第9話 重なるまなざし

 まったくなごやかじゃない夕飯の後、けいは一人で縁側に出ていた。もう体を拭き、寝間着姿だ。

 とっぷりと暗い庭では虫の声がする。初夏とはいえ朝晩はまだ冷えるほどで、ぼうっとしていると少し寒かった。だが部屋に戻るのも落ち着かなくて嫌だ。

 寝間は晴真はるまだけ隣に分けているが、ふすまのすぐ向こうに気配がわかってしまう。


「なんでだろうな……」


 小さく独りごちた。

 晴真には、つい正直な気持ちをもらしがちだ。ふとした本音を言い当てられる。隠していた鬱屈をぶつけてしまう。

 たぶん同じ半妖だからだ。

 それとも、晴真だからだろうか。優しくて寂しい、子どもっぽい少年。


「ねえ――」


 その晴真の遠慮がちな声がして、慧はビクリとした。半身だけ振り向くと、おずおずとした晴真がいる。

 拒絶するでもなく視線を庭に戻すと、晴真は隣にペタリと座った。こちらも寝間着だ。


「ごめん。僕、仕事の邪魔をしたよね。ずっと続ける気もないのに関わっちゃ駄目だったんだ。ほんとごめんなさい」

「――」


 慧が怒ったのは、その事だった。だから晴真の謝罪は正しい。

 だが違うんだ、と慧は喉の詰まるような気持ちになった。

 これは慧自身の出生に対する煩悶で、決して晴真のせいじゃない。慧が見ないようにしていたものを突きつけてくるのが晴真だとしても、それは慧の問題だった。


「――こっちも、無理をさせた。悪い」

「え。ええっ?」


 ボソッと謝ったら晴真は大げさにうろたえた。

 謝罪に驚くとは、俺を何だと思ってる。慧は不機嫌な目を隣に向けたが、言わなければならないことはちゃんと言った。


「元々おまえは、やり方を見せるとだけ約束したんだ。ウチで働くかもと勝手に期待したのはこっちだ」

「き、きたい……」


 横目で見ると晴真はもじもじしていた。うっすらと、顔が赤いかもしれない。


「期待、してくれたの?」

「――そりゃするだろ。おまえは俺と同じだ。それなりの力があるかもしれないんだ」

「同じ――そうだね、同じだね」


 ふふ、と嬉しそうな微笑みが晴真の口もとに浮かぶ。それを見て慧は、晴真が孤独だった可能性に気がついた。


「おまえ――」

「何?」

「あ、いや」


 もしかして人間の友だちいないのか、とは訊きづらい。だがそれに近い状況なのは想像にかたくなかった。

 狐の血を身に宿す、稲荷神社の美しい少年。晴真の異能があればこそ助かる近所の者もいただろうが、遠巻きにされることもあったはずだ。そういえば狐の母が家にいたのはいつの頃までだろう。正体が露見したのは何故。

 そんな疑問は心にとどめ、慧は建前を口にした。


「――だから、おまえが嫌なら仕方ない。もう好きにしろ」

「え、それはひどくない?」


 気をつかったつもりだったが、晴真は抗議する。

 突き放した言い方だったと慧も思った。だけど、そうでもしないと引き留めたくなりそうだったから。


「いや、その。おまえを縛るつもりはないと言いたかっただけだ」

「――慧って、ほんと不器用」


 むー、と唇をとがらせる晴真は怒ってはいなさそうだ。そのことに安堵し、慧はそんな自分に戸惑う。

 できるなら晴真に嫌われたくない。そんな心の動きはどうしてだ。こんな奴どうだっていいじゃないか。

 黙って視線を送ったら柔らかなまなざしが返ってきた。謝り謝られて安心したのだろう。慧だって、今は何だか平らかだった。

 少しずつ知ってみれば、晴真もまた背負った生まれに苦しむ仲間だと思えてくる。できることなら共に働きたい。

 だが、晴真は見れば見るほど戦いに向かなそうだった。心も、体も。

 細い腕。きゃしゃな襟足。小さな喉仏。

 吸い寄せられるように手を伸ばし、すんなりした首筋に触れていた。


「え?」


 びくり、とされて慧はうろたえる。俺は何をして――。


「あ、あのな」


 そう言いながら指先は晴真のうなじをなぞっていた。離せない。

 この妙な振る舞いの言い訳を、必死で絞り出した。


「昼間は、悪かった。苦しかったか」

「あ、あの、ううん」


 慧の指の動きに息を呑んだ晴真は、襟首をつかまれたことかと思い出した。

 そうか、そうだよ。うっかり暴力を振るってしまって後悔しているだけなんだ。慧は自分に厳しいところがあるから。

 いきなり触れられてズキンとうずいたことが恥ずかしくなって晴真は顔を赤くした。慧の手に、手を添える。


「……だいじょうぶ。慧はほんとにひどいことはしないって思ってる」

「おまえ、それは……買い被りすぎだ」


 手を重ねられた慧の方も、鼓動がやや速まった。

 嫌がって押さえたのではなく、ただ寄り添ってくれる仕草。受け入れられている、と感じた。


 存在していいと伝えてもらうのはこんなに心地よいものなのか。

 人とせいでいつも誰からも隔たって生きてきた二人は、初めて許された気がした。まなざしが合う。


「晴真――」

「――うん」


 ふ、と互いの息がかかった。見つめるうちに近づいていたらしい。

 ハッとなった慧は慌てて手を引き飛びのいた。晴真も膝に両手を揃え、うつむく。突然縮まった距離にどちらも動揺を抑えられなかった。


「あ――ええと、冷えてきたな。もう寝たらどうだ晴真」

「う、うん。慧もね」


 もごもごと言い合って、晴真はピョコンと立ち上がる。一瞬からまった視線を振り払い、おやすみ、とつぶやくと晴真は小走りに行ってしまった。

 

「――おやすみ」


 もう晴真がいなくなってから慧もつぶやく。

 その息は、震えていた。




 三日経った午後、慧たちの仮宅を訪れたのは意外にも彼らの上司だった。山代龍久やましろたつひさ少尉。


「少尉殿。ご足労恐縮であります」

「うむ」


 玄関で慧はいちおう軍人ぽく敬礼してみせるが、する方もされる方も実はそんなもの慣れていない。すぐに山代は苦笑いした。


「こういうのは、いらんな。で、問題の巫女さんはどこだ」


 出迎えた慧と喜之助の後ろをのぞくが、晴真はいない。上がり込む山代に、慧は念のため訂正した。


「男ですよ」

「聞いてるが、美人さんなのは正しかったんだろ」

「……喜之助、何を報告したんだ」

「いや、まあ全部」


 へへへ、と笑って喜之助は台所に向かった。晴真は米を研いでいたはず。


「なんだ、巫女さんはそっちか」


 晴真を座敷に呼ぼうと思ったのだが、山代もさっさとついていった。

 結局全員で顔を出すと、晴真が振り返って小さく、ひゃん、と言った。山代の姿に体が固まる。慧と喜之助の間で視線が揺れて――おそらく助けを求めていた。


「……晴真おまえ、もしかして人見知りか」

「う。わ、悪い?」

「悪くはないけどさ……」


 稲荷を訪問した時になかなか出てこなかったのもそれか。今さら判明した事実に、慧は肩をすくめた。


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