久しぶりだ。だが何故謝罪されるのか互いにわからなかった。
「どうしておまえが。裸で襲ったのは俺だろう」
「え、だって慧の体をやらしい目で見たのは僕で」
言い方。相手の言葉にどちらも赤面した。
「やら、し……俺の体?」
「おそってって……そんな!」
そして二の句が継げなくなる。双方視線をさ迷わせていたら、喜之助が出てきてしまった。大きな姿見を抱えている。
「お待たせ――って何、また空気おかしくない? おまえらどうしたいの!?」
どうもこうも。できれば普通に任務をこなしたい。
そして問題の沼に行ってみれば、人影もなくシンとしていた。
「まだ足場が悪いな。おびき出さないと」
埋め立ての途中で止まった工事。沼の奥側はまだ水をたたえており、手前も湿って足を乗せればジクジクいいそうだ。
乾いた場所に生えた木に鏡を立て掛け、慧は全員の立ち位置を確認する。
「俺がこっちに引き寄せて足どめ。晴真はいったん横に隠れて、蝦蟇を釘付けできたら清めろ。喜之助は遊撃」
「了解」
「お願いします」
小さく頭を下げる晴真が木立の間に待機するのを待ち、慧が沼に近づく。
蝦蟇を連れ出す道筋と晴真の間に進み出て、喜之助は
「
これは破邪の法。そこに結界を作り出し晴真を守ってくれる。
「この後ろにいれば、ある程度は平気なはずだから」
「ありがとうございます」
小声で会話し、喜之助は反対側に走る。万一の時に蝦蟇の注意を晴真からそらすのが役目だ。これでも何年も戦ってきた陰陽師のはしくれ。惹きつけていなすぐらいわけもない。
「行くぞ」
慧がポケットから出した小石を放る。沼の奥にポチャンと沈んだその石には
グラ、と水面が動く。晴真は思わず感嘆の声をもらした。
「うわ……」
現れた蝦蟇は大岩のようだった。ぬらぬらと光る肌はゴツゴツしたイボにおおわれている。清めるにはあれに触れなくてはならない。
呪を嫌がり陸に上がる蝦蟇を、慧は剣を抜きにらんだ。そして
剣は、最後まで使わないつもりだった。晴真の願いは甘いと思っているが、危険がない範囲でそれを見届けるぐらいの度量は持ちたい。だがそのために剣を鏡に持ち替えなくてはならないのが不本意だ。
その鏡の所へと蝦蟇を誘う。警戒する蝦蟇は動きを止めて喉をふくらませた。グゴゴ、と大きな音がした。
ビクリとした晴真の足元で落ち葉が鳴った。音に反応し蝦蟇の舌が伸びる。
「ひっ!」
パシィッと眼前が光り、晴真はすくんだ。結界に守られたか。
「チッ!」
舌打ちした慧は蝦蟇に斬りかかった。ただし脅しだ。なので剣は炎をまとわない。
蝦蟇の意識が慧に向いた。切っ先を下げて煽った。
「ほら来いよ」
グゴ、ゲゴゴッ。
蝦蟇は大きく体を揺する。表情が変わるわけではないが、慧に怒りを抱いたらしい。ドスドスッと重い足音で迫ってきた。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」
喜之助の唱える真言がその場に渦巻く。慧の前で動きを鈍らせた蝦蟇。
慧は舌の届かぬ距離まで跳びすさり、剣をしまうと鏡を手にした。大きな姿見を蝦蟇に向ける。
ぴたり。
蝦蟇が動かなくなった。
嘘だろ、と慧も喜之助も思った。「蝦蟇が鏡に立ちすくみあぶら汗をかく」というのは油売りの適当な口上だと思っていた。
試して駄目なら斬ればいい。そう考えて許した晴真の言い分。まさかハマるのか。
自分の姿を醜いと思ったか美しいと見惚れたか。それとも敵や味方と認識したか。
わからないが今なら晴真が近づける。喜之助はそっと手を動かし、行け、と合図した。晴真はうなずいて走った。
「――!」
何とか転ばずに駆け寄った晴真は、その
「――ごめんね。お眠り」
白く白く、薄れていく蝦蟇。
魔には死んで成ったわけではないが、年
せめて安らかに。殺したようなものなのに偽善かもしれないが、晴真は願わずにいられなかった。
「――やった、か」
再び静まった沼のほとり。慧は鏡を下ろし、フウと息をついた。無事に終わってよかった。晴真はじっと蝦蟇を送った手を見つめている。
「――待って。もしかして」
蝦蟇から受け取った何かを探っていた晴真が顔を上げた。
――ガササ、と木立が鳴った。
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