第11話 僕にできること

 横濱方面支部をと決まったものの、まだ場所を確保したわけではない。けい喜之助きのすけ晴真はるまの三人はそのまま官舎に暮らしていた。新たな怪異の情報を待ちながら、まったりと過ごしているのだ。


「――っん! あん、ムリ、慧!」


 脚を押さえつけられ、晴真がうめく。畳の上に黒髪が乱れていた。

 だがその吐息は足元の慧からは遠く、いっこうに距離は縮まらない。慧は盛大にため息をついた。


「情けない。腹筋一回もできないとか、どうなってんだおまえの腹は」

「そんなこと言ったって……」


 解放された晴真は起き上がると、自分の胸元を広げて腹をのぞき込んだ。律義だが、馬鹿正直がすぎる。

 ちらりと見えた胸板は薄く、本当にこんな奴を戦わせていいのか慧は悩んだ。


「軍人って立場になるにしては、か弱すぎるな……」

「ねえ真面目に言わないで、傷つくから!」


 情けない顔で訴えられ、慧は思わず少しだけ笑った。その笑顔で晴真はなんとなく嬉しくなり、こちらもエヘヘと笑う。縁側からそれを見ていた喜之助は、なんだこいつらとあきれた。


「――慧さあ、晴真くんのこと、けっこう気に入ってるよな」

「は? 普通だが」

「えええー。俺とは打ちとけるのにもっと時間かかったじゃん」

「何年前だ。俺も子どもだったろうが」


 ムスッとするのが言い訳の証拠だと思うが、それを指摘しても喧嘩にしかならないので喜之助は引き下がった。大人の対応というやつだ。


 それにしても晴真はどんくさい。走らせればすぐ息があがり、竹刀しないを振らせれば「痛ぁい」と手に豆をつくり、腹筋はこの通り一度もできなかった。

 日常生活で水を運んだりは平気でこなしているのに、それと運動は体の使い方がまったく違うのだろう。こりゃ晴真に合わせた戦い方を考えなくちゃ、と喜之助は考えをめぐらせていた。


「……おまえ、豆腐以外にも誰か呼び出せるのか」


 尋ねたのは慧だった。こちらも危機感におそわれたのだ。

 逃げる怪異を追ったとして、晴真だけがついて来られないのが目に見える。ひとり夜闇に取り残されたら泣き出すのでは。そこに別の怪異でも現れたら、あっさり死にそうだ。誰か役に立ちそうな妖怪の友人はいないのか。


「え、うん……まあ、たぶん。たまに遊ぶ子はいるよ」

「ほう。誰だ」

「――小豆あずき洗いのあずきさんとか、灰坊主あくぼうずのあっくんとか、水乞みずこいのみっちゃんとか」


 名前を聞いても、どう使えるのか慧にはまったく想像できない。それはそうだ、豆腐小僧だってあんなことができると思ってもいなかった。


「無理だよ、慧。俺たちにはわからないって」

「……だな」


 慧の質問の意図が喜之助には汲み取れたようだった。意思疎通できる相棒が一人いてくれるだけマシか。

 不可思議な存在を頼るのはやめ、慧と喜之助の二人で晴真を守る方向で覚悟を決める。これから出くわす怪異がどんなだかわからないが、臨機応変にいくしかないのだった。

 二人が顔を見合わせて納得しているのを見て、晴真はおろおろした。何かまずかっただろうか。


「ねえ僕ヘンなこと言ったかな? みんな悪い子じゃないから、はらったりしないでね!?」

「あ、そういうことじゃないよ」

「気にすんな。こっちの話だ」

「なあに、仲間に入れてよぅ!」


 ともに配属されたはずなのに、晴真だけ会話の流れが見えない。それはあまり良くないことだが、これまでの環境の違いはいかんともしがたいのだ。


「だんだんわかり合えばいいんだよ、晴真くん」

「ううう。僕やっていけるかなあ」

「晴真」


 あぐらをかいて膝に片肘をつき、慧は思案顔だった。


「今度の時には、豆腐はやめろ」


 怪異に対峙しても豆腐小僧を呼ぶな、という話だ。


「え、何。なんで?」

「怨霊でもなんでもいいが、おまえの蒼白い光で消えるところ、もっとちゃんと見せてくれ」

「あ――ああ、そうか」


 豆腐に埋まったまま消えてしまって、何がなんだかわからなかったと言われたのを晴真も思い出した。


「それで他の友だちのこと訊いたんだね。なーんだ」


 そうじゃないのだが、晴真がにっこりしたので放っておく。


「別におまえの友だちを使わなくてもいい。喜之助が真言しんごんとか呪符じゅふで動きを鈍らすことだってできる――おまえ、相手が暴れてたら無理だよな」

「う、うーん。そう、だね」


 晴真は怪異に手を触れ、清めているのだった。

 認めたくないが、荒ぶる怪異の動きを華麗にかわし、なんてのはできないと晴真もわかっている。そんなこと、挑戦するだけで即死だろう。

 ひるむ晴真に喜之助が注釈で追い打ちを加えた。


「俺の真言は完全に止められるわけじゃないぞ。弱らせるだけだし」

「……僕、役立たずかも」


 あっさり負けを宣言されて、慧は殴りたくなる腕を押さえた。とにかく現実的に立ち向かうしかない。


「……なるべく、守る。どうにもならなかったら豆腐でも誰でも呼べ」

「――うん!」


 なんで嬉しそうにするんだ、と慧は眉をひそめた。だが晴真はにっこにこ。

 だって正面きって「守る」と言われたのは初めてだったのだ。ならばきっと大丈夫。根拠のない自信だったが、晴真はそう感じた。


「あ、でもその場合、俺が滅しても文句言うな」

「……それは、駄目だよぅ」

「駄目じゃない。じゃあおまえも頑張れ」


 ふい、とそのまま庭に出ていく慧は、木刀をつかみ素振りを始める。しっかり守る気満々じゃないかと喜之助は微笑んだ。ぶっきらぼうだが、この相棒は真面目な奴なのだ。


「ねえ喜之助さん。素早く動くのって、どうしたらできるようになりますか」


 晴真も真剣なおももちだった。頑張れと言われたから頑張ろうとする、素直な晴真。何とかしてやりたくなって、喜之助は考えた。


「ええと、じゃあさ、立って」

「はい」

「足開いて、横にぴょん。反対にぴょん」

「ぴょん。ぴょん」

「繰り返し、早く」

「ぴょ、ぴょ、ぴょあっ!」


 横跳びを少しやっただけで晴真はきれいにすっこけた。悲鳴を聞いた慧まで手を止めて、頭を抱える。


「嘘だろ……」

「だ、大丈夫、晴真くん?」


 起き上がった晴真は泣き顔だ。おもに情けなさで。


「だいじょぶ……頑張ります」

「あのさ、もういいからさ! 今日のご飯は何にしようか!」


 これは少し訓練したぐらいで何とかなるものではない。そう判断し、喜之助は料理担当の晴真に彼なりの仕事をしてもらうことにした。人には適材適所というものがあるのだった。

 その言わんとすることは晴真にもわかる。自分ができることをするしかないのだろう。ずっと戦って来た慧や喜之助と同じようにいかないのは当たり前。

 ――でも、かなり悲しかった。


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