第14話 愛

 晴真はるまの見せた蒼白い光。それは柔らかく美しく、けいの目にも何かしみじみと映った。

 対照的に自分の剣に宿るのは、何故たける炎なのか。慧は自問するが答えは出ない。

 だがとにかく腕は磨き続けようと思った。晴真を守るのに必要なことだし、一人でそうできるようになれば喜之助きのすけは帝都に帰れる。


 この官舎にいるうちに、毎日は軍服を着なくなってきていた。

 帝都では何かと本部に呼び出されるので備えていたのだが、ここはそんなこともない。仕事の時には帯剣したいので軍服でないと都合が悪いが、普段は必要ないのだと気がついた。

 今日も慧は着流しの裾を帯に挟むだけにして打ち込み稽古をしていた。


「お疲れさま、慧。たらいと手拭い置いておくよ」

「ああ、すまん」


 カン、カカンという竹を打つ音が絶えたからか、晴真が縁側に汗拭きを用意してくれた。もう日中に動くと汗が流れる季節。

 晴真がすぐに台所へ行ってしまうのはお茶を淹れるためだ。水乞みずこいみっちゃんではないが喉も渇いた。


「本当に妻みたいだ……」


 手拭いを絞りながら慧は独りごちた。何くれとなく世話を焼いてもらい、ありがたいが微妙に落ち着かない。

 そんなに気をつかうなとも言ってみたのだが「僕を守ってくれるためでしょ」との笑顔で言葉に詰まった。それだけじゃない、と何故か言い切れなかった。


 顔を拭き、諸肌を脱ぐ。幼い頃から鍛え続けた体は、それなりに頑丈になったように見えた。

 首、胸、腕、脚。筋肉を確かめながら拭いていく。さっぱりした肌に、そよ風が心地よかった。

 戻ってきた晴真がカチャ、と茶器の音を立てた。


「――お、お茶も飲んでね」

「ああ。おまえもどうだ」

「うん」


 尻はしょりを下ろして座敷に上がる。

 晴真の態度が何かおかしくて、慧はじろじろと観察した。するとますます挙動不審になる。耳が少し赤くなっていた。


「――何だよ」

「う、ううん。あの、着物、そのまま?」


 上半身を脱いでいるのが気になったのか。男同士だし、これまでも普通にやっていたのに何を今さら。


「暑い」

「あ、そう……」

「着替えは汗がひいたらな」


 目をそらしモジモジする晴真は、とうとう我慢できなくなったのか立ち上がる――いや、おかしいだろう。

 その手首をガシとつかまえ、慧は自分の横に引き寄せた。


「何だどうした。俺に何かあるのか」

「ち、違うよう」


 顔を真っ赤にした晴真は逃げようともがく。だが力では慧の方が上だ。逃がさない。

 座らせてしっかりと肩を押さえ、耳元でささやいた。


「どう見ても変だろうが馬鹿。何があった。喜之助には内緒にしてやってもいいぞ」

「やん、やめ。はなし、て……」


 はがいじめにされ動けなくなった晴真の体が、ふる、となった。声が切なさを帯びる。

 本当にどうしたこいつ、と慧はわけがわからなかった。


「慧のせいじゃ、ないから」

「じゃあ何だ」

「あ、う……」


 迷いながら慧を見上げてくる瞳が揺れに揺れている。至近で見つめたら薄く開いた唇も震えていた。それを薄紅の舌がちろりと舐めた。


「あの……僕」

「うん」

「怨霊に触れた時にね」

「ああ」


 つかまえてよかった、仕事の話なら悩みを抱え込ませるわけにいかない。

 慧は少し腕をゆるめ、話をうながした。


「気持ちが、すこし流れてくるんだ」

「――怨霊の、か?」


 こくん、とうなずき晴真は目をそらす。

 そういえば、初対面の時にそんなことを言われた。抱えた想いに共感してやれば、みんな満足するのだと。

 だがそれは――もしかして生前に抱えた苦しみや恨みつらみを共有するということなのか。


「死人の想いを受けとめるのがつらいのか」

「あ、うん。まあ悲しくなっちゃったりはするけど……」

「おまえみたいな奴にはきついだろう」


