第8話 堕ちるぐらいなら

「とうふちゃん、ご苦労さまでした!」

「わあい、ありがとうハルマ!」


 居留地の怨霊をた翌日、晴真はるまは豆腐小僧に贈り物をした。新しい豆腐だ。


 巨大化し、崩れ去った豆腐。怨霊が突っ込んで暴れたのだから、そりゃあグズグズにもなる。

 新品を手にして豆腐小僧はニコニコ顔だが、そこらの豆腐屋の豆腐でいいというのがけいの頭をまた悩ませる。理解不能だ。


「――豆腐小僧って、強い妖怪だったんだな」

「そうだよ、慧もわかってくれた?」

「ああ、まあ」

「えっへへん! ケイくんにほめられたあ!」


 豆腐小僧は慧を付けすることにしたらしい。何故俺に妖怪の知り合いが、と慧の眉尻が下がった。

 官舎の座敷であぐらをかき、少年と妖怪の仲良しこよしをながめる。これはいったい仕事なのだろうか。慧は非常に落ち着かなかった。


 喜之助きのすけは特殊方技部に打電するために出掛けてしまった。昨夜の件を報告し、指示を仰ぐのだ。

 晴真がある程度の人材なのはわかった。特に怪異への対処速度は一級品。

 だが怨霊相手、しかも豆腐小僧の力を借りての戦績となると微妙なところだ。瘴魔しょうまに対してはどうなるか不安が残るので、今しばらくの試用期間をと喜之助は連絡するはずだった。


「晴真、おまえ豆腐がいなくても戦えるのか?」

「え、戦う?」


 晴真は振り向いて首をかしげる。その仕草は可愛いからやめてほしい、おまえ男だろう。慧は視線を豆腐小僧にそらした。


「ゆうべの怨霊ぐらいなら、豆腐が豆腐にめられるだろうが――」


 自分で言って、何だそれはと思った。だが豆腐小僧はふんすと胸を張る。こっちも可愛い。咳払いし、真面目な声を出した。


瘴魔しょうまは、時にあんなもんじゃない」

「心配してくれるの?」


 ずりずり。膝でにじり寄る晴真が嬉しそうだ。慧はわざと嫌そうな顔をした。


「そういうことじゃ――」

「でも僕、戦う気なんてないし」

「は?」

「だって僕は笹花稲荷を継ぐから。慧たちがいる方技部って帝都に行かなきゃだめだよね。そんなことできないよ」


 ちょっと待て。

 慧の目がスウと細められた。晴真は方技部で働く気はハナからないと?

