第15話 ギクシャクと

「晴真くんが怪異の心を感じてしまうって本当?」


 渋い顔の喜之助に縁側に呼ばれた晴真は、言われて青ざめた。

 それが伝わったのは、慧があの時の顛末を話したということだ。


「……あ、あの」


 どうしよう。晴真は眉を下げて困ってしまった。

 慧の体を見て愛欲を連想したなんて知られたのなら、喜之助からも嫌われてしまったろう。もうここを出て行くしかないのかと晴真は思い詰めた。


「それは辛かったよな。こういう相手だと特にきついとか、あったら教えなよ?」

「――え?」

「ほら、はっきり姿を残す怨霊は残留思念もクッキリしてたりさあ。瘴魔だと元が人じゃないからフワッとしたものしか伝わらない、なんてことあるのかなと思ったんだけど。どんなもん?」

「あ……はあ。どうだろ」


 嫌悪感をぶつけられるのではと身がまえた晴真は、逆にいたわられて拍子抜けしていた。慧は何をどう話したのだろうか。


「こないだのって、無理心中した女だったんだって? すごく鮮明な記憶を受け取って傷ついたみたいだから俺が話を聞いてやれって慧が言うんだよ。慧は男と女のことはわからん、て」

「そんな。僕、傷ついたりしてないです。だいじょうぶですから」

「そうか?」


 慌てる晴真を見て、喜之助はハハハとわざとらしく笑った。

 ――やっぱり。こいつらは互いに気をつかい合って、何をしてるんだか。


 喜之助の目は節穴じゃない。

 顔を合わせられないくせに相手の様子をうかがっている二人にすぐ気づいたのだ。そうなると付き合いの長さから、まずは慧の方を問い詰めることになるわけで。

 怨霊の男女関係のこじれを知って戸惑ったそうだと聞かされても、何を言ってるんだとしか思えなかった。じゃあ慧への態度はどういうことだ。

 それを訊いても明確な答えが得られるはずもないので、喜之助はあえて流した。そして晴真を探りに来たのだった。まだ晴真の方がくみしやすい。


「あのぅ……」

「おう?」


 もじもじと晴真が訊く。何でもなさをよそおって、喜之助は話を待った。


「慧、他には何か言ってましたか」

「何かって」

「え、ええと。僕のこと、怒ってるんじゃないかと思って」


 ためらう晴真の声音は深刻だった。これは本気でまずいことをしたと考えているらしい。だが喜之助が見るに、慧はむしろ自分がやらかしたと捉えているようだったが。


「……怒らせるようなこと、したのかい」

「う……たぶん」


 しょんぼりした晴真は可哀想なぐらい小さくなる。喜之助は苦笑いしてしまった。


「慧はさ、いつも愛想ないけど、人を責めたりはあんまりしないよ」


 言われて晴真がハッと顔を上げる。


「完全に相手が悪いならともかく、どっちかというと全部自分で背負しょい込む方だ。何があったか知らないけど、大丈夫だと思う。慧は晴真くんが元気ないのを気にしてた」


 結局晴真もすれ違いの原因については口を割らないようだ。ならば互いに相手を気づかっているのだけは伝えようと喜之助は割り切った。そうでもしないと家の中の空気が悪くて嫌だ。