 たまにならともかく、日常的に仕事としてやるのは無理だという話なら退職もやむなしかと慧は考えた。だがその深刻な空気に慌てて、晴真は顔を上げた。


「だいじょうぶ……だと思う。もう少しそれは頑張ってみる……じゃなくて」


 混乱しながら言いつのるのを、慧は待った。


「――あの人、夜鷹よたかだったんだ」

「は?」


 突然の話題に慧は思考停止した。この間の怨霊のことだろうが、いきなりだ。

 夜鷹とは、春を売る女のうち、妓楼ぎろうに属したりしない者。個人営業、といえばいいのか。


「それが、何か……」

「好きな旦那がいたんだよ。その人のために体を売ってたんだけど、別の女が出てきて揉めて」

「そ、そりゃ大変だったな」

「無理やり心中して……でもね、伝わったんだ。ただ、愛してほしかっただけだって」


 感じた気持ちを思い出したのか、晴真の目がうるむ。またこいつは泣く、と慧は困ってしまった。

 だがそういうことだったのか。あのずぶ濡れは身投げだったとわかり納得する。聞いてみれば痛々しい人生だったと思う。

 同情をこめて、晴真の目に浮かんだ涙をそっとぬぐってやった。


「やッ――」


 晴真は小さく悲鳴を上げ、体をビクンとさせる。

 そうだ、その夜鷹の話と今の晴真の状態になんの関係が。


「――それはわかったが、おまえはどうした」

「ううぅ――あのね、あの人が最期に思い出した、幸せだった時っていうのがね」

「ん?」

「その――旦那さんと――」


 口ごもる晴真を見下ろし、しばらく考えた慧は、思い当たってパッと赤面した。ことか。

 愛した男との幸せな記憶。男から愛され、とろけさせられた時間。それが、晴真に流れ込んだ、と。


「あ」


 気づいた慧はパッと晴真を押さえていた腕を外した。そして自分が諸肌脱ぎなことにうろたえる。悲鳴を上げそうになった。


「――悪かった」


 目をそらし、そそくさと着直す。男の裸なんか、それは見たくないはずだ。


「慧は、何も……」


 いたたまれないほどの小声で晴真は言ってくれる。

 だが知らなかったとはいえずいぶんな真似をしてしまったと反省した慧は、夕飯になっても晴真の顔を見ることができなかった。



 そしてその慧の反応で、晴真はどん底まで後悔にまみれている。今は独りになった寝間で、布団を頭までかぶって丸まっていた。

 恥ずかしくて死にそうな気分だ。あんなこと、白状しなければよかった。

 だけどどうしようもない。怪異を清める時にその心が流れ込むのは本当だし、たまたま男女のあれやこれやを受けとめてしまったのも仕方がないのだった。それを、晴真が受け流せるようになればいいだけ。

 とはいえ晴真はそういう欲について未経験だった。そこに生々しい記憶――しかも女の側の。

 服を着た慧のそばにいるのは平気だったのに、男らしい体を見たら感覚がぶり返して体が熱くなった。


 愛について考えるのに、この年齢は遅いかもしれない。

 嫁をもらってもおかしくない年頃ではあるのだが、母の血のこともあり二の足を踏んでしまう。

 自分は可愛がられて育ち、幸せだった。だけど母は姿を消した。そのことに晴真は自身で思うより深く傷ついている。

 この狐の血のせいで、また家族を失うことはあるのだろうか。ならば女など愛してはいけない。

 ことさらに幼くふるまい、人よりも妖怪たちと馴染んで過ごしたのはそのせいだった。


「慧も、同じだって言っていたけど……」


 子どもはいらない、血を残す気はないと言い切った慧。

 情欲に流されないと決めている人に対して、そういう目で体を見たと伝えてしまったのだから――。


「気持ち悪いって思われたよね」


 もうどうすればいいのかわからない。

 晴真はまた少し、泣いた。


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