 それじゃ慧がこうしている意味はない。喜之助だって無駄な報告を上げたことになってしまう。ふつふつと怒りがわいた。


「おまえ……! だったらどうしてここに来た?」

「え、そ、その……なりゆき?」


 慧から立ちのぼる怒気にびくつきながら晴真が答える。だがそれは油を注ぐだけだ。慧は腕を伸ばし、晴真の着物の襟をつかみ上げた。


「こちとら遊びじゃないんだ」

「ぼ、僕だって真面目だよ! 慧がみんなの気持ちなんて聞かないって言うから!」

「なんのことだ!」


 首がしまりながら晴真は訴える。涙目だが引かないその態度に苛立ち、慧は至近からにらみつけた。そこに泣きべそ声が割り込む。


「やめてよう、ハルマがくるしいってばあ」


 豆腐小僧がすぐ横に来て、つぶらな瞳をうるうるさせていた。盆の豆腐が震えている。

 子どもをいじめているような気分になって慧は手を離した。晴真がケホ、として罪悪感にかられたが、謝ることはできない。仕事の邪魔をされたようなものなのだ。


「けい、が」

「――」

「滅するって言ったからだよ。僕は、ちゃんとあの世に送ってあげたい」


 呼吸を整えた晴真は、真っ直ぐに慧を見つめた。


「俺が聞かないってのは、怪異の言い分のことか」

「そう。消し去るなんてしないでよ」


 また泣きそうになりながら訴えられる。こいつすぐ泣くよな、と慧は心の片隅で思った。

 だが話の本筋はそこじゃなかった。冷ややかに晴真を見つめ、慧は厳しく告げた。


「――俺には、それしかできない。俺はすべての怪異を滅するために生きてるんだ」

「そんな――」


 その返答を、晴真はどう思っただろうか。困ったように口をぱくぱくさせている。だが、これは掛け値なしに真実だった。


 慧は、父親を知らない。父という山神がどんななのかを。

 芳川家では、ただと聞かされていた。出身の村の名から調べればその伝承にたどり着けるだろうが、していない。今はおのれを鍛え、現れる怪異を斬るだけで精一杯だった。

 いや。

 たぶんそれは嘘だ。

 慧は恐れている。自分に流れる血がどこから来たのか知るのが怖い。

 荒ぶり生贄を求めるなど、それは立派に瘴魔の部類。生贄の娘をおかはらませ、腹が大きくなったら捨てるなど鬼畜の所業だ。そんな瘴魔の血を、慧は継いでいるのだった。

 父は、けがらわしい魔だ。その正体をが教えようとしないのが証拠だろう。告げるのをためらう存在。

 芳川家が慧を育てたのはきっと、慧の潜在的な力が役に立つから。そして、慧が瘴魔と化すことがあれば即座に滅するため。

 だから慧は怪異を斬る。

 自分はそうはならない、堕ちないという証明のために。





「――えーと、何、空気が重いんだけど? 俺がいない間になんかあった!?」


 夕飯に集まったところで、喜之助が困惑し叫んだ。

 電信局から帰宅したら誰も「お帰り」を言ってくれなかったのだ。

 慧は黙々と庭で木刀を振っているし、晴真は台所でしょんぼりと料理していた。豆腐小僧すらひっそりと台所の隅にたたずんで無言なのには少々ビクッとさせられた。でもそれが本来の豆腐小僧な気はする。


「いた、いただきまぁす!」


 やけくそ気味に喜之助は声を張った。誰も唱和してくれなくてちょっと寂しい。

 もう豆腐小僧は引っ込んでいる。慧は何も言わずに手を合わせた。晴真はそっと頭を下げる。その伏せがちなまつげが慧の気配をうかがい、パチパチとまたたいた。

 こりゃ晴真の方が何かしら悪かったのか。喜之助はため息をかみ殺す。慧は一度へそを曲げると厄介なのだ。

 いろいろ抱えているからなァと喜之助は思いを致すが、そののど真ん中に晴真の存在そのものが関わってくる。

 初めて会う、自分以外の半妖。

 怪異を滅すあかの炎に対比する蒼白い光を宿す指。

 そんな晴真がいる限り、慧の気持ちは揺さぶられ続けるはずだ。


「―あのな」


 喜之助は仕方なく問わず語りに連絡の結果を告げた。


「晴真くんの生まれや力については伝達した。ウチで働いてほしいと返ってきたよ」

「……そう、ですか。でも僕」


 晴真はポツリと応える。聞くだけで胸がつぶれるように弱々しい声で、喜之助は慌てて励ました。


「笹花稲荷の状況も伝えた。晴真くんがここを離れたくないと思ってることも」

「……ありがとう、ございます」

「そこは上でも検討するそうだ。だから、このまま少し待ってくれないかな。お祖父さんの方はお元気でやってらっしゃるし」


 外出が長かったのは、そちらの確認もしてきたからなのだった。

 晴道祖父は稲荷の移転に関して奔走するのをやめ、お社を整理しているらしい。軍の後ろ楯があれば悪いことにはならないと踏んだのだろう。

 喜之助は今日、ひとつひとつの問題に現実的な対処をしたはずなのだ。なのに晴真本人と慧はどうしてこんなに険悪になっている。これじゃ外堀を埋めきる前に炎上する本丸だ。

 自ら火を放ち切腹するなんて時代はとうに終わったんだよ、と喜之助は二人に腹を立てた。


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