「僕、元気です」

「あんまりそう見えないぞ。慧は怒ってないから、しゃんとしてくれ」


 怒ってない。そう聞いた晴真がヘニャ、と笑った。

 それだけで安心するのか。何だか痴話喧嘩の仲裁に入ったような気分になって、喜之助は少し悲しくなった。俺も痴話喧嘩をしてみたい。

 その時、表の戸を忙しく叩く音がした。やや荒っぽい。


「――伝令か?」


 喜之助の顔つきが仕事に切り替わった。怪異が出たという報せかもしれない。

 立ち上がり駆けつけると、もう奥から慧が出てきて対応していた。玄関の外にいるのは、やはり軍服の男。


「――承知した。ご苦労」


 慧の声は硬かった。となると任務なのだろう。軍人は敬礼し、帰っていく。


「慧、仕事か」

「ああ。瘴魔だ」


 振り向いた慧は、晴真もいるのを見て目をそらした。まだ裸で抱き寄せたしくじりを悔いているのだった。

 二人の間にはさまれて、喜之助は盛大なため息で文句を言う。


「ああもう! 晴真くんは何も気にしてねえよ。むしろおまえが怒ってるんじゃないかってビクビクしてるんだから、その態度やめろ!」

「え、なんで俺が怒るんだ」

「知るか。何があったのか教えるなら、客観的に解説してやらんこともない」


 双方だんまりで、喜之助だっていい加減苛々する。しかも瘴魔が現れたというのなら、この調子では困るのだ。

 何があったかと訊かれ、慧と晴真はさすがに顔を見合わせた。そして瞬時に目をそらし、拒否する。


「それは言わん」

「言えません」


 声をそろえて断られ、喜之助は力なく笑った。


「おまえら気が合うじゃないか……」


 付き合い切れない。喜之助は面倒な二人を見比べた。困惑をむっすりして誤魔化す慧と、わたわたと焦る晴真。もう勝手にしてくれ。

 そんなことより任務だ。現実的にいくしかないと考えて、喜之助は話を戻した。


「――んで、瘴魔なんだろ? さっさと対応しなきゃならんのか?」

「あ、ああ」


 慧も気を取り直して手にした書き付けに目を落とす。通報によれば。


蝦蟇がまが出たそうだ」

「ほう」


 蝦蟇といえば、つまりヒキガエル。だがこの場合、魔と成って大型化したもののことをいう。


「場所は大岡川をさかのぼり、ここから一里4kmほど。川近くの沼を埋め立てていた人足が襲われた」

「ふうむ。沼の主かな」

「まだ人死には出ていないが、工事も止まったし住民が水場を使えず往生しているとの訴えだ」


 蝦蟇はどこかに潜んでしまったらしい。なのでその沼だけでなく、川も井戸も怖くて近寄れないのだとか。


「早めに行った方がいいだろう。支度しよう」

「だな」

「うん、わかった。頑張るね」


 慧の報告を聞き、晴真も表情を引き締めた。

 特殊方技部に来て初めて瘴魔に対することになる。蝦蟇を相手にどうすればいいか――と考えていたら、先輩二人が心配そうに晴真を見た。


「晴真くん、行ける?」

「……留守番でもかまわないぞ」

「え、なんでなんで!?」


 慧が怒っていないとわかり、何とか元のように戻って働こうと張り切ったのに出鼻をくじかれる。どうしてそんな風に言われるのか晴真は悲しくなった。


「だって晴真くん……」


 喜之助は考え込んでしまった。

 蝦蟇はたぶん大きい。そして重い。豆腐小僧の豆腐では敵わないと思う。

 水乞みずこいが水分を吸い取るのは効果がありそうだが、それもためらわれた。


「みっちゃんは、蝦蟇を吸いたくないんじゃないかなあ」

「……そうですね」


 それは否めない。まがりなりにも女の子、流行に敏感でおしゃれな物が好きなみっちゃんはカエルなど嫌がりそうだ。


「蝦蟇の動きは鈍いと思うが、舌だけは速くて強い。晴真じゃけられない」


 慧も冷静に指摘した。

 舌までも封じるほどに蝦蟇の動きを止めるか、晴真がまったく視界に入らないように策を講じるか。それができないなら今回は慧と喜之助だけでいいのではないか。それが慧と喜之助の言いたいことだ。

 だが、現れたのは瘴魔――晴真としては滅さずに何とかしたい。

 考えろ。考えろ。

 蝦蟇に対処する方法を、晴真は必死で探した。


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