第10話 横濱方面支部

 白衣と袴にかっぽう着。結って垂らした長い髪。ついでに人見知っておずおずとしてしまう態度。


「――やっぱり巫女さんでいいんじゃないか、この子」

「ひど、ひどいです……」


 山代やましろの無遠慮な感想に、晴真はるまはうつむきながら何とか抗議した。

 ちゃぶ台を囲み、晴真の正面には山代。右にけい。左に喜之助きのすけ。晴真はすでに打ちとけた二人の陰に隠れたそうに視線を揺らしている。どちらに寄ればいいのか迷っているのだ。

 出会った初日に豆腐小僧をかばって慧に向かってきたのは頑張っていたんだなと慧は思い返した。ほとんど必死の覚悟だったに違いない。そういえばぽろりと涙をこぼしていた。慧の腕の中で。

 そんな記憶に慧の胸がざわついた。いや、あれは闇にひそむ怪異――といっても正体は豆腐小僧――をおびき出すための行為だった。抱きしめたが他意はない。


「そんなにおびえられるとオジサン傷つくんだが」

「山代さん、軍服三人に囲まれたら普通怖がりますって」

吾妻あがつまよう……でもおまえらには懐いてるみたいだが?」


 なつく、と言ってしまうと子犬のようだ。だがその通りすぎて喜之助は笑ってしまった。寂しげにしている山代を、まあまあ、と抑えて話をうながす。


「直接いらっしゃるってことは、上で何か話がついた、と?」

「そうだな」

「爺さまですか」


 片眉を上げて言った慧に山代は渋い顔だった。


「だからその呼び方。芳川よしかわ中佐な」

「よし、かわ――って、慧の」


 聞きとがめて晴真が首をかしげる。組織の中のことまでは教えていなかったのだ。


「特殊方技部を率いてるのは俺の育ての親だ。だから俺やおまえみたいのにも理解がある。心配するな」

「慧のお父さんか」

「いや、どっちかというと爺さま」

「へえ。僕ら二人ともお爺ちゃん子なんだね」


 ふふふ、と笑う晴真を観察し、山代は意外だった。つっけんどんな慧が、彼のことはちゃんと面倒をみているようだ。おっとり気弱な少年など、苛々して嫌うかと思ったが。

 これならば、大丈夫か。山代は芳川中佐からの指示を伝えた。


篠田しのだ晴真くん、きみには横濱方面支部に所属してもらいたい」

「へ?」

「はい?」

「なんです、それは」


 晴真だけじゃなく、他の二人も疑問を呈した。そんな支部はない。


「新設するんだよ。横濱も町として急成長したもんだからウチの案件がボロボロ発生してるだろ。その度に帝都から出張するのも、汽車があるとはいえ面倒くさい。土地勘のある人間がこっちにいてくれれば大変助かる、という判断だ」


 山代が説明するのももっともだった。

 開国開港以来急激に姿を変えたこの土地は、瘴魔しょうまを生みやすい。単純に住民が増えたので死人は出るし、人が集まれば軋轢あつれきが生じてそれが怨霊と化すこともあった。


「ここしばらくの懸案ではあったんだ。渡りに船の人材が見つかったと思ってね」

「――いやでも、こいつの力はまだ」


 慧は口をはさんだ。人材といっても、どこまで戦えるものかわからない。それに晴真は戦う気はないとはっきり言ったのだ。その意思はできるなら尊重してやりたい。

 何故か晴真をかばう形になっているのだが慧はそれに気づいていなかった。山代はそれを見て、内心「ふうん」とおもしろがっている。


「不明なところも多いのは承知だ。だが経験者が補助につけば十分いけそうだと吾妻からは上がってきている。そうだろう?」

「喜之助……」

「うわ、なんで俺をにらむのさ。公平に判断しただけだろ!」


 鋭い視線に喜之助は慌てた。事実、晴真の力は方技部に所属するだけの水準にある。組織の中にあって嘘を上申するなんてあってはならないのだ。正直者の喜之助に向かって山代はうなずいた。


「しょっちゅう使うからって官舎ここを押さえてるような状況だぞ。もう方面支部を立ててもよかろう。なので元々の笹花ささはな稲荷に近い所で家を一軒確保する。稲荷はその敷地へ移転してもらうよ。氏子は方技部の皆。そうすれば篠田家も安泰だ」


 どうよ、という顔の山代に、慧は言葉を詰まらせた。そこまでされたら反対する方策もない。肝心の晴真はどう思ったかと見れば、言われたことをゆっくりと考えているようだった。


「――笹花稲荷、遠くに行かなくて済むんですか」

「ああ。まあ平地に下りてもらうことにはなるけど、なるべく近くで移転先を探す」

「僕、そこにいていいんですね」

「そうだな。なんなら神職やりながらウチで働いてもらってもかまわないんじゃないか。きみ、軍服似合わなそうだし」


 晴真を見て静かに笑う山代。彼の――というか芳川中佐の譲歩は、晴真がお断りを入れた条件をすべて潰してくるものだ。お稲荷さんを守りたい。帝都には行きたくない。それが晴真の望み。

 これは方技部にとってもちょうどいい機会だったのだ。それに横濱に土地建物を取得するなど、方技部の立場ならば実は大したことでもない。

 今いるここも官舎だが、付近には政府の重要施設が山ほど設置されていた。電信局、ガス局、貯水池、石炭庫。陸軍省の広い敷地だってすぐそこにあるが、その中にというのではなく一般の家屋を使うのか。


「だって、いちいち軍の歩哨ほしょうに挨拶して出入りするの嫌だよな?」

「嫌ですね」

「え、僕そんなの無理」


 だからだよ、と穏やかな山代は晴真から見れば頼れる大人だ。退路を断つことができる策士とも言えるのだが、少年にはまだそこまで考えられない。だが晴真ならば何年経とうが純粋に人を信じているのかもと慧は思った。


「――わかりました」

「お、やってくれるか」

「どこまでできるのかわからないけど、頑張ります」


 背筋を伸ばして宣言する晴真だったが、その目がきょろ、と左右をうかがった。決意はしたけれど心細そうな瞳に、あ、と喜之助が思い当たる。


「山代さん、方面支部って、他に誰が」


 晴真一人のわけはないのだ。経験者の補助がと、さっき言ったばかりだった。


「うん。だから、おまえらだ」

「げ」

「げ、じゃないぞ吾妻。この人見知り巫女さんを放っておく気か?」


 もう少し上の立場の者を配置するのが正道なのかもしれないが、横濱方面支部は晴真のために設置されるといっていい。ならば彼が心許した者たちを置いておけば、と芳川中佐は笑ったそうだ。


「――いや、爺さま。俺と晴真は」


 慧が絶句する。半妖の二人を帝都の本部から切り離していていいのだろうか。

 ついもらしかけた本音の先を推測し、慧は自身を信じていないのだと知れた。痛々しさに山代と喜之助はため息を呑み込む。


「おまえは立派にやってるだろう。まあやりすぎは多々あるが」

「あれ、そういうのの揉み消し、今後は俺の仕事になるんじゃ!」


 喜之助が悲鳴を上げた。ここにいるいちばんの常識人、喜之助。

 まあそうなるわな、と山代にしれっと任せられて、喜之助は畳に崩れ落ちた。


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