第13話 ラムネの泡のように

「いやーん、あまーい! しゅわわー!」


 官舎の座敷に現れて、きゃあきゃあ言いながらラムネを飲むのは水乞みずこいのみっちゃんだ。怨霊を清める手伝いをしてくれたお礼に、と招いている。晴真はるまも一緒にラムネ初体験中だ。

 ちなみにラムネを買ってきたのは喜之助きのすけだった。に近い気分で水乞に手渡したのは内緒にした方がいいだろうか。


「――今日は小さい子に戻ってる」

「あの時は驚いたぜ」


 けいのつぶやきに応える喜之助は苦笑いだ。

 ヒョイと抱いて逃げたはずの水乞が、見る間に十歳以上も成長してしまった。嫁に行けそうな年頃になられると、小脇に抱えたのが申し訳なくなる。ご所望のラムネを差し入れたのはその罪悪感からだった。


「みっちゃんは水っけを取り込んで育つんだよ」

「そうみたいだね! いや、知ってても見るとビビるって!」


 晴真が説明してくれるが、喜之助はヤケクソ気味に笑った。


 水乞。喉が渇いたと水をねだる妖怪。

 あの夜、出現した時にはかなり乾いていた。そりゃ水が必要だと納得するぐらいに乾いていた。そう言うと女の子には失礼になりそうなので黙っているが。

 だけどその後、お茶の一気飲みでプルプルに潤ったのには目を疑ったし、怨霊から水分を奪い取り干物にしかけたのも恐怖でしかない。

 あの怨霊は、しなびて動けないというよりシワシワの自分に衝撃を受けてうずくまっていたように思える。

 水乞がやったのは物理と見せかけた精神攻撃の方だ。怨霊となっても女性は女性、なんだかとても可哀想だった。


「でもちゃんと生前の姿になったよな」

「最期には、そうだった」


 見届けてみれば、怨霊は自己を取り戻しフワリといなくなったのだ。慧が斬った時のように真っ黒に崩れ消えるのではなく。

 慧たちは今回、晴真の力をその目に焼き付けた。そのために水乞の助力を願ったのだし、見せろという要求に応えた晴真の柔軟さには感心している。

 だが、あの蒼白い光はなんなのだろう。


「いや、それを言っちゃうと、慧のあかい炎もわからないぜ?」

「――ああ、まあ」


 慧が怪異を斬る時に剣がまとう炎。自身では怒りや憎しみの具現だと思っている。内に眠る瘴魔の力が慧の心に呼応してああなるのだと。

 ならば晴真のは何だろう。いつくしみや優しさか。

 引き比べて慧は、自分の荒々しくドロドロした内面をあざ笑いたくなるのだった。なんて醜い。


「――慧」


 スス、と晴真がにじり寄ってきた。手にはまだ残っているラムネ瓶。

 水乞は向こうで飲み終わった瓶をためつすがめつしている。世間ではと呼ばれもてはやされるハイカラな物だ。


「飲む?」

「え――いや、いい」


 晴真にラムネを差し出され、軽く動揺したのを押し殺して答えた。晴真の唇がつややかに紅い。今ならきっとラムネの味がするのだろうと思った自分に戸惑ったが、晴真はあらたまってペコリと頭を下げた。


「僕のこと、かばってくれてありがとう」

「はん?」

「あの夜だよ。やっぱり僕一人じゃ逃げられないみたいだね、体がすくんじゃって」


 向かってくる怨霊から守ったのは慧。それを言われているのはわかったが、知らないふりをしたくなるのは何故だろう。お礼にと出された飲みかけのラムネがとても甘そうに見える。


「あんなの。それにおまえ、すくんでなくても逃げられないだろう」

「ぐぅ! ひどいよ慧」

「あれは俺の責任範囲だ。だけどおまえ、女の子よりは重かったな」

「そりゃそう! 男だもん!」


 こんな言い方でも、男として認められたように受け取るのか晴真はほがらかに笑う。おめでたい奴だと思いつつ、慧はそれが少しうらやましかった。




「――で、今回のこと、山代さん何か言ってたか?」


 夕飯後、片付けのために晴真が台所にいる隙を狙って慧と喜之助は静かに話していた。

 喜之助はまた本部に打電しに行き、その帰りにラムネを入手してきたのだ。そこで下された晴真への評価、本人に聞かせるべきことではない。


「うん、いろいろな駒を持ってそうだし、戦力として使えるだろうと」

「――だな」

「ただ、どう鍛えても護衛役が必要なんだよなあ」


 喜之助がぼやいて、慧も小さく笑った。その様子に喜之助はこっそり驚く。最近、慧の表情が豊かになってきているように思えた。そんな自覚のない慧は淡々としているが。


「それはどうしようもない。俺もまあ、気を配ろう」

「でもこのままだと二人組行動は難しいよ。今回だって慧と晴真だけじゃ対処しきれなかった。俺、いつになったら帝都に戻れるんだ」

「なんだ喜之助、戻りたいのか」

「そりゃな」


 帝都宿舎近くの小間物屋の看板娘。通りすがりの彼女の笑顔を楽しみに働いていたのに、見られなくなり喜之助は悲しくて仕方ない。


「慧、絹子ちゃんてわかるか」

「――いや?」

「だよなあ」


 喜之助はむしろ安心する。小間物屋の絹子は、「よくご一緒のお連れさん、お話ししてくれない方ですね」と慧に言及したことがあるのだ。それはつまり、話したいということか。

 だが慧には女など里芋ぐらいに見えているのではという疑惑が今、確信に変わった。絹子が慧に惚れようと、こいつは応えたりしないだろう。


「――俺さあ、小間物屋の絹子ちゃんのこと可愛いなって思ってたわけよ」

「――え」


 慧が眉根を寄せ、目を細めた。いきなりそんなことを言われ心底戸惑っているのだ。


「小間物屋……宿舎のそばの?」

「そう」

「……すまん、誰だかわからん」

「うん、おまえはそういう奴」


 店はわかっても看板娘がわからないという徹底ぶり。呆れるより心配になった。


「慧って女に興味ないんだなァ」

「……ない。喜之助、その彼女のために帝都にもどりたいのか」

「あ、いや。告白もしてないんだけどさ」


 ちょっと照れつつ言い訳する。だが慧にしてみれば、付き合ってもいない女のために戻りたいという方が理解不能だった。


「まあ、喜之助がそう思うなら応援はする」

「あ、いいよ。何もしなくて」


 喜之助は丁重に謝絶した。無理はしないでいい。向いていないにもほどがあると思うのだ。晴真が慧を守るぐらいに難しいだろう。

 慧としてもその自覚はあった。ここは手出し無用だが、考え込んでつぶやいた。


「――そういう機微にも通じた方がいいのか」

「え、なんでさ」

「今回、愛染明王あいぜんみょうおうの真言を唱えたろう?」


 あの怨霊に対して、水乞の補助になればと喜之助が口にした真言に慧は驚いたのだった。何故それをと思ったのを訊き忘れていた。


「――あんな場所だしな。あの怨霊はきっと、男に何かの気持ちを残して死んだんだ。だから、愛欲を悟りに昇華する真言を選んだ」

「そんなものなのか――」


 不得要領な顔で黙る慧に、喜之助は苦笑を禁じ得ない。

 だが何もかもを叩き斬るだけだった慧の変化は歓迎すべきかもしれなかった。それをもたらしたのは、おそらく晴真――。

 惚れたはれたの、愛欲の、と言われても慧にはわからない。だがこの時に慧の頭をよぎったのは、昼間ラムネで紅くなっていた晴真の唇だった。


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