第12話 水を乞う
すっかり暮れてからの外出だった。夜歩きに慣れない
行先は長島町四、五丁目辺り。女の怨霊が出るらしい。襲われるのは男ばかりだとか。
繁華な町の先ではあるが、目あては裏道だ。暗闇に沈むそんな所をさ迷う女にはどんな恨みがあるのだろう。
「
そう言った喜之助は微妙な顔だった。
喜之助自身には、実を言えばほんのり想う女がいたりする。相手とは帝都と横濱に引き裂かれ――る前に、好いていると口にできてもいないのだが。それが横濱方面支部勤務を申し付けられ「げ」と反応した理由だ。
連れ立って歩く二人はどうだろう。
少年の晴真は、まだ妖怪と遊ぶのが好きな子ども。とはいえ体は健全に育っている。そっちに興味津々な年頃のはずなのに、ともに暮らして受ける印象は清らかだった。ふと見せる悲しそうな影が気になる。
「痴情のもつれの果てに命を断ったか。それとも男に殺されたのか――」
さらっと口にする慧だが、自分自身はそんな激情を味わったこともないだろうに。わかったようなことを言うよなあ、と喜之助は少し呆れた。
黙ってついてくる晴真は、ふところに大事に水筒を抱えていた。
仕事が来たぞ、と慧が言ったら「お茶を淹れてもいい?」と返されたのだ。冷ました茶を詰めた水筒などどうするのか知らないが、真剣な顔で頼んできたのだから、ただ飲むためではないと思う。
「それ、どうするんだ」
慧はチラリと隣を見た。考えに沈む晴真が気になる。
「友だちにか?」
「うん――相手次第だけどね」
「どんな怨霊かで対応を変えるのか」
慧が少し驚いて、うん、と晴真は照れくさそうにした。
この間、運動でまったくついていけなかった晴真は真剣に悩んだのだった。自分が特殊方技部の役に立つにはどうすればいいのか。
声を掛けてきたのは向こうの都合だ。勝手に物事を進められ乗せられただけなのだから、適当に付き合っているだけでもいいかもしれない。
でも。
慧は戦っている。たぶん命がけで。
それは憎しみの結果なのだろう。強くなり、父だという何かを殺すため。本当はそんなことやめてほしい。
だとしても、今ここに立つ慧は晴真に危険がないように気を配ってくれている。晴真はそれに応えたかった。
「みんなに、相談したよ」
「みん……妖怪?」
「そう」
もし晴真が呼んだら、力を貸してくれるかと。一緒に戦ってほしいと。
そんなの無理だとも言われた。遊ぶだけならいいけど、そんな怖いことできないと逃げる子はいるだろうと思っていた。やっぱりそうなった。
でも「いいよ」と笑ってくれた子たちもいる。この水筒は、そんな一人のため。
「断られた子、また会ってくれるかな。戦うなんて無理はしないでいいんだ。おしゃべりするだけでも」
「おまえ――お人好しだな」
ぶっきらぼうに言われたが、「そんなことないよ」と晴真は微笑んだ。
慧だって、戦えと無理を強いるフリをして晴真のことを守ろうとしてくれるくせに。
通報があった場所は、表通りから一本入った路地だった。真っ直ぐの細い道は真ん中にどぶ板が敷いてある。両脇は店々の裏口ばかりだ。
「こんな所に、何を想い残したんだろうな」
提灯を高くかかげ、喜之助は闇を見透かした。
ちらちらと部屋の灯りがもれ、話し声や三味線の音が壁の向こうで聞こえる。通りの雑踏も不思議に遠く、この暗がりだけがぽっかりと虚ろだった。
ザリ、と後ろに足音がした。振り向く。
「ひゃっ!」
ゆら。ゆら。
思ったより近く、
悲鳴を上げた晴真の腕を慧がつかみ、跳びすさる。
不意を突かれた。近すぎる。
喜之助が提灯を地面に置き身構えた。
距離を取り直した三人を見比べるように、女は揺れた。
「こいつ――動くかな。まんまやれる?」
「やめろ。どう出るかわからんものを、晴真はとっさにかわせない」
「だよねー」
怨霊をヒタと見据え二人がささやき合うのを聞き、晴真は水筒を手にした。
「みっちゃん、来てくれる――?」
「――いいよ」
晴真の前に、カサと乾いた風が渦巻いた。そこに現れたのは女の子――だが痩せ細り、髪も頬もガサガサだ。
「お茶」
急いで差し出す水筒に、
ぐびぐび。ぐび。
「っあー!」
一瞬で飲み干すと、水乞はつややかな肌と髪を取り戻し、頬もふっくらしていた。
「――!?」
ギョッとしてそれに目を奪われてしまった。その瞬間、
「――ホシ、イ」
怨霊がブワと肉薄した。
慧は晴真を、喜之助は水乞を抱えて跳ぶ。
「きゃ!」
「あ、ごめん!」
悲鳴を上げられ、こんな場合だが喜之助は反射的に謝った。謝りながら姿勢は怨霊を警戒し、水乞をかばっている。そこに晴真の声が飛んだ。
「みっちゃん、あの人を!」
「かしこまり!」
楽しそうに言うと水乞は怨霊に両手を向けた。
「きゅうッ!」
じゅじゅ、じゅじゃじゅ。
そんな感じの音がしたように思えた。
すると次第に怨霊の髪が乾いていく。着物も。
「オ、ト――」
怨霊はまだズリ、と動き、何か言った。晴真があせったようにつぶやいた。
「けっこうビショビショだ――」
「おん まか らぎゃ ばぞろ しゅうにしゃ」
喜之助が
「ばざら さとば じゃくうん ばん こく」
じゅじゅ、じゅ。
「キ、テ――」
「もう少しッ」
晴真は走り出したいのをジリジリと我慢していた。怨霊がもう手など出せないほどにならなければ、自分は近づけない。
「――イ、ヤ」
怨霊の体が干からびてくる。それがわかるのか、怨霊は手で顔を隠しうずくまった。
「よしっ!」
肩を押さえるようにしていた慧を振り切り、晴真は転がり出た。
しゃがみ込む怨霊の頭に手を触れる。蒼白い光があふれた。
「――」
晴真は何も言わず、微笑む。
慧は、そして喜之助と水乞も、固唾を飲んで見守った。
怨霊は力の抜けたように腕をおろす。
蒼白い光の中で上げた顔が美しさを取り戻し――そして透き通っていった。
滅する時の黒とは対極の光がそこにある。
怨霊だったものと蒼は、白に集束していく。そして、まばゆく散った。
「――ふぅ」
「ハルマ」
息をつく晴真に近づいたのは水乞だ。だが。
「え!?」
喜之助が仰天するのも無理はなかった。
水乞は今、年頃の女になっている。さっきまでは女の子だったのに、晴真や慧より上なぐらい。
「みっちゃん、だいぶ水を吸ったね」
「そうね。あの人、川に落ちたのかな」
「うん――」
困り顔で目を伏せる晴真の肩を水乞はポンポンと叩いた。
「お茶ありがと」
「僕こそありがとう。今度またお礼にごちそうしなきゃね」
エヘヘと晴真が笑い、それに水乞が瞳を光らせた。
「なら私、飲んでみたいものがあるんだけど」
「うん、何?」
「あのねえ、ラムネ、ていう物!」
妖怪とはいえ世の流行には敏感なのか。女なんだな、と慧と喜之助は感心した。
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